電離調停・決
『残り1分です』
アイのアナウンスが響く中で、私の右掌が鏡柱に吸い付く。
骨の奥でカチと噛み合い、熱が指先から手首へ走った。
「手動は通った!」
私の言葉に返すように、葵君が叫ぶ。
「ーー管理者署名、共同で埋める!」
『残り……30秒…』
「拍、合わせる!」
こはるが胸の前で指を三度弾く。
「さん、に、いちーー今!」
柊さんが扇で雷の縫い目を裂き、燈ちゃんが横から殴って視線を逸らす。
雷蔵君が血で濡れた足で踏み抜き、二秒の接地を作る。
『…15秒』
「要素、五つ重ねる!」
葵君の声が切れることなく畳みかける。
「呼吸を合わせて!
相馬君は圧を掛けて!
柊さん舞を!
柴崎は衝撃を加えろ!
クロエさんは干渉波を!」
『…10秒』
「拍は任せて!」
こはるが息を吸い、吐く。一定の拍が空気を震わせる。
『…9』
雷蔵君が圧を刻む。
床の奥で金属が鳴る。
柊さんが扇で∞を描き、鏡柱の足元に銀の軌跡を残す。
『…8』
燈ちゃんが拳で一打、格子の脈にわずかなズレを作る。
クロエが素体を抱え、低く命じる。「中和に回れ」素体が淡い光を放つ。
『…7』
ヴォルテールの瞳がギラつき、その肩に光が集まる。
「足掻くねぇ。だがーー」
『…6』
雷が振り下ろされる寸前、私の掌の奥で鍵が回り切った。
「通った!!」
喉の奥に低い共鳴が立ち上がり、胸骨に小さく震えが走る。
『…5』
「ーー重ねて、押す!」
葵君が叫ぶ。
『…4』
五つの要素がひと拍で合わさり、鏡柱が鈍く脈打つ。
空気の匂いが一段、金属から雨上がりへと変わった様な気がした。
『…3』
ヴォルテールが拳を振るい、落雷が降りる。
しかしそれは、床の格子で抜けた。
白い柱は細い糸に変わって散り、耳の奥のキンという痛みがほどけていく。
『…2』
雷場が落ちる。
静電気が服から離れ、髪がゆっくりと沈む。
『…1』
闘技場に、息が戻った。髪の逆立ちは寝て、空気の金属臭が雨上がりに変わる。
ヴォルテールはなお立っている。だが肩の光は消え、鎧の継ぎ目から白い湯気だけが上がっている。
『………署名を受理。調停、完了しましたーー』
アイの柔らかな声が流れる。
雷蔵君は片腕でパイプを握り直し、膝をついて笑った。
「……通ったがか」
こはるが震える息で頷く。
「拍、合った……」
柊さんが扇を畳み、静かに言う。
「裁いたのではない。収めたのじゃ」
クロエは素体の瓶を抱きしめ、翡翠の瞳でヴォルテールを見据える。
「ーー雷場は止めた。でも、倒してはいない…」
ヴォルテールは口角を上げた。
「ほう。ブレーカーを落としたか……面白ぇ」
その時、闘技場に淡い光が灯る。電源ラインがヴォルテールから切り離されたことで照明が復帰したのだろう。
『外部供給、切断完了しました』
アイのアナウンスに燈ちゃんが拳を握った。
「今ならーー」
柊さんが扇を返す。
「仕留める」
雷が止み、空気が軽くなった闘技場を、私はレンチを握り直し、一歩前へ出た。
「押すよ」
葵の声が背中に入る。
「二で入って三で離脱。右肩の戻り、遅い」
こはるが拍を刻む。
「いち、に、今!」
燈ちゃんが先陣を切る。
「さっきはやってくれたなぁあ!」
電磁ナイフが淡く唸り、右肩の継ぎ目へ斜めに切り込み、返す足で膝を払う。
「くっ…!」
ヴォルテールの動きは明らかに鈍っており、燈ちゃんの動きに遅れる。
そこに柊さんが低い姿勢から扇を滑らせ、肘裏の帯を薄く断つ。
「チィッ!」
ヴォルテールが拳を振り払うが既に柊さんはおらず、虚しく宙を切るだけだった。
クロエちゃんは正面から銀扇を広げヴォルテールの視線を奪いながら、ダガーで手首の留め具を刺して抜く。
雷蔵君が左腕一本で鉄パイプを振り抜き、体当たりで胴を押し戻す。
初めてヴォルテールの巨躯が半歩下がる。
「クッソ、テメェら…調子に乗りやがってっ…!」
私は雷蔵君の影に重ね、戻りの遅い腕の遊び狙い、レンチで打つ。
工場で覚えた癖が勝手に働く。弱いところだけを選んで攻撃を加える。
鎧の戻りがさらに鈍る。
「良し。壁まで四歩だ!」
葵君が指示を飛ばす。
「相馬君!斜め押しで寄せられる!」
「任せぇ」
雷蔵君が身を沈め、肩で押す。
燈ちゃんが上段からの振り下ろし攻撃でヴォルテールの注意を引き、そこに柊さんが下段で足を払う。
体勢を崩した所にクロエちゃんが銀扇とダガーを下から上へと薙ぎ払う。
「…ぬぅっ!」
ヴォルテールが両拳を互いに握り下段振り下ろす。
しかし、またしても空を切り、バランスを崩す。
その隙にヴォルテールの膝裏から連結ストラップを引き抜く。
ヴォルテールの踏みがもたつき、背が壁へ寄る。
「呼吸、整ってる。二、三——今」
こはるの拍が途切れない。
葵君が畳みかける。
「左手の留め具、葛城さん行ける?」
「行く!」
私はヴォルテールの手首の窪みにレンチを差し、てこの要領で短くひねる。
握りの戻りが遅れる。
「舐めんなよぉ!!」
ヴォルテールは腕で払い、頭で間合いを壊しに来る。
私はレンチを縦に立てて額を受け、反動を斜めに逃がす。
骨に響く、だけどーー立てる。
燈ちゃんが即座に肩で支え、柊さんが返しを切り離す。
クロエちゃんが空いた関節にダガーを噛ませる。
雷蔵君のパイプがもう一度、肋板を押しつぶす。
巨体がまた一歩、下がる。
「三歩」
葵君が指示を続ける。
「次、面の下辺押さえ。視界を落として連打」
「取る!」
私は面の下辺を両手で抑え、開きを殺す。
「今!」
こはるの掛け声と同時に、燈ちゃんの斬撃と蹴り、柊さんの鉄扇、クロエちゃんの掌底打ちが重なる。
ぐらり、と巨体が揺れた。そこに、雷蔵君の体当たりが決めに入る。
継ぎ目が剥がれ、肩の可動域が削れ、拳の握りが遅れる。
こちらはまだ息が合っている。拍がある。
葵君の声が先を示す。
「壁まで二歩。右膝、踝内側。今だっ!」
燈ちゃんの足が踝を止め、柊さんが足裏を払う。
私は肩ロールの留め具を一つ落とし、クロエちゃんが手首の角度を封じる。
雷蔵君が押し続け、ヴォルテールの背が壁に触れる。
「ここが前」
私たちは輪を締める。レンチの重さが手に馴染む。
殴るたび、装甲の応力が変わるのが分かる。
少しずつ、でも確実に、押し込める。
しかし、ヴォルテールの目が面の隙間から覗く。
その目は、まだ笑っていた。
それでも、呼吸は短い。
切り返しの間が出ている。
こはるの拍が微かに速くなり、私の心拍とぴたりと重なる。
「最後、右肩。戻りで差す」
葵君の言葉に頷き返す。
燈ちゃんが上段、柊さんが下、クロエちゃんが中央を封じる。
私はレンチで肩の遊びを叩き、雷蔵君のパイプが押し込む。
ヴォルテールの踏みが止まる。
壁際で上体が沈む。
ーーその時
床下から、重低音がゆっくりと響いた。
水路の水面が震え、波紋が広がる。
次の拍で、溝という溝の液が濃く見え、底の方からごぼごぼと泡立ち始めた。
こはるが息を詰める。
「……音が変わった。吸気じゃない、給液」
葵が目を細める。
「嫌な予感がするーー皆、注意して!」
私はレンチを構え直す。
押し込みは止めない。
ただ、背骨の奥で、別の戦いが始まる気配が確かに立ち上がっていた。
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