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鏡前即会

扉が閉まり、白の回廊が一瞬だけ呼吸を止めた。

雷蔵は小さな培養槽をそっと床に下ろし、背の澪の位置を直す。

紅華は肋を押さえ、こはるは耳を澄ませて周囲に異音がないことを確かめる。

クロエが一歩、葵の横へ出た。


「……さっきの、“右手”。どうして?」


翡翠の瞳が真っすぐに問う。

こはるもうなずいた。


「わたしも気になって……澪ちゃんの手を使ったのって…もしかして生体認証?」


葵は短く息を整え、端末を胸の前に伏せたまま答えた。


「結論だけ言うと、葛城さんの右手そのものが“鍵”になってる。三つ根拠がある」


柊が首を傾げながら先を促す。


「申してみよ」


「一つ目。前の施設で、葛城さんが右手で端末の縁に触れた時だけ、拒否画面に小さなログが出たんだ。」


ーーMIO_RESID / MMIO_PALM_R / handshake tentative。


「左手では出なかった。だから右手に何かが有ると踏んだ」


雷蔵が目を丸くする。


「よう見ちゅうのぉ、そんな一瞬の文字……」


葵は小さく頷いて更に続ける


「二つ目。白き回廊でアイが出した葛城さんの情報。二要素署名の欄に、小さく注記があった。」


ーーROLE_A : AI署名(代替可) / Manual Mirror I/O : PALM_R。


雷蔵が、よく分からない、と言う表情をしている。


「PALM_R、右手。つまり、AI側の署名は、右手の手動ポートから代替できる可能性があるってこと」


クロエが小さく息を飲む。


「手動の鏡入出力…右手経由で、AIの代わりを一時的に務められる、って?」


葵はクロエに視線をやり、眼鏡を指でクイッと押し上げる。


「そう。三つ目は、葛城さんの体質。さっきも映ったけど、M.I.O-001 の干渉、鏡位相ズレと禊耐性。」


その後ろで、燈と雷蔵は互いに小声で、「分かるか?」「全く分からん」とやりとりをしている。


「鏡の位相がズレているから、普通は触れないログ層にも届く。M.I.Oの残留署名もあるから、AI署名の代理が成立する」


葵はそこで澪の右手を見る。

指先はかすかに油汚れの色を帯び、掌は工具で育てられた硬さを持っている。

澪のレンチが、そこに寄り添っていた。


「まとめるとーー

M.I.Oの残留鍵と鏡位相ズレ、右掌のハプティクス。

この三つが揃って、索引だけを瞬時に抜けたんだ」


こはるが首をかしげる。


「ハプティクスって、右手にしみついた癖、みたいな?」


こはるの問いかけに葵は頷きながら補足する


「それもある。おそらく幼い頃に研究者の両親が、右掌の静脈・筋電のパターンを使ってジェスチャの癖を刻んでる。

“右利き”前提で右だけに。だから左では反応が無い」


柊は目を細めた。


「右手はただの手ではなく、鍵に育てられておる、というわけか」


「うん。で、鏡座の裏パネルに“Dual Seal”が出たから、そこに賭けた。」


葵が端末を握りしめながら笑みを零す。


「AI署名を葛城さんの右手で代行、管理者署名を僕たちの共同署名で埋める」


「本体情報を丸ごと抜く時間は無かった。でも索引だけなら短時間で済む」


「だから両立不可に対して抜け道を作れた、ってわけね」


クロエが葵を見ながら静かに言う。


「記録は索引で後追い、命は今助ける。合理的で、優しい選び方だと思う。……ありがとう」


雷蔵が鼻で笑い、葵の肩に手を回し親指を立てる。


「よぅ分からんが、お前はやる時はやる男やき!ようやったぜ、葵」


葵はほんの少しだけ肩の力を抜いた。


「運が良かっただけだよ。注記を見逃してたら詰んでた」


こはるはそっと澪の指を包む。


「澪ちゃんの右手……温かい。まだ、届く」


「ただ…」


葵は声のトーンを落とし、短く言う。


「索引のコピー、異常な早さだった。普通なら数秒はかかる筈。つまり、ほとんど空だったってことだ」


こはるが眉をひそめる。


「ほとんど空って、どういうこと?」


「個人の履歴が入ってない。あるのは管理用のタグと呼び出し番号くらい。……つまり、こいつは人の記憶の器じゃない」


葵が培養槽をコンコンと叩く。

クロエがゆっくりと頷いた。翡翠の瞳が静かに揺れる。


「おそらく、レプリカント・ドールズの素体(Seed)だと思うわ」


こはるがガラス越しに耳を当てる。


「……鼓動じゃない。一定の振動……制御波です」


「初めて見るけど、人格は空白で動かすための基準波と制御コードだけが焼かれてる筈」


雷蔵が息を呑む。


「ほんなら“助けた子ども”やなくて、生まれたての子供たち(ドールズ)ってことか」


クロエが頷く


「そう。索引が軽かったのはそのせいだと思う。人としての目次が無いから、一瞬で終わった」


葵が続ける


「でも禊の白書側の参照キーだけは抜けた。あとで白書を辿る道は残せる」


柊が扇を握り直し、静かに言った。


「選考試験に使う贄にしては理に適う。壊れても補充が利く器ーーだからこそ試問に出せるのじゃな」


クロエが培養槽に目を落とす。


「……でも、扱い方はある。基準波を読み取って、逆位相を作れば、群れを止めることもできると思うわ」


葵が続ける


「索引は薄いが、波形は濃い。解析できる」


燈は葵に握った拳を突き出し、にやりと笑う。


「上等だよ。使えるもんは使う。救った意味、見せてやろうぜ!」


雷蔵が培養槽の持ち手を握り直す。


「こいつを、切り札に変えるがよ」


「但し注意がある。今のごまかしは審判に残余ってログで残ってる。鏡心に見られてる前提で動く」


柊は扇を握り直し、痛みを呼吸の底へ押し込んだ。


「裁かれる覚悟はとうにできておる。行こう。鍵は握った、道は開ける」


クロエが立ち上がり、翡翠の瞳で闇の階を見据える。


「ーー選ぶのは、私たち」


第三層へ。彼らは自分たちの選択を、武器に変えて進む。

続きが気になったらブクマ&更新通知ONお願いします。次回「三層手前」ーー澪、目覚める

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