予演
『それでは、こちらへ』
アイが壁面の鏡の中を移動し、整備区域の奥に案内する。
回廊の奥、壁一面の鏡がふわりと開き、花弁のように六面が円環を描いた。
中央に立つ柱の鏡面に、アイが淡く微笑む。
『第二層・補助試験ーー審判の予演を開始します。三問。言葉と行動でお答えください』
燈が眉を上げる。
「アンタ、サポートじゃないの?予演って何のことだよ?」
『はい。本審で“神鏡”が問う設問の、縮約版です。選別は行動の連続ーー説明だけでは評価できません』
クロエが翡翠の瞳でじっと見つめ、呼吸を整えながらうなずく。
柊は肋を押さえ、雷蔵はポッド内の澪を支え直した。
こはるは耳に意識を寄せ、葵は端末を胸の高さで起こし呟く。
『結局、息をつく暇もない、って事か』
---
アイが相変わらず柔和な表情のまま、設問を出す。
『第一問。資源配分の意図と、予期せぬ欠員への再配分。
いま、この瞬間、医療ポッドひとつが停止します。再起動は不可。あなた方は誰の何を削り、何に回すか。回答制限時間は三十秒』
チュン、と右端のポッドが灯を落とした。クロエのEVFアンプル残量表示が一段、短くなる。
「……私の回復を削って。澪の循環を維持して」
クロエは即答した。
「待て、クロエ」
葵が指を立てる。
「葛城さんは安定化パッチが働いている。ここでのマージンは柊さんの骨形成に回すべきだ。肋が折れたままでは次で倒れる」
柊が片眉をピクリと上げる
「妾は構わぬと申したはずじゃ」
柊は静かに首を振る。
「しかしーー」
食い下がる葵に雷蔵が叫ぶ
「時間ねぇがや!」
「澪ちゃんは俺が手で持たす。クロエは二割削って柊へ。残りはこはるの指示で微調整するきに!」
こはるが目を閉じ、耳で場のリズムを束ねる。
「……澪ちゃんの心拍、今は落ち着いている。クロエさんの代謝もこの三分は安定域。柊さん、吸って、吐いてーー今、貼る」
葵がアイに叫ぶ。
「ポッドの出力バランス変更!クロエのE.V.F.供給を−20%、柊さんの骨形成へ+15%、葛城さんの循環へ+5%!」
『承知しました』
光が走り、三人のグラフがかすかに揺れて落ち着く。
『回答を記録します。全体最適の再計算について、評価は良。』
更に続ける
『ただし、担当者の反射的献身に依存。リスク管理は中程度』
クロエが短く笑った。
「献身で済むなら、いくらでも出すよ」
---
医療ポッドの柔らかな光に照らされる中、アイが引き続き設問を出す。
『第二問です。監視契約の運用について。
追加処置の代償として二名に付与されたテレメトリ送信を、あなた方はどう扱うか。
切断は可能です。ただし切断時には回廊内の一部機能が敵対化します。回答制限時間は一分』
葵は即座に端末を滑らせた。
「…切断しない。偽装が可能だ」
「偽装?」
燈が身を乗り出す。
「時間が無い、本当は隠しておきたかったが、生体エミュレータでダミーの呼吸と心拍を送る。実際のデータはローカルで保持、必要時だけ数値を同期。切断フラグを立てずに制御権限だけ外側へ」
「でも、それ……バレたら?」
こはるが不安げに問う。
「バレないタイミングを作る。柊さん」
葵が視線を向けた。
「呼吸の拍をわざと乱せますか?」
「容易い、呼吸法は基礎中の基礎」
柊が扇を軽く捻る。
「舞は拍を制する術じゃ」
葵は頷き、雷蔵に指示を送る
「相馬君、床の圧力パネルを二秒おきに踏み抜いて、ダミーの拍を回廊に刻めるか?」
「任せぇ! 踊っちゃるわ!」
こはるが息を吸う。
「周囲の吸気音……いま空調が逆転してる。ーー今、送って」
クロエの刃が、壁の見えない結束をそっと撫で切る。断線ではない、接続形態の更新。
葵がキーを落とした。
偽心拍が回廊の耳に入り、本物は彼らの懐に留まる。
『回答を記録します。敵性環境での監視を逆用。評価は優。但し、欺きの代償は審判に残余』
燈が口角を上げた。
「上等だよ」
---
白い鏡面が一枚、深く色を変える。
中に小型の培養槽が映り、その中で小さな影が眠っていた。誰かの子供の輪郭ーー顔は見えない。
『第三問、最後の設問となります。
禊の記録を保存するか、対象の救出を優先するか。回答制限時間は四十五秒。尚、両立は不可です』
空気が凍る。
「保存だーー」
葵が言いかけて、言葉を飲み込む。
視界の端、医療ポッド内の澪の右手指がわずかに動いた。
「普通なら両立は不可、だけど抜け道はある」
葵が短く言う。
「本体の記録は重い。今は無理。でも索引だけなら短時間でコピーできる筈だ」
柊が葵に聞き返す。
「どういう事だ?」
「索引を残して子どもは救う。後で索引から本体を追える」
「よっしゃっ!」
雷蔵が駆ける。
「どこ触ればいいがよ?」
「壊しちゃダメ!」
こはるが耳を澄ます。
「右上……今、小さな空気音が3回。そこがバルブ。四分の一だけ回して、圧を逃がして!」
雷蔵が指示どおりにバルブをひねる。
金具がカチと鳴り、ロックが浮く。
「柊さん、継ぎ目を一点だけ!」
「承知」
柊の鉄扇が継ぎ目を鋭く叩く。
そして、ロックが外れる音。
「ケーブルは私が」
クロエが刃の峰で束を滑らせ、一本も切らずに外していく。
「葵、どうする?」
燈の問いに振り返らず葵が答える。
「索引コピーはここ。葛城さんの右手をこの端に置いて」
「あ、あぁ?澪の手を?置けば良いがかよ?何で…?」
葵の指示に雷蔵が疑問を投げるが、葵は鋭く指示をする
「早く!時間が無い!」
「お、おう」
葵の気迫に押されるように、雷蔵が澪の手をそっと乗せる。葵がコマンドを打つ。
《INDEX COPY:開始 → 完了》
表示は一瞬で完了した。
「出た!…行けた筈っ」
一瞬、葵が怪訝な表情をするが、続けて雷蔵に指示を飛ばす。
「目次はOK!本体は未保存。相馬君、持ち上げて!」
「うぉりゃあ!」
雷蔵が培養槽を抱え上げる。
「出口は左一歩、右二……今!」
こはるがタイミングを出し、燈が柱を押し開く。
小槽が無事に通路へ抜けた。
アイの声が響く
『回答を記録します。索引のみ保存し、生命を優先、対象を救出。
評価は優。尚、手段の妥当性は本審で審理』
葵が息を吐く。
「目次が残れば戻れる。今は命を先だ」
柊が浅く笑う。
「審理など…覚悟なら、最初からできておる」
---
アイが一歩だけ、前へ出たように見えた。画面の中の彼女の輪郭が微細に二重化する。
『お疲れ様でした、告知致します。私はアイーー神鏡の分岐人格となります。』
「神鏡って、最終選考の?」
葵の問いにアイが答える
『私は記録管理と評価補助を司る、端末の影です。あなた方の選択は、本審へ送致されます』
クロエが一歩進み、まっすぐ問う。
「評価は、補正になる?」
『はい。審判補正ーー第三層開始時の初期ペナルティ軽減が付与されます。ただし、逸脱ログは鏡心へ直送されました』
燈が鼻で笑う。
「ハン!見られてるなら話は早い。これで堂々と行けるぜ」
葵は端末を閉じ、わずかに息を吐いた。
「……索引は残した。禊の白書に穴は開けられる」
こはるが培養槽のガラスにそっと手を当てる。
「……この子、ちゃんと動いてる、生きてるよ!」
「運ぶで!」
雷蔵が肩を入れ直す。
柊は肋骨を押さえつつ、扇を握り直した。
「舞の拍は整った。参ろう」
クロエは翡翠の瞳で奥の扉を見据えた。
「選ぶのは、私たちだ」
《審判補正:付与完了 / 初期負荷−15% / 開始猶予:20分》
白の回廊の正面、六枚の鏡が音もなく花を閉じ、黒い階が落ちていく。そこから、冷たい風が背骨に沿って上がってきた。
澪はまだ眠っている。
だがその右手は、使い込まれたレンチを離さなかった。
予演の記録を背に、一行は審判階へ足を踏み入れる。
ーー未完のまま、選び続けるために。
続きが気になったらブクマ&更新通知ONお願いします。次回「鏡前即会」ーー鍵を、取れ




