脱出
「フハハハは…やはり私は無敵だぁぁ…!」
ゾンメルは戦慄を覚えるような笑みをたたえながら、足元からE.V.F.を吸い上げる。
澪によって引き千切られた触手が再び背中から生え、腕も足も再生していく。
触手はうねうねと蠢き、瀕死の澪の頭上に刃のように尖った節先で、ゆっくりと狙いを定める。
「や、やめろォォォ!!」
燈がナイフを投げつけるも、金属音と共に触手によってはじき落とされ、ゾンメルには届かない。
追うように柊が鉄扇を構え飛び出す。
「グフゥッ…」
しかし柊の攻撃は届かず、触手の一振りで壁に叩きつけられた。ゾンメルは澪に向き直す。
「あと一息と言う所だったが、惜しかったな。ここで終わりだ葛城澪…やはり"Arche"は危険すぎる…」
触手の節先が澪の額へと迫る。
ーーその瞬間
ゾンメルの側面から水面を裂く音が響き、黒い残光が走った。
直後、触手が一瞬で五本、断面から火花を散らして落下する。
「…なっ!?」
姿を現したのはクロエだった。
全身は水滴に濡れ、淡い光を帯びた翡翠色の瞳がゾンメルを射抜く。
E.V.F.が全身の血管を駆け巡り、抜けるような白い肌に、血管が浮かび上がっている。
彼女の動きは常人の域を逸していた。
「貴様ァーー!」
ゾンメルが触手を振りかぶるよりも速く、クロエは影のように背後へ回り込む。
ダガーの刃が触手の根本を切り裂き、鉄扇が装甲を叩き割る。
まさに黒い雷のような斬撃により、切り刻まれた金属片と触手が水面に落ち、鈍い音を響かせた。
「やめ……ろ……!私は…不死身だあぁぁっ!」
ゾンメルの声が震えた。
「再生は…させない…」
そう呟くとクロエは稲妻のように鋭い最後の一閃を放つ。
朱と蒼の斬撃が幾重もの弧を描いた後、ゾンメルの動きが完全に止まった。
静寂ーー
ゾンメルの身体が数十の肉片となってバラバラと石床に崩れ落ちる。
切り刻まれた金属片と触手が水面に落ち、鈍い音をいくつも重ねる。
ゾンメルだった物から流れ出した液体が石床を汚し、足元のE.V.F.に黒い滲みを広げていく。
「……終わった…のか?」
柊は焔扇を杖のようにしながら立ち上がり、痛みに顔を歪めながらも周囲を見回した。
クロエは振り返らず、澪の傍に膝をつく。
脈を指先で確かめ、頬にかかった濡れた髪を耳に払う。
「澪……聞こえる? 大丈夫、いま運ぶから」
呼気は浅く、熱は異様に高い。暴走で内側から焼かれている。
クロエは上着を破って即席の包帯を作ると、澪の手足の穿たれた部位を圧迫止血する。
燈は片腕をだらりと垂らし、肩口の穿孔から滲む血に顔をしかめた。
葵も同じく肩を貫かれており、片手で脇を押さえたまま、視線だけが水面の揺らぎを追っている。
「……おかしい。流速が変だ」
葵がかすれた声で言う。
「E.V.F.が吸われてるのに、同時に脈打ってる……どこかでポンプが空転してるんだ」
そのとき、天井のスピーカーがノイズを吐き、低い声が響く。
『…実に、面白い』
全員の動きが一瞬止まる。
「アイツの声…だよな?どういう事だ?!」
燈が困惑の声を上げる。更に声が続く。
『お前たちが壊したのは、私のクローンに過ぎん。私はーーもっと完璧だ』
悠然とした声。勝者の余裕。
「…行こう」
クロエは澪を抱き上げた。
軽々と——しかし慎重に。
「柴崎さんと橘さん、右側の補助通路を使いましょう。姉様は最後尾で、もし敵が来たら迎撃をお願い」
「妾に任せい……走ることはできぬが、刃は振れる」
来た道は瓦礫と破損機器で半ば塞がっていた。
葵が示したのは、壁の白線と刻まれた「排水/メンテナンス」の文字だった。
「維持通路だ。幅は狭いけど出口に繋がってるはず」
錆び付いたパネルの固定ボルトを、澪の持っていたレンチで緩める。
金属の悲鳴を上げながらパネルが外れ、冷たい風が頬を撫でた。
その瞬間、地下の骨組みが低く唸った。
天井から砂がぱらぱらと落ち、石灰の匂いが強まる。
「急いで!崩れる!」
クロエが先頭で狭い通路に滑り込み、澪を抱いたまま身をかがめて進む。
通路は膝下ほどの水が流れ、E.V.F.の微かな光が壁面を揺らしていた。
最初の角で、落下した配管が道を塞いでいた。
固定クランプは歪み、片側が壁に食い込んでいる。
「てこがあれば……」
「なら、これを使え」
葵の言葉に柊が鉄扇を畳んで差し出す。
受け取った鉄扇に葵が体重をかけて梃子にする。
燈は反対側に回り、電磁ナイフの柄を支点に差し込む。
配管が数センチ浮いた隙に、クロエが身体をひねって澪を抱えたまま潜り抜ける。
続いて葵、燈。最後に柊が肩で押し広げ、身を滑らせた。
「やばい、排水ゲートが動く。水位が上がる前に抜けるよ」
葵が焦りを隠さず言う。
先に進むと鋼製のグレーチング扉が行く手を塞いだ。
鍵は反対側にある。
「蹴破れる?」
「蝶番が生きておる……ならば“抜く”」
柊が扇の柄でピンを叩き、燈が血で滑る指でピンの頭をこじる。
「もうちょい……もうーー取れた!」
クロエがつま先で扉を持ち上げ、その隙間に葵が足を差し込み体で支える。
片腕しか使えない分、歯を食いしばる時間が長く感じられた。
通路に、低い轟きが満ちていく。
背後で何かが崩れた音。足元の流れが強まり、E.V.F.の冷たい感覚が足首に絡みつく。
「3,2,1…急げ!」
四人が次々と潜り、最後に柊が扉を放り、扉が重い音で床に落ちた。
曲がり角の先、薄闇の向こうで金属を叩く音が響く。
「おい! こっちだ!」ーー雷蔵の声。
続けて、こはるの短い号令。
「フック入れる! !」
格子扉の反対側から、鉄製のフックが差し込まれ、梃子の原理で蝶番ごと抉られる。
隙間が生まれた瞬間、雷蔵の腕が伸び、クロエの肩ごと澪を引き上げた。
「預かる!」
雷蔵は澪を背負い直し、体の芯で重さを受け止める。
こはるは燈の良い方の腕を抱えて引き、葵の脇に肩を入れた。
「出血止めてる? 行けるね、走るよ!」
最後の直線。床はわずかに傾斜し、後方から押し寄せる水の圧が背中を押す。
天井の石が一つ、二つと外れて落ち、水面に輪を広げた。
一行は排水路の出口に辿り着く。
「先に澪!」
こはるが叫ぶ。
雷蔵が背負ったまま体を寄せ、こはるが出口側で控える。
澪を雷蔵が支えながら二人で引き上げ、次に燈、葵が続く。
雷蔵が葵の袖を掴み引き上げ、最後に柊。
肋骨が悲鳴を上げ、視界が白く滲むが、噛み殺した息で一段ずつ上がる。
全員が排水路脇のサービスデッキに転がり込むと、こはるが非常用ハンドルを叩く。
ガガガガガガガガ…
ラチェットの回る音と共に、一気に鋼板が下からせり上がる、
排水路とサービスデッキ側が断絶された直後、扉の向こう側から轟音。
瓦礫とE.V.F.が混ざった奔流が衝突し、重い板を何度も叩いた。
鋼板が震え、デッキの床が足裏でびりびりと鳴る。
だが、持ちこたえた。
しばらくの後、奔流の音が収まり、息と鼓動の音だけが響く。
雷蔵が澪をそっと床に横たえ、クロエが再び脈を取る。
「……生きてる。熱も少し下がってきた」
葵は壁にもたれ、浅く笑った。
「クローン……ね。ほんとに、終わってないか」
柊は乱れた吐息の合間に、扇を閉じた。
「終わりは、妾らが決める。次は本体を叩く」
その言葉を合図にでもするかのように、誰もが無言で頷いた。
生還はした。だが、戦いは、ここからだ
続きが気になったらブクマ&更新通知ONお願いします。次回「白き回廊」ーー知は力




