回帰
培養槽のロックが次々と外れ、緑色の液体が流れ出していく。
そこから現れるのは、濡れた髪と虚ろな目をした候補生たち。
皆、何が起きたのかもわからない表情をしている。
「皆…!大丈夫…?」
澪が候補生一人の少女に声を掛ける
「…ん…で…」
「…え?」
少女はポロポロと涙を零している。
「なんで…起したのよっ…!」
少女は恨みのこもった目で澪を睨む、そして視線を床に落とし、呟く
「…起こしてなんて…頼んで…ない……!」
そう言うと、少女はわっと泣き崩れる。周囲からもザワザワと声が聞こえる
「…え?…ここは…?」
「……夢が……消えた……」
「なんで起こしたんだよ……!……ずっと幸せだったのに!」
悲鳴にも似た叫びが、冷たい空間に響く。
足元に崩れ落ち、泣き叫ぶ者。
怒りに任せ、澪たちに詰め寄る者。
その眼は現実の冷たさを拒み、ただ夢のぬくもりを求めていた。
柊の眉がピクリと上がり、赤い瞳が冷たく光る。
「……身勝手な……」
鉄扇がわずかに開かれ、その刃が無音で空気を裂いた。
「ならばーー夢の中に永久に送ってやるまでじゃ」
「…ひっ!」
候補生の間に恐怖が走り、一瞬静寂が流れる、が直ぐに罵声が飛ぶ
「お、俺たちは起こしてなんて…頼んでない!」
「…わたしは…ずっとあそこに居たかったのに…っ」
「…お母さぁん…」
柊の背中から怒りのオーラが立ち昇る。
「…戦う事を諦めた豚共が…細切れにしてくれよう…」
柊が動き出そうとした瞬間、クロエがその腕を掴んで制止する。
「やめて、姉様!」
そのまま柊と候補生達との間に入り、柊の両手を握る。
「まだ正気を失ってるだけよ。殺しても何にもならないわ」
「正気を失うておるなら、それは足手まといじゃ!」
柊の声は低く、刃のように鋭い。
「…私も、皆も、姉様のように強くなれないの…安穏とし、依存してしまう気持ち…私も同じだったから、今なら分かるの」
クロエは柊の瞳を真っ直ぐに見つめる。その瞳には僅かな迷いも感じられない。
暫くすると柊はふっと目を細め、腕の力を抜く。
「…妾は奥で休む。ここは煩くて堪らんからの」
そう言うと柊は研究施設の奥に消えていった。
「…姉様……」
クロエは柊が消えた先を見つめながら、きゅっと自らの手を握る。
こはるは、候補生たちの怨嗟の声に耳を塞ぎかけていた。
(……やだ……全部、聞こえる……)
押し寄せる悲しみや怒りの響きが、胸の奥を掻きむしる。視界が揺れ、意識が薄れていく。
フラフラとよろめき、壁にもたれかかる。
「こはる、しっかりしろ!」
雷蔵が肩を支え、必死に声をかける。
「…皆、落ち着いて!夢なんかじゃ何も救われないのよっ…!」
澪も隣で候補生たちをなだめようと手を伸ばすが、その言葉は逆効果だった。
「アンタに何がわかる!」
「勝手に現実に戻して……ふざけるな!」
罵声が飛び交い、押し合いが始まる。もう暴動寸前だったーー。
「おい!!オメーら、落ち着けよ!」
その声は鋭くも、同じ痛みを知る者の響きだった。
柴崎燈が濡れた髪を振り払い、候補生たちを睨みつける。
「私だって同じだった。夢の中で、全部うまくいってたさ…あそこは心地よかった」
短髪の大柄な男が燈に向かって詰め寄る
「…だったら、お前にも俺達の気持ちは分かるだろうが!」
男はギリギリと歯を食いしばり拳を握る。その顔を見ながら燈は静かに言う
「…でもよ、あれは嘘だ。嘘っぱちだよ。現実なんて、痛いことや辛いことばっかりだ。」
「…じゃあ…」
男の言葉を遮るように、力強く言葉を放つ
「だけどよ、目ぇ覚まさなきゃ、本当のもんは手に入らねぇだろうがっ!!」
燈の言葉に、眼鏡を掛けた小柄な少年ーー橘葵が続ける。
「僕たちは騙されていた。幸せな幻は、僕たちを利用するための檻だ。ここから出なければ、本当に終わる」
「…っく…ぐうぅぅ」
男は呻きながら自分の拳を見る。
「君だって、本当は分かってるんだろう?あんな夢、意味が無いって…」
葵が男に近づき、肩に手を添える
「…ぐ、ぐおおぉぉ…」
男はうずくまり、泣き崩れる。それを皮切りに、
怒りと混乱に揺れていた候補生たちの目が、少しずつ現実へと戻っていく。
嗚咽が静まり、肩の力が抜け、足を投げ出して座り込む者もいた。
澪が燈と葵の元に駆け寄り、2人の手を取る
「燈ちゃん…葵君…本当に…本当に良かったっ…!」
燈は少し照れ臭そうに頬をかきながら言う。
「何か、夢の中でオメーに会った様な気がしてさ、このままじゃ駄目だろって、そう思ったんだよ、なぁ!」
へへっと笑い、葵君の肩を抱く
「葛城さん…ありがとう。僕たちはまた、君に救われたね」
燈ちゃんを押しのけながら葵くんが少し笑いながら手を差し伸べる。澪は改めてその手を握り、2人に言う。
「2人とも…おかえり…!」
3人の元に、雷蔵とこはるが近づいてくる。雷蔵が深く息を吐く。
「……ふぅ、なんとか収まったな」
こはるも額の汗を拭い、震える声で言った。
「……もう少しで……全部飲まれるところでした……」
燈は2人を見て、ずっと昔に会ったような、けれどどうしても思い出せない感覚にくすぐられる。
葵も同じく、胸の奥に引っかかる何かを残すのに、記憶が霧に包まれているようだった。
雷蔵が首をひねる。
「……おかしいのぅ。なんか……妙に懐かしい気ぃするが……名前、なんやったっけ?」
燈も不思議そうに眉をひそめた。
「あたしも……アンタの顔、初めて見るはずなのに……なんか、知ってる感じがすんだよな」
こはるは胸の前で手を合わせ、控えめに口を開く。
「わたしも……あの……ずっと前にお会いしてたような……でも、思い出せなくて……」
葵は眼鏡を押し上げ、短く息を吐いた。
「僕も同じだよ。……お互い、記憶に靄がかかっている」
妙な沈黙が漂った後ーー
「……まぁ、思い出せんもんはしゃあない。相馬雷蔵や。よろしゅう」
ニカッと笑いながら雷蔵が手を差し出す。
「柴崎燈。……変な感じだな」
「橘葵です。……よろしく」
こはるもそっと頭を下げる。
「南雲、こはる……です。……えへへ」
ぎこちない笑顔と、不自然な間。
互いに何かを感じ取っているのに、掴めないもどかしさが空気に残る。
「…っぷっ」
その様子を見ていた澪が、思わず吹き出した。
「な、なんだよぉ?」
笑いながら澪が続ける
「…皆、なにその距離感。全員、見事に初対面ムードじゃん」
全員が一斉に澪を見て、頬を赤らめる。
燈が顔を背け、雷蔵は頭を掻き、こはるはうつむいてもじもじと足先を動かす。
その様子に、澪はさらに笑いを堪えられなかった。
目の端に浮かんだ涙を指先で拭いながら、澪は幸せな気持ちで一杯だった。
「でも、いいじゃん、また一から仲良くなれば。……ね?」
短髪男はカズちんです




