表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/89

試験再開

柊さんの腕の中で、クロエの瞼がゆっくりと開かれる。瞳の色はーー


左右の瞳は、それぞれ水色と琥珀色。


その境界がじわじわと混ざり合い、中心で翡翠色へと変化していく。


そして綺麗な黒髪の右半分が、すうっと銀白に変化していく。


左半分が漆黒、右半分が銀白に染まる。


「…これは…!?」


柊さんが驚きを隠せない表情で、腕の中のクロエを見つめる。


「…ねえさま…泣かないで…」


クロエの細い指先が柊さんの頬を撫で、涙を拭う。


「栞!お主…記憶が…!?」


震える声で、柊さんがクロエの両肩を掴む。

まっすぐにその顔を覗き込んで、かつての妹の面影を探すように。


クロエはその呼びかけに、ほんの一瞬、困惑したように目を細めた。

だが次の瞬間、瞳に淡い決意の光を宿し、そっと口を開く。


「……私はクロエ。けれど……ある意味では、栞でもあるの」


静かなその言葉に、柊さんの瞳が揺れた。


「……お主は…本当に…栞なのか……?」


クロエは視線を伏せ、まるで自分の中を確かめるように語り始めた。


「わたしは、柊栞の遺伝子情報をもとに造られた、複製体ーークロエです」


私たちは、息をのんだ。

それはあまりにも静かで、けれど心の何処かで分かっていた、重い真実だった。


「でも、記憶は……柊栞の記憶も、確かにわたしの中に在る」


彼女の漆黒だった髪は、今は黒と白のツートンになっている。そして、その瞳は琥珀と水色が混ざり合った翡翠色。


それはただの外見の変化じゃない。二つの魂が、ひとつの身体に宿った証そのものだった。


クロエは、ゆっくりと立ち上がった。

戸惑いの気配をまだ纏いながらも、その背中には確かな“意思”が宿っていた。


「……わたしはクロエ。けれど、柊栞でもある。

姉様のことも、あの記憶も、すべて……ちゃんと、覚えてるの」


柊さんは、微かに震える手でクロエの手を取った。

そのまま、まっすぐに翡翠色の瞳を見つめる。


「……お主の名はクロエじゃ。じゃが、その中には、たしかに栞もおる。」


「妾が眠らせた、妾の大事な妹……その命が、こうしてまだ、ここに……」


柊さんの声は、震えていた。

長い時を越えた痛みと、赦しと、再会のぬくもりが、そこにあった。


クロエは、そっと微笑む。

どこか儚げで、それでも芯の通った、優しい笑顔だった。


「……姉様。ありがとう。わたしを……あのとき、殺してくれて。」


「わたしはね、ずっと信じてたの。いつか姉様が……迎えに来てくれるって」


柊さんは声を震わせながら答える。


「……栞……。辛かったろう、寂しかったろうに……

すまん、すまなんだ……妾が……助けてやれなんで……」


柊さんが、クロエを胸に引き寄せた。

その胸元に顔を埋めたクロエも、静かに両腕を回し、そっと抱き返す。


「ううん、責めてなんていないの……わたしは、幸せだったよ。」


その言葉に、柊さんの瞳から涙がこぼれ落ちた。


クロエは顔を上げ、柊さんを見つめながら続ける。


「姉様みたいに、誰かのために生きたいって……そう願えたことが。だから姉様、もう……自分を責めないで。これはわたしの、ワガママだったの」


ただの人工体でも、ただの記憶の器でもない。

柊栞の想いと、クロエの意志ーーその二つが、ようやくひとつになった瞬間だった。


ーーヴヴヴ……


静かな時を切り裂くような、不快な「ノイズ」が辺りに満ちる。


空気が歪むように空間の一部が蠢き、黒衣の影が出現する。


「ーークロエ03…この出来損ないが…」


ゾンメルが、ゴーグルの奥に怒りの念を宿した瞳をギラつかせながら言う。


「人格の統合……? くだらない。そんな低次の感情で、私の支配を逸れるとでも?」


クロエの表情が凛と引き締まる。瞳がゾンメルを射抜いた。


「もう、あなたの声は届かない。私はわたしを取り戻した。あなたが何を命じても、従わない」


その瞬間、空気が一気に張り詰める。


ゾンメルの声が冷たく、無機質に落ちる。


「なるほど、確かに枷が外れた様だな。ならば……処分するまでだ」


指を鳴らすと同時に、床の一部がせり上がり、装甲に覆われた転送ゲートのような装置が姿を現す。


「本来、お前は備えだった。だが、失敗作は不要。今この場で廃棄処理する」


「……来るぞ!」


雷蔵君が叫び、柊さんがクロエを庇うように前に出る。

私は銃剣を、こはるはナイフを、それぞれ構える。


ゾンメルの足元から黒い霧が渦巻き始めたーーそれは、明らかにただの転送ではない。


「さあ、最後の選別を始めよう。君たちが価値ある魂かどうか、私自身が測ってやる。ついでにそこの失敗作の廃棄処理も行おう」


ゾンメルの周囲に渦巻いていた黒霧が、突如として異なる質の気配を帯びた。


空気が、ざらつくような感覚に変わる。

温度も、音も、光さえも、奇妙に歪んでいく。


「……来たか」


ゾンメルが言ったその瞬間、霧の中心――闇の奥から、音もなく彼女が姿を現した。


闇に溶け込むような、漆黒のボディスーツと黒衣。

長く垂れる髪、仮面のように無表情な顔。

目元には、まるで他人の夢を映すような、静かな薄笑い。


「お久しぶり、と言うには早い再会ね。澪、柊。そっちのお二人は初めまして、ね」


低く、柔らかく、どこか眠たげな声音。

それでいて、耳元に囁くように侵食してくるその声は、聞くだけで思考の輪郭がぼやけていく。


柊さんが、わずかに眉を寄せて身構えた。


「ネリス……!」


雷蔵君が低く唸る。


「なんじゃ、ありゃ……。けんど、こっちの味方っちゅうワケでもねぇがや……」


ネリスは返事をしなかった。代わりに、一歩前へと出る。


その足音と同時に、世界が「歪んだ」。


廃棄施設の壁も、床も、天井も。すべての輪郭が溶けるようにぼやけ、まるで水の中にいるような幻惑感が空間を満たしていく。


「これは……!」


こはるが叫ぶ。わたしは目を閉じ、即座に視覚を遮断するように目を伏せ、皆に告げる。


「精神干渉空間よ!皆、意識をはっきり持って!」


「うふふ…、目を閉じたくらいでは私の【反響領域】からは逃れられないわ…」


ネリスの声が、背後から響く。だが振り返れば、今度は前方からも彼女が現れる。


三方から笑みを浮かべるネリス。どれが本物か分からない。視覚も聴覚も、情報としての価値を失っていく。


「貴方たちの心が生む“歪み”を、私に見せて。魂の質量を、覗かせてちょうだい…」


その瞬間、頭に一閃の痛みが走った。


柊さんは膝をつき、こはるが耳を塞いでうずくまる。雷蔵君も呻き声をあげながら、咄嗟に背中の壁へと叩きつけて自我を保とうとする。クロエは何とか堪えている様だ。


わたしはーー


「効かないわ。前にも、やられたからね」


頭痛は続いているが、耐えられない程では無い。わたしは幻影すら穿つようにと、真っ直ぐにネリスを睨む。


「精神耐性テストの“再演”……これは、選別の一環なんでしょ?」


ネリスの表情が、かすかに揺れる。


「ーーやっぱり、面白いわ。貴女…」


ゾンメルが一歩前に出て口を開く。


「幻想の刃が心を裂き、恐怖が本質を炙り出す。選別に最もふさわしい試練だ」


クロエがダガーナイフを手に、身構えながらハッキリと自らの意志を示す。


「あなた達の好きには…させない!」


ネリスはゾンメルを一瞥し、再び笑った。


「あらぁ、お人形さんが頼もしいわねぇ」


フフフと声を漏らし、目を細め私たちを見る。


「私にとっては、ただの観察よ。壊れゆく心が、どこで悲鳴を上げるのか。どれほど美しいか、知りたいだけ」


幻影の世界が、再び回転を始める。

心象と現実が入り混じる、悪夢のような空間。

ネリスの干渉領域「反響領域」は、すでに形成されていた。


そして、ゾンメルとネリス、四天王の二柱を相手に、私たちはこの試練の真の意味に直面することになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ