宿舎にて1 入所〜食事前
建物が近づくにつれて、胸の奥がじわじわと重くなる。
緊張なのかか、不安なのか、それとも単に疲れているだけなのか、私にもよく分からなかった。
まるで学校の寮のような外観。だけど、違う。
建物の壁はくすんだ灰色。その周囲を鋼鉄製の高い柵がぐるりと取り囲んでいる。柵の上部は内側に反り返り、鉄条網の代わりに何か金属製の爪のようなものが取り付けられていた。まるで、ここが脱走者を許さない檻であることを誇示しているかのようだった。
葵も燈もこはるも、神妙な面持ちで何も喋らない。こはるが手を握ってきた。
「ちょっと、こわい…」
その顔を見ると、何だか自分がしっかりしなければと言う気持ちが湧き上がり、自然と笑顔で答えていた。
「大丈夫、一緒に行きましょう」
こはるは少し安心した様だ。力なく笑いながら前を向き直す。
候補生の集団が近づくと、硬く閉ざされていた門が自動で開く。皆のブレスレットが淡く光を放っている。
「……全部、これで管理されてるんだ」
私の手首にはめられたブレスレット型の端末は、着けてから一度も外れていない。何度も確認したが、やはり継ぎ目は無く、金属でもない、樹脂でもない、だけど肌に吸い付くような奇妙な素材で、まるで自分の一部になったみたいだった。
大きな鉄製の両開きの扉をくぐり、建物の中に入る。内部に人の気配は無いが、見上げると建物の四隅、そして各階の角に黒く丸い監視カメラが沈黙を保っている。
人の気配はない。でも、誰かがずっと見ている気がした。
建物の中に入ると、空気が変わった様な感じがした。こはるが手を握る力を強くする。
廊下はひんやりと乾いていて、無臭。まるで消毒された箱の中に足を踏み入れたような感覚だった。
1次選考の時と同様に、ブレスレットに番号が表示され、床に淡い光の導線が延びている。
中は迷路のようだった。左右対称の無機質な廊下が延々と続き、光の導線がなければ5分と経たずに迷ってしまいそうだ。
ガイドに従い2階に上がる。すべての扉は同じデザインで、部屋番号などの表示は無い。そしてドアノブの代わりに、センサーのようなパネルが埋め込まれていた。
暫くこはると歩いていくとブレスレットにバイブレーションと共に通知が表示される。
――《葛城澪:区画D-215 入室許可》
目の前の扉に同様の表示が浮かんでいる。どんな仕組みになっているのだろうか?
「私、ここみたい」
こはるが泣きそうな顔でこちらを見つめてくる。この先1人で行くのが怖い様だ。
「約束したもんね?行こ?」
こはるに微笑みながら告げると、まるで花が咲いたような笑顔になる。手を引き歩き出そうとすると、こはるのブレスレットにも通知が来た。
――《南雲こはる:区画D-216 入室許可》
二人で視線を合わせる
「……プッ!」
「あはははは」
どうやら私とこはるはお隣さんだったようだ。
「良かったぁ、澪ちゃんの隣なら安心だよぉ」
目の端に涙を浮かべながらこはるが笑顔でこちらを見る。
「うん、私も安心したよ。それじゃあ、後で、ね?」
お互い指定された扉の前に立つと、ブレスレットが一瞬、微かに振動した。そして、音もなくドアが開く。まるで吸い込まれるように、私は中へと足を踏み入れた。
部屋の中は、整然としていた。
ベッドが一つ。シーツは白く、無臭。壁に設置された簡易モニター。小さな収納棚。
部屋に窓はあった。でも、それは開かない窓。分厚いガラスがはめ込まれ、外の風も音も通さない。まるで外の景色を映すだけの、絵画のような存在だった。
窓の外は、木、木、木…一面の緑だ。最初にバスで来た時も思ったが、日本にこんな場所があるのだろうか?
思案しながら部屋の中を散策する。空調も照明も、すべてブレスレットの設定で制御されるらしい。
壁や天井には、何のスイッチもない。
「……完全に、閉じ込められてるな、これは」
誰に向けた言葉でもなく、私は呟いた。唯一、私の意思で操作できるもの。それは、ブレスレットだけ。この部屋は、自由であるように見えて、徹底的に管理された空間だった。
ベッドの縁に腰を下ろし、私は天井を見上げる。薄い白色の照明が、私の輪郭を淡く染めていた。まるで、手術室のライトみたいだと、ふと思った。
「……はぁ」
深く息を吐くと、胸の奥にずっと絡みついていたものが、ほんの少しだけ、ほどけた気がした。
ベッドに仰向けになり、昼間の一次選考の事を思い出す。
(おじいちゃんの裏技が活きるなんて、本当に良かった……)
グループ3の人達、今では顔も名前も思い出せないけど、その人達はどうなったんだろう?
明日はひょっとすると自分が忘れられてしまうのだろうか?
私の技能は本当に通用するのだろうか?
こはるは泣いていないだろうか?
燈は何をしているんだろう?
葵も最初は冷たい人なのかと思ったけど、別の見方をすれば冷静沈着で、仲間としては十分心強い。
目を瞑って思案に耽っていた。
*
*
*
ヴィィィ、ヴィィィ、ヴィィィ…
ハッとする、どうやら眠ってしまっていたようだ。ブレスレットに通知が来ていた。
――《18:45:食堂 夕食》
夕食の案内だった。ブレスレットをタップすると、床に導線が浮かび上がる。
「本当に、便利ね。」
軽く髪と服を整え、私は部屋を後にした。
この時私は知らなかった。鏡に自分の姿が写っていないことを。
------------------------------