最終試験【第1層:対人格選別試練】
最終試験会場、そこはまるで万華鏡のように歪み、色彩が渦巻く空間。
空も地もなく、立っていることすら不確かな感覚。
それでも、私たちは「そこに立っていた」
「この空間は魂と魂の共鳴領域。試練の予備領域に過ぎない」
ゾンメルが言いながら、手を振ると空間が再び揺れる。
「最終選考“神鏡の審判”は、3層構造で構成されている。各階層は、君たち自身の魂が作り出す幻でもある。
だがーー幻想であれ、死ねば本当に死ぬ。気をつけたまえよ」
その言葉を最後に、ゾンメルの姿は霧のように消えた。
「ちっ、好き勝手言いやがって……」
雷蔵君が舌打ちし、拳を握り直す。
次の瞬間、地面が割れ、闇が広がる。そして、そこからゆっくりと、それが姿を現した。
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音もなく、重力も無視して浮かび上がったその姿。漆黒のボディスーツに血のようなライン。
その顔に仮面をつけた少女が、ゆっくりと澪たちに、手に握ったダガーナイフの切っ先を向ける。
「……栞」
柊さんが目を見開き呟く。しかし、私は一歩前に出て言う。
「違う……、この子は……クロエ…」
声が震える。
こはるの目がわずかに見開かれる。柊さんの瞳が揺れる。
「……クロエ……?」
その名を柊さんが呟くと同時に、仮面の少女が動き出した。
信じられない速度で、柊さんへと一閃を浴びせる。
「ちっ、やっぱ敵やったかよッ!」
雷蔵君が割って入り、鉄パイプを横に払う。クロエは寸前で見切り、後ろに下がる。
「構えぇッ!こいつァ……殺意だけで動きよるがや!」
回り込むような動きで、クロエがダガーナイフを構えながら距離を詰めようとする。私はバックステップで距離を取り、銃剣を構える。
「やめて……! あなた、本当に正気なの!?」
私の叫び声にクロエが、わずかに動きを止めた。
立ち止まり、クロエが静かに手を上げる。
何も語らない。仮面の奥に、感情は見えない。
だが、その動きに呼応するように、背後の闇から白い影たちがぞろりと現れた。
「……な、なんじゃあ……?」
雷蔵君が低く呻くように呟いた。
白いワンピース。年端もいかぬ子供たちの姿。だが、その子たちには目がない。いや、縫い閉じられている。
口は耳元まで裂け、引きつるような笑みを湛えていた。
「子供たち……」
こはるの声が震える。
「雑兵がいくら集まったところで、蹴散らしてくれるわ!」
柊さんが鋭く言い放つ。
子供の形をした、模造された悪夢ーーレプリカント・ドールズ。
次の瞬間、その子供たちが一斉に駆け出す。
刹那
「ッ……来るぞ!!」
雷蔵君が叫んだ。
襲い来る白い影たちは、走る寸前にだけ発する。「キィィィィーー」と、笑い声のような金属音が空間を切り裂いた。
耳障りな高周波。誰の笑いでもない、何かが壊れたような音。こはるが青ざめた表情で両耳を手で塞ぐ。
柊さんの双扇が子供たちの一体を両断した。
だが倒れたはずの人形は、腕をもがれながらも這い寄ってくる。
肉の抵抗が感じられない。機械のように、無表情に、ただ殺しに来る。
「どけ、こはるァ!」
雷蔵君が声を上げ、子供たちの群れに突っ込んだ。
鉄パイプが、目の縫われた顔面を砕き、振り抜かれる。その一体が数体を巻き込みながら吹っ飛ぶ。
「数が……多いッ!」
私は銃剣を横薙ぎにしながら、歯ぎしりをする。
柊さんが一体を倒したかと思えば、倒れた子供たちの身体を、別の子供たちが喰らい始めた。
「……っ、融合してる!? 形が……ッ!」
こはるが叫ぶ間にも、数体が融合し、腕が3本ある大型個体へと変異する。
「なんちゅうモンを……出してくるがよ、あん男は……っ!」
一方、その中枢ーークロエは戦場を静かに見下ろしていた。
仮面の奥に潜むものは、痛覚でも、怒りでもない。
「……っ、クロエ、やめて……あなた、ほんとはーー」
私の必死の叫びにも、ドールズの波は止まらない。
銃剣を握り、歯を食いしばりながら迎撃に加わる。
その背後で、こはるが雷蔵君と連携し、大型個体をナイフと鉄パイプで押し返そうと奮闘している。
「無駄や、こいつらにゃ感情は通じねぇ……!」
雷蔵君が叫ぶ。
「……けど、それでも……!」
叫び、斬撃、銃撃、刃物のきらめきと、笑い声のようなノイズ。
死を想起させる無垢な白。蹂躙される倫理。
だがその渦中で、私は確かに見た。
仮面の奥。クロエの眼差しが、ほんの一瞬だけ、揺らいだように。
(……やっぱり、完全に意識を失っている訳じゃ無い……!)
「来いやァ、ドールどもッ!! 全部まとめて、吹っ飛ばしちゃるきッ!」
雷蔵君が咆哮し、鉄パイプで大型個体の脚を砕く。バランスを崩し、巨体が地面に倒れ込む。そこをこはるがナイフでトドメを刺す。
頭部を貫かれた子供たちはピクピクと痙攣した後、動きを止める。
「弱点は変わってねぇ!頭を狙うんや!」
銀色の閃光が走ったかと思った刹那、数体の子供たちの頭が宙に舞う。柊さんは戦場を踊る様に、次々と殲滅していく。
襲いかかる子供たちの群れは、少しずつ数を減らしていく。
「数が減ってきたがよ……! 今のうちに畳み掛けるがよ!」
「ハァァアアッッ!!」
私たちの猛攻により、融合体すらも押し切る。最後の一体が地に崩れると、戦場に静寂が戻った、かに見えた。
だが。
「……まだじゃ」
柊さんがそう言った瞬間、重力の中心が変わったかのような、鋭い気配が走る。
仮面の少女ーークロエが、そっとダガーを引き抜く。
瞬間、空気が裂けた。
ガギィィン!
柊さんの脇を影の一閃が走る。刃と刃のぶつかり合で火花が散る。
「柊さんッ!!」
「……大丈夫じゃ……だが、速い……!」
クロエの動きは、目で追えないほどに滑らかで、殺意に一分の淀みもなかった。
クロエは柊さんの脇を通り抜けた勢いそのまま、ステップひとつでこはるの懐へーー
「くっ、来るなッ!」
こはるがナイフを振るより早く滑り込み、ダガーナイフでこはるのナイフを巻き取る様に引っかけて弾く。
ナイフがくるくると宙を舞い、クロエの踵がこはるの胸部に叩き込まれた。
「ッうあっ!」
こはるが数メートルほどふっ飛ばされる。
「オラァァ!!」
雷蔵君が吼え、地を蹴って鉄パイプを勢いよくクロエに向かって横薙ぎに振るう。
キンッ…!
クロエは動じず、ナイフで鋭く受け止めた。その瞬間、柄を支点にして身を翻し、伸身の前転のように軽やかに回転するーーその後、2人の位置が入れ替わり、雷蔵君の背を取る形でクロエが着地する。
一瞬の交錯。
「ぐうっ…!」
雷蔵君がうめき声を漏らす。その腕には赤い線が走り、血が滲んでいた。
クロエは回避の最中にナイフで斬りつけていたのだ。
「が……っ、こいつ……なんちゅう動きをするがかよ……っ!」
その刃は、合理的すぎて感情が見えない。
柊さんが再び飛びかかる。黒と銀の閃光が交差した瞬間、火花と血が舞う。
柊さんの脇腹に血が滲んでいた。私は柊さんが真正面から攻撃を受けるのを初めて見た。
「柊さん!」
銃剣を突き出すが、軽いステップでかわされ、次の瞬間には刃が眼前に迫っていた。
ブゥン!
血の気が引いたその刹那、目の前を影が走る。雷蔵君の上段からの振り下ろしに、クロエが刃を退き後方に回避した後だった。
「あ、ありがとう…」
今、雷蔵君が割って入っていなかったら、私の首が落とされていたかも知れない…!背中に冷たいものが流れる。
「殺す動きに迷いがねぇ……!」
こはるがナイフを拾いけん制を試みるが、クロエは低い姿勢でかわし、壁を蹴って跳躍。逆方向から迫る。
そこに合わせ柊さんが回転薙ぎするも、超低心でスライディングの様に躱しながら足元を切り払う。
「なんで……あんな動き……っ、まるで機械みたい……!」
4対1ーーだが、追い詰められているのは明らかにこちらだった。
クロエは、柊さんと互角かそれ以上の格闘技術を持ちながら、さらに殺傷速度も持っている。
彼女の狙いに牽制という言葉は存在せず、止めるではなく殺すための攻撃だけが続く。
(ダメ……このままじゃ、誰かが……)
私は必死に距離をとって銃剣を構える。雷蔵君は肩を押さえながら立ち上がる。
こはるは歯を食いしばりながらナイフを構え、柊さんは両手に扇を広げ睨み続ける。
その中央で、仮面の少女は一言も発さず、ただ静かに構え直す。
白く細い指が、血を拭ったダガーを再び持ち直す音だけが、やけに鮮明に響いた。
戦場の空気が、また一段と冷たく変わる。
そしてーー
次の瞬間、再び死の輪舞曲が始まった。




