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再構築

「燈ちゃん…」


崩れた壁の向こう側には無数に並んだ培養槽が有った。その中で若い男女が眠る中、私はある1つから目が離せなくなっていた。


眠ったような安らかな顔で、薄緑色の液体の中に浮かぶ少女。私はこの少女の事を知っている。知っていたはず。


ーーだが、頭の中に靄が掛かった様に判然としない。


その場所は異様なほど整然とした空間だった。

白い壁。磨かれた床。高い天井からは静かに冷気が降り、無数のパネルと配線が天井へと伸びている。


「……!」


後ろから入ってきた3人が息を呑む。雷蔵君が震える声で呟く。


「ま、まさか……人間……か?」


私は答える事が出来ず、ただじっと燈ちゃんの顔を見つめていた。


「…なんじゃ?知り合いか…?」


雷蔵君が訝しげに眉をひそめ尋ねる。こはるも首を傾げた。柊さんは目を細めている。


雷蔵君の問いに頭を横に振る。しかし、胸の奥に何かがーーギリギリと軋むような、痛みにも似た感覚が襲ってくる。


喉の奥で何かが泡立つ。名前だけでなく、声や笑顔、指先に触れた感覚までが、薄い膜を通して蘇ろうとしている。


「私……この子、知ってる。たしかに……どこかで……」


何か手掛かりは…私は周りを見渡した。隣の培養槽で眠る少年の顔は…葵君…?


「…!?」


その瞬間、脳裏を裂くような強烈なフラッシュバックに襲われる。


ーー葵君が笑っている。燈ちゃんが怒っている。誰かが、名前を呼んでいる。


痛み、涙、約束。血。最期。別れ。


「……っ!」


強烈な頭痛に襲われ、思わず膝をつく。


ポタッ、ポタッ…


床に赤い染みが出来る。鼻血が出ていた。鼻の奥がジンジンする、頭がクラクラして目眩が酷い。


「澪ちゃん!?」


フラフラとよろめく私にこはるが駆け寄り、肩を抱き支える。


その時


「ーー思い出したのか。君は、やはり例外だな」


不意に、後方から声がして、一同が一斉に振り返る。


そこに立っていたのは、黒衣を着用した長身の男。顔の下半分は重厚なガスマスクに覆われ、頭にはフード、全身は液体防護用のスーツに包まれている。


その佇まいは医師にも処刑人にも見える。


「貴様……!」


雷蔵君が身構える。だが男は、まるで気にも留めぬように手を挙げて見せた。


「殺す気はない。今はな」


冷たい瞳が培養槽を見渡し、マスクの向こう側で少し笑った様だった。


「ここは【処理室】だ。ーー死んだ者、あるいは存在が削除された者を、再構築・再起動する場所だ」


「……再起動、じゃと……?」


柊が震える声で問い返す。


「君たちが選考と呼んでいた舞台は、実のところ、素材とデータの選別システムに過ぎない。」


「システム…?」


私は鼻血を袖で拭い、こはるに支えられながら男を睨む。


「ああ、そうだ。魂と記憶を定量化し、価値のある“核”を抽出するための舞台装置だ」


男は冷たく言い放つ。


「じゃあ、あいつらは……もう死んでるっちゅうのかよ…!?」


雷蔵君の叫びに、男は涼しい顔で答える。


「死んだ者もいる。消された者もいる。だが今は、修復中だ。死は終わりではなく始まりなのだよ」


こはるが私を支えながら男に尋ねる。


「確かに皆、生きてる…音、聴こえるもの。じゃあ、貴方は皆を助けているの?」


「うん?助けている、と言うのは語弊があるな。失った身体や記憶、人格を再構築している……もっとも、元と同じ人格になるかどうかは保証しないがね」


男はまるで何でもない事の様に、極めて冷静にこはるの問いに答える。


「…ふざけるなッ!」


雷蔵君が拳を握り締めた瞬間、私は立ち上がる。思い出した、何もかも。


「なぜ……思い出せなかったの……? どうして、忘れてたの……燈ちゃんや葵君、他の皆の事を」


その問いに、男は静かに首を傾げた。


「“禊”とは、記憶の消去ではない。“魂の履歴から、存在そのものを削除する技術”だ。記憶を封じたのではない。君たちの魂から、彼らの“痕跡”そのものを消した」


ーー沈黙。


冷たい風が吹き抜けるような感覚に、声を発せられなかった。


その場に立ち尽くす。涙のかわりに、奥歯を強く噛み締めながら、絞り出すように言葉を放つ。


「…許さない……絶対に!」


男は、その言葉を受けてもなお、静かに佇んでいる。


「ならば、君がどう動くのかーー興味深く観測させてもらおう」


(…この男は…許さない!絶対に…)


強く拳を握りしめ、一歩踏み出しかける。


「……その先は、やめておけ」


男が片手を差し出し制止する。その声は低く、静かだった。だが、確かに空気が揺れた。


次の瞬間、施設全体に微かな振動が走る。

それに呼応するように、培養槽の警戒灯が赤く点滅を始めた。


「っ……!」


私は踏み出した足を止める。柊さんと雷蔵君が身構え、こはるは目を見開いた。


「……何を、した?」


私は男を睨みながら問いただす。しかし男はやや肩をすくめるように首を傾けるだけだった。


「言ったろう。修復中だと。つまり私は“壊す気はない”。だが君たちが無分別に暴れるなら話は別だ。戦闘行動を検出すれば、この培養ユニットは自動的にリセットに入る」


「ふざけんな!」


雷蔵君が拳を振り上げるが、柊さんが扇でそれを制する。


「落ち着け!」


「……っち」


渋々拳を下ろした雷蔵君を見届け、満足気に男は再び口を開く。


「これらは、いずれ資源として再利用される。君たちが感情を動かそうと、もはや選定の枠からは外れた存在だ。」


「…ふざけないで!資源ってどういう事よ!」


男は私の問いには答えず、更に続ける。


「だがーーその感情をどう使うかは、まだ選べる立場にある」


男は私の方を見る。ゴーグルの奥に光るその瞳は、鋭く、深く、揺るぎない。


「澪・カツラギ。君には最終選別への権利がある。鍵を有する、唯一の被験体。今この瞬間から、最終試験が始まる」


「……最終試験?」


こはるがかすれた声で問う。


男は静かにうなずくと、施設奥の白い自動扉に手をかざした。


「来たまえ。魂の質量を問う、最終審判の場だ。選ばれし再構築者として、君たち自身の意味を測るときが来た」


扉が開く。


「君たちの中で誰か一人でも試験を通過すれば、そこの彼等も解放されるだろう」


扉の向こうには広大な白い空間が広がっていた。まるで無菌手術室のように、何も存在せず、何も定まっていない、空虚で冷たい空間。


私の中で何かが告げていた。

ここで、終わらせるわけにはいかない。

ここで、すべてを取り戻す。


「……行こう。私たちの戦いは、まだ終わってない」


私の声に、雷蔵君がうなずき、こはると柊さんもその後に続く。


白い扉が、無音で閉じた。

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