輪舞曲
天井のない空間。どこまでも灰色の床が広がっている。
何かが歪んでいる。空気の密度が違う。光も、音も、少しずつズレている。
「柊さんっ……!」
声は、虚空に吸い込まれるようだった。
その時、ぎぃ、と金属の擦れる音。
前方の影が、ゆらりと起き上がる。
……それは、柊さんの"妹だった"ものだ。
裂けた皮膚、歪んだ背骨、浮き出た耳。
人の言葉を失くした、異形の化け物。
咆哮もなく跳躍してくる。
「右!」
私は柊さんに向けて叫び、銃剣を構え直す。
これがあの子だったとしても、迷っている暇はなかった。
柊さんは、鉄扇を広げながら一閃。
舞うような動きで空気を裂き、怪物の顎へ鋭く打ち込む。
「栞!眠れ!」
その一言に、化け物の動きが一瞬だけ揺らいだ。
ほんのわずかにだが、首が傾き、柊さんの声に反応したように止まった。
「いま!」
私はその隙を逃さず、側面から飛び込み、銃剣の切っ先で喉元を貫いたーーが、感触がぬるく、歯が立たない。
化け物の肉体は柔らかく、粘膜のようにねちついて、刃を飲み込んでくる。
「効かない……!」
次の瞬間、異常な速度で生えた腕がこちらを振り払ってきた。
柊さんがすぐさま背後に回り、関節へ鉄扇を叩き込み、打ち落とす。
「…ねえ…さま…」
柊さんの身体がビクンと止まる。異形の化け物の肩がモゾモゾと蠢き……
ーーそして、栞ちゃんの顔が現れた。
「い…痛いよ…ね、ねえ…さ…ま…」
柊さんの顔面が蒼白になり、肩がワナワナと震えている。
「柊さん…!」
わたしは銃剣を化け物から引き抜き、バックステップで距離を取る。
「ね…え…さ…ま……」
化け物はゆらりゆらりと、立ち尽くしている柊さんににじり寄って行く。
「…黙…れ……」
低い、怒りとも悲しみとも取れる感情を乗せた言葉が柊さんの口から漏れる。
「た…助け…て……ねえ…さ……」
ーーずるり、ゴトッ
表情が固まったまま、栞ちゃんの頭が化け物から切り離され、床に落ち鈍い音を立てる。
「…ね…え…さ」
ズシュ!!
「黙れと言っておる…」
床に落ちた化け物の頭部を、鉄扇で下から払い抜け粉砕しながら柊さんが言葉を放つ
「この様な児戯!わらわには効かん!コソコソ隠れず出て来い!ネリスとやら!!」
「うふふ、強いのねぇ…」
冷たい声が響き渡り、周囲の空間がぐにゃりと揺れた。
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黒煙の中から、敵が現れる。
黒鉄の鎧を身に纏った、歩く焼却炉。死体のみならず、自ら殺戮を繰り返し、人間を焼き殺す焼却兵。
その重い鉄の塊が、二足で這い寄る。内部で燃え盛る炎が唸る。
ーーヒュオオォォオ…
焼却兵の吸気音が響く
「来るよ!後方! 」
私の声と同時に、私たちは左右へ跳ぶ。
次の瞬間、火炎が弧を描き、さっきまで立っていた場所を灼いた。
床が焦げ、焼けた鉄骨が露出する。
「こいつ……ただの幻じゃないの?!」
「構造、現実と一致しておるな……!」
焼却兵がずん、と一歩踏み込むたび、床が焼き抜かれていく。
そしてその後ろには、白骨が転がっていた。
――そこから、何かが這い出てくる。
「骨……?」
眉を顰める柊さんに叫ぶ
「違う……骨車!」
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白骨と鉄が融合した塊。
それが、車輪のように丸まり、ギィィッと金属音を鳴らして高速回転を始める。
そのまま直進――!
「来るッ! 真っすぐしか進んで来ないから!回避優先!」
私は横に跳ぶ。
柊さんも床を蹴って避け、骨車は私たちの間を疾走していった。
骨車は焼却兵の向こう側で旋回し、走行形態から歩行形態へと変わる。
ヨロヨロと歩行しながら、焼却兵の焼却口から吐き出された骸を拾いあげ、吸収していく。
そこから得た素材を再構成し、自分の躯体を再生し、巨大化する!
「循環構造……幻のくせに、無駄に凝っておるな」
柊さんが扇を翻しながら、カロリファーの脚に一撃を入れる。その巨躯がぐらりと揺らぐ。
追い打ちをかけようと銃剣を振りかぶるが、骨車の突進が目の端に入り、咄嗟に身を捻る。
ーーズオオオォォ…
紙一重で突進を避け、体勢を整えながら骨車の走り去った方向へ向きを変える。
既に骨車は向こう側で旋回し、再度こちらに突進を開始しようとしていた。
私は腰を低く落とし、骨車の動きに集中する。
「ーーここっ!」
骨車の突進を避けながら、銃剣を横に薙ぎ骨車を横から殴りつける。
焼却兵の方向に誘導し、互いにに激突させた。
ガキィィィンッ! と火花が弾け、骨車がバラバラになり、焼却兵も胴体に大きな凹みをつけ、横転する。
「今……!」
柊さんと同時に、私は左右から打ち込んだ。
鉄扇が骨車の髑髏を、レンチが焼却兵の心核を砕く
ーー化け物共はノイズのように崩れ、影が消えた。
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けれど、そこで終わらなかった。
「……また、来る」
空気が変わる。今度は、音も、匂いも、違う。
四方からヒタヒタヒタ…という小さな、裸足の足音ーー
白いワンピースに身を包み、目は縫い閉じられ、耳まで裂けた真っ赤な口に異様な笑みを浮かべる子供たちーー
レプリカント・ドールズ
柊さんがすっと前に出る。
「澪、目を閉じておけ。これから先は、感覚だけで乗り切るのじゃ」
「……わかった。私、聞く。柊さんの声だけ」
私は瞳を閉じた。
耳だけで世界を感じる。呼吸のリズム、風の流れ、床の振動。
子供の笑い声に似た、不快な高音をまき散らしながら子供たちが刃物を手に襲いかかる。
「右手前、二体。左奥、包丁を振りかぶる音」
「はいっ!」
私は跳ね、銃剣を横薙ぎにする。鈍い感触と、影が崩れる手応え。
「今度は、天井からも来るぞ。上段、距離2メートル。扇で裂く!」
柊さんの気配が跳び、空気が裂ける音と共に数体が崩れた。
その一撃に応じて、私は床の振動で地を蹴り、次の動きを探る。
柊さんの指示が的確で、私達はまるでダンスを踊っているようだった。
本物の舞と、殺意が同居しているような、気高く鋭い動き。
「息、合ってるね……柊さん」
「うむ。……お主と、わしは、現実にいる」
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全ての幻が崩れると共に、空間が砕けるようにひび割れた。
私たちは同時に息をつき、顔を見合わせた。
その瞳の奥に映るのは、今ここにいる現実の、確かな証だった。




