焔と仮面
「……葵くん? 燈ちゃん?」
私の声は誰にも届かない。
神鏡の間に響いた“禊処理完了”の宣言とともに、葵君と燈ちゃんの姿は消えていた。
正確にはーー誰の記憶からも「消された」のだ。
彼らがそこにいたという“事実”だけを残して、存在の痕跡は音もなく塗り潰されていた。
頭の奥で、冷たい霧が渦を巻く。
——彼らの顔が思い出せない。
さっきまで隣にいたのに。笑っていたはずなのに。
(これが……禊)
無意識に腕を抱きしめ、足元の空気を探るように見下ろした。
「……この先に進むのじゃな?」
声がかかる。柊さんだった。銀の扇子をたたみ、黒紅の着物を揺らしながら、静かに歩み寄ってくる。
だが、その瞳の奥にあるのは、静謐と諦念と、怒りの混ざった赤い光だ。
「進めるのは、儂とお主だけじゃ」
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中央管制塔——神鏡の奥層。
私と柊さんは無言のまま、静かに降下する円形の通路を進む。
空間は光も音も沈黙しており、ただ遠くで水面を叩くような反響だけが響いていた。
そして、通路の先にはーー
「……あれは?」
半壊した記録装置。無数の断線したケーブル。
その中に投影された、少女の記録映像。
ーー長い黒髪。仮面。動きの一つひとつが誰かに似ている。
「…統率者……?」
呟いた瞬間だった。心臓が強く脈打ち、脳裏にいくつかのイメージが走る。
ーー誰かと笑い合う。
ーー小さな手を引かれる。
ーーそして、冷たい水の底へと消えていく。
「小娘。見ろ、この仮面」
柊さんが、仮面の一部を接続した制御モジュールを指差した。その表示にはこう記されている。
【感情抑制モード:有効】
【自己同一性制御:ON】
【記憶統合:停止】
「やはり……この仮面は、“感情”を閉ざすもの。記憶も、感情も、抑えて操るための装置……」
「じゃあ、あの子は——」
「あの冷静さは自前では無さそうじゃの、誰かに支配されておるんじゃ」
柊さんがそこで口を閉ざし歩みを止める。
その時、警報が鳴り響く。
ーー侵入者反応。
ーー区画封鎖。
「…どうして? 私達は合格したはずなのに警報が?」
柊さんに尋ねる
「……ふむ、どうやらG.E.A.R.の“神鏡”は、儂らの存在を受け入れておらんようじゃな。禊を超えし者は、既に“選考の外”にある、ということかの」
金属の音が迫ってくる。
私達が振り返ると、白のワンピースを着た人形たち——レプリカントドールズの群れが姿を現す。
その先頭に立つのは、あの黒髪の少女だった。
「選考、再定義基準により、澪・柊、両名を排除対象と認定」
私は黒髪の少女に尋ねる。
「どうして……!」
「命令に、従うだけ……」
感情の無い声でそう答えると、ドールズたちに攻撃命令を下す。
「来るぞ!」
柊さんが扇子を開いた刹那、足元に閃光が走る。戦闘が始まった。
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レプリカントドールズが、高音の笑い声を撒き散らしながら一斉にこちらへ突進してくる。
「くっ……!」
反射的に跳び退き、銃剣で薙ぐ。2体ほど胴体と下半身がバラバラになり吹き飛ぶ。そのまま勢いをつけて回転し、更に攻撃を加える。
レプリカントドールズは一体一体の耐久力や攻撃力は高くない。恐ろしいのはその数と統率された動きだった。
「数が…多い…!」
レプリカントドールズの一体は、破壊された仲間と融合し、自らの肉を再構築していく。一回り大きくなったそいつは、耳まで裂けた口に笑みを張り付けたまま、再度隊列に加わる。
「数が多すぎる。柊さん!」
呼ぶと同時に、銀の閃光が私の横を駆け抜けた。
柊さんが扇を一閃、舞いのような軌道で5〜6体の敵をまとめて一息に斬り裂く。
その動きに無駄はなく、風のように滑らかだった。
「妙な人形どもじゃが、連携は悪くないのう……」
だが次の瞬間、柊さんの背後にすり寄る影があった。
「危ない!」
私が叫ぶ前に、音もなく黒い影が飛び出した。
ーーそれは、他とは異なる気配を放つ少女。
漆黒の仮面に、長い黒髪。どこか人間離れしたその気配に、私の心臓が跳ねた。
「この子…スピードが違う!」
仮面の少女は、空中を一瞬で移動して柊さんに迫る。鉄扇とダガーが交差し、火花が散った。柊さんが後方に跳び退く。
「……お主、真似が上手いのぅ?」
柊さんが静かに問うた。だが、仮面の少女は何も言わない。柊さんと同様に舞うように前進し、次々とダガーを振るってくる。その動きは柊さんそのものだった。
「一朝一夕で真似できると思わない方が身のためじゃぞ…!」
互いに互いの得物を弾き、距離を取る。
「死扇…」
柊さんが呟き、ゆらりと揺れたかと思った次の瞬間、一条の銀色の稲妻が迸る。
ーーガキィィ…ン
激しい金属音と共に、柊さんが突き出した鉄扇と黒髪の少女が繰り出したダガーの切っ先とがぶつかり、互いに弾かれる。
「…!?…なっ?!」
柊さんが驚きの表情で言葉に詰まる。
「柊さん、屈んで!!」
私は柊さんの陰から銃剣を突き出し、少女に強引に打ち込む。仮面の少女は微かにたじろぎ、数歩下がる。が、体勢を崩すことはなかった。
「強い。これまでの奴らとは桁が違う…」
仮面の奥で、目が光る。赤く、冷たく。
「こいつ、本当に人間なの……?」
そのとき、柊さんが何かに気づいたように目を細めた。
「主、やはり正気ではないな?」
仮面の少女は答えることはなく、低く手を上げた。背後のレプリカントドールズたちが、それを合図に再び一斉に襲い掛かる。
「くっ、まだ来るの!?」
私と柊さんは背中合わせに立ち、包囲されながらも反撃に転じる。私は銃剣を、柊さんは鉄扇で応戦する。敵は止まらない。手加減も、容赦もなかった。
しかし、黒髪の少女と比較すると対処出来ない程では無い。徐々に数が減ってくる。
しかし、そこに再び黒髪の少女が参戦する。
ーーキン…!
ーーカキン…!
ーーズシャッ…!
ドールズを撃退しながら、ダガーを弾くが、少しずつ押され始める。
「ぬぅ、まずいのぅ。小娘、少し時間を稼げるか」
柊さんがドールズ2体を紙切れのように切り裂きながら言う
「分からない!でも…やってみる!」
片手に銃剣を持ち、もう片方の手にレンチを握る。
(…おじいちゃん…守って!)
二刀流よろしく、銃剣とレンチでドールズと黒髪の少女を牽制する。倒すのではなく、横薙ぎにし、弾き、時間を稼ぐ事に専念する。
「ハァ…ハァ…あんまり…長くは保たないよっ…!」
幾度かの攻撃を何とか凌ぎ、肩で息をしながら叫ぶ
「待たせたのぅ、代われ」
柊さんが静かに鉄扇を持ち上げ、両手の扇を擦り合わせる。
ーージャッ!ボッ!!
金属の悲鳴のような火花が散り、刹那ーー扇の先端に、緋の炎が咲いた。
「……焔葬・彼岸廻り……」
低く呟いたと同時に、彼女の身体が風に乗るように回転する。
くる、くる、くるーーまるで赤い彼岸花が咲き乱れるかのように、柊さんは舞い、殺す。
烈火を纏った鉄扇が閃くたびに、ドールズの身体が断たれ、命の華が散る。
そしてーー
流れるような一閃。
炎を纏った鉄扇が、黒髪の少女めがけて振り下ろされる。そして振り抜かれた扇を、息もつかせず翻りざまに打ち上げる。
ーーキィィン!
火花とともに、少女の仮面の一部と手にしていたダガーが吹き飛ぶ。
仮面の割れ目から、水色の瞳が覗いた。震えていた。その瞳は、明らかに動揺していた。
「……くっ……!」
少女が数歩後退し、白い指で仮面の断面を押さえる。
その刹那ーー少女の口から、年相応の弱々しい声がこぼれた。
「……ね、ねえ……さま……?」
柊さんの全身が凍りついたように動きを止める。
「……!?」
塔内に、突如けたたましい警報音が鳴り響く。
ーー『再定義対象クロエ・03に異常値確認。精神コアの不安定化。記憶遮断プロトコル起動』
仮面が赤い閃光を放ち、少女の身体がふらりと揺れたかと思うとーー膝から崩れ落ち、それをドールズ達が受け止める。
「ま、待つのじゃ!」
柊さんが叫び、駆け寄ろうとする。だが、いつの間にかドールズたちが再び包囲を固め、進路を阻む。
「邪魔を……するなあッ!!」
燃え盛る扇がドールズの群れを切り裂き、焼き払う。
だが、その頃には、少女の姿はすでに、塔の闇の中に消えていた。
あとがきーー
遂に柊とクロエの直接対決!頑張りました!




