遺構
ーーブーン……
仄暗い部屋に低い規則的な機械音が響いていた。部屋の中央にはガラス製の精巧な工業用コンテナのような角張った構造の容器が見える。
容器には無数の細いチューブが複雑に絡みついており、その中で淡い緑色の液体の中に真っ白な人影が一糸纏わぬ姿で揺蕩っていた。
少女の腕や胸に直接つながる微細なチューブが、生命を維持する酵素や修復用の成分を絶え間なく送り込んでいた。
クロエの肌はその光の下で半ば透けるように淡く、彼女の胸はゆっくりと上下していた。
ゾンメルは、操作パネルの指先を軽く滑らせながら、冷たく無感情な声で言った。
「クロエ、今日の修復サイクルのデータを確認しようか。細胞の合成率は1.003倍、分裂速度は予定通りだ」
少女はゆっくりと目を開け、視線をゾンメルに向けた。水色の瞳は人間そのものだが、その奥にはどこか淡い虚ろさがある。彼女は自分の手を何度か握るような仕草をした後、かすかな声で答える。
「身体能力に問題は有りません。本日の戦闘データはネリス博士に提出済みです。」
ゾンメルはわずかに微笑んだ様に見えた。だがそれは慈しみというより、むしろ実験者の満足を表す笑みに見える。
「そうだ、クロエ。遺伝子を複製し、人工的に育成したその身体は、自然の治癒力をほとんど持たない。細胞の自己修復も脆弱でな。だからこそ、この培養液エンハンスド・バイオティック・フォーミュラが必要不可欠だ。」
クロエの顔に視線を移し、饒舌に続ける。
「お前の細胞を日ごとに再構築し、脆弱な身体が崩れ落ちないように支えているのだよ」
ゾンメルはクロエの頬から首筋、胸からその先端の蕾まで指を這わせる。クロエの身体がピクリと微かに震える。
ゾンメルは指についた培養液を舐め取り、その後、遠くの測定モニターに浮かぶグラフを指差した。
そこに細かく刻まれたピークと谷は、彼女の細胞活動の証だった。
「素晴らしいデータだよ、クロエ。死は終わりではなく始まりだということが証明されつつある」
虚ろな瞳でゾンメルを見つめるクロエとは対照的に、ゾンメルは興奮した声で声のトーンを上げる。
「お前は、人間と見た目は変わらない。思想も感情も――ただし、生物としての基本機構が、自然を経ていない!素晴らしい!本当に素晴らしい!」
両腕で自分の肩を抱きながらゾンメルは悦に浸る。
「しかし…培養液が切れたら、私は消失する。細胞が再生出来ず、身体が崩壊する。」
クロエは淡々と答える。指先は液体と接する腕をかすかに引き寄せた。ゾンメルはやや視線を外し、ゆっくりと視線を戻す。
「それが、実験の宿命だ、クロエ」
低く言い放つ。
「だが心配するな。私は培養液を日々改良し続けている。やがて自然治癒機能を持たせるアダプターも成功させる予定だ。君はその試作品でもある」
それを聞いてもクロエの表情は殆ど変化しなかった。その瞳には深い孤独と、逃れられない未来への不安が宿っている。
部屋の蛍光灯が冷たく瞬き、培養槽の液体が穏やかに波打つ。彼女は息をつき、言葉をこぼした。
「…私は、誰のために生きているのだろうか…?」
ゾンメルはその問いに何も答えず、ただクロエの頭を撫でながら、冷たく微笑んだ。
「君は、私の進化の礎だよ、クロエ。──そして世界の、次の段階の礎になるのだ」
仄暗い部屋の中、培養液に浮かびながら少女は静かに目を瞑る。
彼女の未来は、実験装置の中に、そしてゾンメルの見据える未来の陰に漂う様だった、ゆらゆら…ゆらゆら…と……。




