交差
少女の統率によって、子供たちの攻撃は熾烈を極め、私達は撤退を余儀なくされていた。
「う、うそでしょ……!? なんで……なんで逃げても逃げても追ってくるの!?」
背後から聞こえる、乾いた足音と、空洞のような笑い声。
こはるの叫びに答えるように、子供たちが暗がりの中からにじり出てくる。白いワンピースに染みついた血と泥が、現実離れした悪夢のようだった。
「全員、バラけて!集まっていると集中攻撃を受けてしまう!」
葵君が叫んだ瞬間、手首のブレスレットがピピッと短く鳴る。
「……!」
その音に、私の背中に冷たい汗が伝った。
「まさか……これで、位置を――!」
私達全員が身に着けているブレスレット。生体センサーをはじめとして、各種認証センサーやドキュメント表示、機構からの情報通知など、超高機能ウェアラブルデバイスだ。それは機構からは選考用のデバイスだと説明されており、特段疑問にも思わなかった。
ーーそこに敵からの“視線”がリンクしているとは想像もしていなかった。
「くそっ……! 見られてる、あいつに全部……!」
燈ちゃんが飛び込むように茂みに身を投げ、息を殺す。
その上空を、子供たちの一体が跳ねるように飛び越えていった。笑い声とともに。
「どうやって……隠れても、回り込まれてる……! 完全に読まれてる!」
息を切らしながら、私は背後にある配管の影へ身を潜めた。
だが、そこにも白い影がじわりと近づいてくる。
――もう、逃げ場がない。
その時、遠くで少女の声が響いた。感情の抜けた、冷たい機械のような声。
『現在位置、確認完了。残存個体、五体。次段階に移行。』
彼女の黒鉄の仮面が中枢制御と連動しているのは明らかだった。
まるで女王蜂と働き蜂。全ての子供たちが、女王の意思に従って迷いなく動いている。
「もう一歩も動けん……!」
雷蔵君が呻くように、膝をついた。
私も、手の中の銃剣を見つめ絶望感に苛まれていた。
ーーこのままじゃ、殺される。
一人ずつ、正確に追い詰められ、笑いながら解体されるだけだ。
(何か……何か方法を……)
頭が真っ白になる中で、私はかすかに胸元の鈴の音を思い出した。
柊の言葉。
(今無理をせねば、いつすると言うのじゃ――)
逃げてばかりでは、何も変わらない。
「……もう、迷ってる場合じゃない……!」
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「――ぐっ……!」
雷蔵の呻きが響いた。
右腕が、もう動かない。骨車との戦闘で受けた損傷は予想以上に深刻だった。布で応急処置はしていたが、子供たちの容赦ない斬撃がそれをさらに悪化させていた。
何体もの白い影が、ぬるりと包囲を狭めてくる。耳元まで裂けた口元が、無音の笑みを湛えている。
「くそっ……動け……!」
無理に体を動かそうとした瞬間、激痛が背骨を走った。片膝をつき、雷蔵は歯を食いしばる。
その背を、こはるが泣きながら必死に支えていた。
「雷蔵君、もう無理よ…もう、充分…お願い、これ以上は……!」
こはるの声が震える。彼女の体も限界だった。仲間を庇い、逃げる隙を作り続けた彼女の小さな体が、今にも崩れそうだった。
子供たちの一体が跳ねるように飛びかかる――!
その瞬間。
「下がれ、雑兵が」
重なるように響いた女の声と、鉄扇が描く風の弧。
――ザンッ!
飛びかかってきた子供たちの首が宙を舞う。
「柊……さん……!」
こはるの目が見開かれる。
血の気の引いた唇。だがその身に纏う気配は鋭く、鋼のように研ぎ澄まされている。
肋骨を折っていたはずの体は、粗末な布で固く巻かれていた。まるで即席のコルセットのように。
それでも、彼女の動きは一分の隙もなく、美しかった。鉄扇がきらめき、襲い来る子供たちを次々に斬り裂いていく。
『…これが、“本来の戦力”というわけ…』
仮面の奥から、冷たい声が響いた。
少女が呟く。全身黒のワンピースに身を包み、他の子供たちとは対照的な存在。
『集中、目標:新規戦力体。候補者No.8 識別コード:旧GEAR番号第零位候補、“柊”』
仮面越しに、柊を見据える。
しかし――
『――撤退せよ。クロエ』
管制の方角から、ノイズ混じりの命令音が響いた。
クロエが微かに反応を見せる。
『理由、要求――』
『指示優先順位:最上位。データ収集は目的値を充足。対象“柊”との接触は不要。現戦術目標、変更』
仮面に埋め込まれた制御装置が、一瞬、鈍く赤く光った。
『……了解。子供たちーーレプリカント・ドールズ、撤収フェーズへ移行』
クロエが背を向けると、周囲の子供たちもまるで電源が落ちたように動きを止め、一体また一体と霧の中へと姿を消していった。
あれほどの脅威が、一瞬で引いていく。
柊はその場に立ち尽くしていた。
仮面の下で見えないクロエの目と、確かに一瞬だけ交わった気がして、息を呑んだ。
「…た、助かった…のか?」
燈ちゃんがその場にへたり込む。しかし私は違和感が拭えなかった。
(なぜ…柊さんが強いとは言え…今、撤退命令……?)
ただ、柊さんの目は冷えたままだった。追わない。叫ばない。今までの彼女なら執拗に追撃していた筈では…?
私の違和感と疑問を他所に、柊さんはただ、目を細め仮面の少女が消えた闇を見つめていた。




