鎮魂
こはると燈が柊の元にたどり着いた時、彼女は血の気を失い、ぐったりとしていた。呼吸は浅く、胸元が不規則に上下している。
「柊さん……!」
こはるが震える指先で、彼女の胸元にそっと手を当てる。
「肋骨が折れてる……でも、命は大丈夫。脈もある!」
そう呟いたこはるの眉が、不意にひそまる。
「……これは……?」
手のひらに微かな震えを感じた直後、柊の腕がガシッとこはるの手首を掴んだ。
「……ぬしら……まだ、生きとるか……」
かすれた声が確かに響いた。
「喋らないで!肋骨が折れてるの!」
こはるが慌てて制止するも、柊はゆっくりと上体を起こし、よろけながらも立ち上がる。
「こんなもの……かすり傷じゃ……ゴホッ…」
そう言って口元に血の塊を吐きながらも、柊の瞳には確かな決意が宿っていた。
「お、おい、骨が折れてるって……無茶すんな!死んじまうぞ!」
燈が支えようとするが、柊はその手を制し、力強く言葉を紡ぐ。
「今無理をせねば、いつすると言うのじゃ……我は、あの子を……栞を……眠らせてやらねばならん」
ちりん――
その言葉と共に、柊の胸元から鈴が転げ落ちる。こはるが素早く拾い上げ、柊に手渡した。
「やっぱり……ずっと鈴の音が聞こえていたのは、あなたが持っていたからなのね…」
柊は震える手で鈴を受け取る。
「この鈴は…我ら舞の一族に伝わる、導きの鈴じゃ。化け物になろうとも、この音だけは、きっと心に届く……」
「じゃあ……、鈴を囮にして、誘き出せるってこと?」
燈が食い気味に問うと、柊は目を細めた。
「音を追う性質は変わっておらん。目ではなく、音……ならば、鈴で道を作ることはできる。谷底に投げ捨てられた鈴とは別じゃ。この鈴は、我が懐に残していた"対"の一つじゃ」
「じゃあ、今度は仕留めるために―使うってことだね」
燈の声に、柊がわずかに笑う。
「そうじゃ、姉として……終わらせてやらねば、ならんのじゃ」
こはるが静かに言った。
「だったら、私達で音の道を作ろう。柊さんはまだ無理しちゃダメ。私が鈴を鳴らしながら、化物を誘導する……燈ちゃんは柊さんをサポートしてあげて」
「よし、任せろ!」
燈が力強く頷く。
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暗い洞窟に、かすかな鈴の音が響く。
ちりん……ちりん……
「……来てる……!」
こはるが呟いた。鈴の音に反応し、闇の中から無数の足音―いや、這いずる音が近づいてくる。洞窟の奥、封印が施されていた空間。その先のトンネルを通じて、あの化物が姿を現す。
触手のような手足を蠢かせ、異様に膨れた白い肌が、岩壁の影からぬるりと現れる。大きく膨れた身体を上手く支える事が出来ず、ズルズルと這うように移動している。
「デケェ…ちょこっと前よりも、ずいぶんデカくなっちゅう……」
岩陰に潜んでいた雷蔵が呟く。化物はゆっくりと鈴の音の方へと移動していく。
「大丈夫……鈴の音にしか反応していない。こはる、頼んだ!」
燈は柊を支えながら、高台に登っていく。
こはるは恐怖に震えながらも、手にした鈴を鳴らした。
ちりん、ちりん――
「おいで……こっちだよ……」
化物が音に惹かれ、ずるり、ずるりと這い寄ってくる。ゆっくりと迂回しながら、目指す地点に誘導していく。洞窟内にある岩場へ―柊達が移動した場所へと繋がっていた。
「柊、準備は?」
燈が静かに問いかける。
柊は片手で鉄扇を静かに広げ、もう片方の手で更に鉄扇を取り出す。
「既に我は地を駆る事は出来ぬが、この高さからなら勢いを付けられる。奴が真下に入った瞬間、一気に叩く」
鈴の音が、岩棚の真下に誘導されてきた。
「今じゃ!」
柊が叫び、燈が柊を抱え宙に飛び出す。
「決めろよぉ!!」
ヒラヒラと花びらが舞う。
柊と言う名の花びらが、宙を舞いながら化け物の頭上から腹下まで、ズタズタに切り裂いていく。
ブシャアアァァ…!
どす黒い体液が化け物の全身から噴き出す。辺りに鉄錆のような匂いと、生臭いムワッとした熱気が振りまかれる。
獣のようなうめき声と、地響きと共に化け物の巨体が崩れ落ちる。
だがーー
「まさか!?まだ生きてる?!」
こはるが悲痛な叫び声を上げる。崩れた巨体から、触手が一本、ぬるりと持ち上がる。切り刻まれたはずの体が、まだ動いている。
「……これが、栞の執念か……!」
柊がふらつく体で前に出る。
「このままじゃ、また誰かが喰われる……もう、終わらせねばならんのじゃ……!」
両手に鉄扇を構え、化け物と対峙する。
「……聞こえるか、栞。もう、いい。苦しまなくていい。眠れ……我の声が聞こえるなら……お前の姉の声が聞こえるなら――」
触手がピタリと動きを止めた。
一瞬の静寂。
そして、崩れた巨体から白く大きな眼球が柊を見つめた。涙のようなものが零れ、化け物の動きが止まった。
「……すまぬ……許せ……」
柊が舞い――
化け物は、最後の呻き声を上げ、動かなくなった。
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私達は立ち尽くしていた。誰も、言葉を発することができなかった。
柊さんの震える手の中には、小さな鈴が残されていた。
その音はもう、響くことはなかった。




