邂逅
研究施設の一角、破壊された端末や割れたガラスの山のなか、私達はひときわ重い沈黙に包まれていた。
「たすけて ねえさま」
扉に残された文字を、柊は震える指でなぞる。
「まさか……いや、そんなはず……」
彼女の目が細かく揺れている。
その時、私は思い出していた。ここの扉、封印の扉を開けてしまったときのことを。
「柊さん……聞いてほしいことがあります」
言葉を紡ぎ始める。
「ここに封印されていた存在、元は人間だった、少女だった存在と、私たちが遭遇した時のことを。」
柊が顔を上げた。
「……なんじゃ?」
一つ一つ、噛み締めるように言葉を続ける。
「化け物のようなものが、この中、封印の中にいたんです。目が見えなくて、でも音にものすごく敏感で……」
柊は目を伏せたまま黙って聞いている。
「その存在に私達は襲われ、そして、私は手にしていた小さな鈴を―谷に投げたんです。その音を追わせ、誘導して……崖の上から岩を落として封印しました」
柊の表情が、ひとつの音も漏らさぬまま、凍りついた様に固まっている。
「……鈴…?」
「赤い紐がついた、小さな鈴。ここに来る途中の"庭"に有った石碑の試練で、手に入れたものです。」
掌に視線を落とし続ける
「試練のあとに、私の手の中に入っていたもので……どこから来たのかは分からなかったけど、でも、どうしても放っておけなかった」
柊はふらりとよろめくように、壁にもたれかかった。手が、扉の文字を撫でる。
「その後、ここでY.A.T.A.の実験に関する資料を見ました。あの存在は元は私たちと同じ、人間であったこと」
声が震える
「13歳の女の子でした。翡翠の様な澄んだ瞳で、綺麗な白い髪の毛の、とても可愛らしい女の子でした…」
柊が俯いたまま静かに肩を震わせている。暫くの沈黙のあと、ぽつりぽつりと話し始める。
「―鈴は、柊家に代々伝わる音の道具じゃ。舞に命を吹き込むための、魂の象徴。」
その場に居た全員が息を呑む。
「それを……わらわが、妹に……あの子に渡した。G.E.A.R.に参加する時にな……」
目を閉じる柊。その端に光るものが見える。
「つまり…あの子は、人で無くなっても、鈴の音は覚えていた、そう言う事なのじゃな…」
葵君が柊に向かって言う
「あのままだったら、僕達は、僕達全員が、やられていた。あれは……もう、人ではなかった!」
葵君の言葉に、柊は何も返さなかった。ただ、長い沈黙のあと、小さく笑った。
「ふん……そうじゃな。あやつは……もう、“人”じゃなくなったのじゃな。あの子を“人”じゃなくしたのは…Y.A.T.A.の連中じゃ」
再び、目を見開いた柊の瞳には、もはや涙ではなく、鋭い光が宿っていた。
「お主らを恨んではおらんよ…それがあの子の運命だったんじゃろう」
「柊さん…」
見つめる私に、確かな意志を込めて柊が尋ねる
「ならば―教えよ。“その場所”は、どこじゃ?」
そう言って、柊は鉄扇を静かに開いた。
鋭い金属の音が、洞窟内に不吉に響いた。
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慎重に扉を開けると、そこに白仮面たちの姿は無かった。どうやら撤退したようだ。
「大丈夫、誰も居ないわ」
私は皆に声を掛け、外に出るように促す。
先頭をこはる、次に葵君、そして私と続き、その少し後ろを柊、殿を雷蔵君の順番で、暗闇の洞窟内を進んでいく。
「着いた…よ…」こはるが声を震わせ、到着を報せる。大岩であの化け物を封印した崖下の谷底は、もはや「静寂」という言葉すら似つかわしくないほど、異様な気配に満ちていた。
「……ここか」
柊が私達を押しのけて、あの化け物を封印した谷底へと足を踏み入れる。
「たしかに、ここだったの。でも……!」
私が思わず声を上げずには居られなかった。
ブレスレットの薄明かりでもはっきりと分かるほど、崖を封じていた巨岩は、まるで内側から打ち破られたように砕け散り、谷底には風すら淀むような空洞が口を開けていた。
「これは……?!」
歯を噛みしめる。
その時、地面が揺れ、咆哮が辺りに轟いた。
「動くなッ!」
叫び声と同時に、背後から次々と候補生たちが姿を現した。数は二十、いや三十を超えている。
「懸賞ポイントはここにあると聞いたぜ!」
手には様々な武器を携えている。中には銃器を携えている者もいる。
「懸賞対象は“チーム7”。……おとなしく捕まってくれりゃ、痛い思いはさせねえよ?」
懸賞ポイントに吊られ、私達を狩りに来たのだろう。武器を手ににじり寄る彼らの目は、明らかに正気を欠いていた。
「ちっ……ここで先頭張るのかよ」
殿に居た雷蔵君が地面にバールを突き立て、構える。燈ちゃんは鉄パイプを構え、周囲を威嚇する。
その時だった。
「……あ?」
後列に居た候補生の一人が、不自然に姿を消す。まるで何かに引きずり込まれるように。
続いて、悲鳴が響く。
「や、やめっ……うわァァアアアア!!」
岩の影から、黒く巨大な“それ”が姿を現した。触手のように伸びた腕、異様に膨張した胴体。元の体格からは想像もつかない肥大した“女の子のなれの果て”。
「あれは……」
柊の目が見開かれる。
「……あれが、あの子だと言うのかっ?!」
覚悟していたとは言え、柊はショックを隠せない様子だった。化け物は咆哮と共に次々と候補生たちを捕らえては噛み砕き、黒い液体を撒き散らしていた。血と怒号と悲鳴が混じり合い、谷底は地獄絵図と化す。
「くそっ、逃げろ!ここはもう地獄だ!」
雷蔵君の声に、散り散りになって逃げ出す候補生たち。しかし化け物は執拗に追いすがり、次々とその獲物を引き裂いていく。
「……逃げるのは、わらわ達ではない。あやつを……今度こそ、止めねばならぬ!」
柊が鉄扇を抜き、舞うように構える。その瞳には、もはや迷いはなかった。
「葵くん、こはるちゃんをお願い。わたしは何とか、やってみる!」
「了解!」
「気をつけて、澪ちゃん!」
私は腰の工具を強く握りしめ、柊の背中に続いて跳び出した。
「おじいちゃん、力を…」
牙を剥く化け物の前に、今度は二人の姉が立ちはだかる。
――妹を、守るために。 ――そして、終わらせるために。
戦いの幕が、音もなく上がった。




