実験
あの化け物を谷に誘導し、何とか封じることができたあと、私たちは再び「庭」へと戻ってきていた。
理由はひとつ――
「アイツが出てきたあの封印の部屋、何かあるかもしれない。むしろ、何か“用意されていた”のかもしれない。罠だけじゃなくて」
葵君の一言で、私たちは再びあの不気味な岩扉の前へと戻って来ていた。
「でも……やっぱりちょっと怖い……」
こはるが私の袖を掴む。私も正直足が震えていた。けれど、あまりに唐突すぎて、奥を確認する余裕なんて無かった。あんな怪物を閉じ込めていた場所だ。きっと、ただの空間じゃないはず
――そう思えてならなかった。
扉は壊れてしまっていた。慎重に、足音をできるだけ立てずに、私たちは奥へと足を踏み入れる。
鼻を突く腐った生ごみのような匂いが充満している
「これは…堪らない匂いだね…」
葵君が口と鼻を手で押さえながら呟く。こはるは鼻をギュッと掴んで我慢している。
奥の部屋にあったのは、朽ちかけた研究施設だった。壁際にモニターが並んでいる。
埃をかぶった棚、ひび割れたガラスの培養槽、床に散らばる何枚もの資料、そしていたるところにこびりついている、黒い粘液…。あの化け物の物なのだろうか?
まるで、誰にも知られぬまま、ここだけが時の流れから取り残されたような空間。
「……ここ、何の部屋なんだと思う?」
私の問いに、葵くんが無言でPC端末の電源を入れる。幸い、電力は供給されているようで、画面が立ち上がった。
暫く中身を漁っていた葵君が声を漏らす
「これは…!?」
表示されたのは、想像もしなかった内容だった。
《被験体No.017F 観察記録:変異過程ログ》
《対象:候補生適性あり/遺伝子適応率83%/感覚拡張実験対象》
《結果:暴走、凶暴化、音声認識のみに反応。視覚機能消失。収容不可と判断》
《第7隔離区画に封印。出入口を物理的に封鎖》
「……あの化け物。もとは、人間だったってこと?」
私の声が震えた。こはるが黙ってうつむく。
映し出された資料は研究の報告書の様だった。
《被験体No.017F SH 年齢13 遺伝子施術・第5段階まで進行》
“候補生の適応性を引き上げるための実験”、
“薬物による感覚強化処置”、
“遺伝子編集による機能特化”――。
彼女は、最初から人間兵器として作り変えられていた。
《第2期処置以降、皮膚の硬化および眼球の白濁化。聴覚過敏が顕著に》
《第3期処置後、言語能力低下。睡眠時の異常運動あり》
《最終段階にて被験体の暴走発生。制御不能と判断。封印処置を実施》
最後に映し出された写真に、私は息をのんだ。
……それは、私たちが谷に誘導して、必死に封印した“あの怪物”の姿だった。
それよりも衝撃だったのは、もっと前の、まだ“彼女”だった頃の顔が、そこには写っていた。
真っ白なストレートヘアーに、透き通るような白い肌、翡翠の様な輝きをたたえた大きな目、微笑んだ顔は少し上気しており、100人に見せたら100人ともが美少女と答えるような、美しい少女の姿。
「……これは、機構の実験だったんだ」
葵くんの呟きが、研究所の静けさの中に響く。
「感覚を極限まで伸ばして、選ばれた候補生を“効率的”に育てるための――でもこれは、その“失敗例”。扱いきれなくなって、蓋をして逃げたんだ」
そこには、無表情の少女が拘束され、次第に肌が灰色に変色し、髪が抜け落ち、眼球が濁り――異形に変貌していく様が記録されていた。
同じフォルダの中に動画ファイルも有った。
「再生、するよ?」
葵君が前置きをしてから動画を再生する。
警告音が鳴り響き、粗い映像の中で研究員らしき人物が叫んでいた。
「……もうダメだ!制御が利かん!麻酔をして拘束しろ!!」
そう叫びながら、誰かが銃を撃ち、化け物からどす黒い液体が噴き出る。
「酷い…」
こはるが泣きながら震えていた。私はこはるを抱き寄せながら、映されている映像を見つめていた。
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結局、中には研究資料などしか無く、目ぼしい収穫は無かった。
部屋を出ようとした際、扉の裏側に違和感を覚える。
「…?」
何かの文字?改めて見てみると、爪で引っかいたような痕跡と、血文字のようなものがびっしりと残されていた。
《いたい こわい おなかすいた》
《たすけて ねえさま ころして》
《だして だして だして》
胸が締めつけられる。
ここにいたのは、“怪物”なんかじゃない。ただ、声をあげることも許されず、存在を隠され、利用された“誰か”だった。
その時だった。
頭上のスピーカーが不意に起動し、無機質な合成音声が響いた。
------《機密情報への不正アクセスを検知》
------《対象:88番・87番・56番》
------《機構権限により、情報漏洩者として分類》
------《現在時刻を以て、対象候補に懸賞ポイントを設定》
------《同盟・対立問わず、発見・排除成功者には高額報酬を与える》
「――え?」
私達3人のブレスレットが真っ赤に明滅し始めた。
「……嘘、でしょ?」
葵くんが端末を睨みつける。こはるが震える手で私の袖を掴んだ。
「澪ちゃん、どうしよう……わたしたち、狙われる……?」
嫌な予感が、骨の奥まで染み込むように広がっていく。
自分の命を削って知った真実。
でも、それを知った瞬間、私たちは“試験の参加者”から、“排除対象”へと格下げされた。
「走って、戻ろう。雷蔵君に、そして他の皆にも本当の事を知らせなきゃ」
私は息を詰めながら、再びあの暗い洞窟の奥へと駆け出した。




