黄泉の国
こはるの指先が、そっと洞窟の壁に触れた。
静かに耳を澄ますように目を閉じ、小石が何度も跳ね返って反響する音に集中する。
「……この奥、まだ先に続いてます」
囁くような声に、私は葵君と顔を見合わせる。
彼女の耳は確かだった。ここに至るまで、何度も分岐が有ったが、こはるは一度も道に迷っていない。確かに音で"向こう側”を認識した上で進んでいる。
こはるが指し示すその先に、仄かな明かりが見える。
「……外?」
葵君が呟く。確かに奥に見える明かりは、照明と言うよりは自然光に近い様に見える。
足元に気をつけながら慎重に明かりの方に進む。
「わぁ……」
私たちの口から思わず感嘆の吐息が漏れる。そこには“庭”があった。
天井が開けた広大な空間。自然光が上から差し込んでいるはずなのに、空はどこにもなかった。代わりに、空間全体が朱に染まった光で照らされている。
風もなく、虫の音もない。不自然な程の静寂が辺りを包んでいる。
一面に赤い花が咲き乱れていた。
まるで血潮のような深紅の花弁が、無数に、波打つように広がっている。
彼岸花、死人花、曼珠沙華。
名をいくつも持つその花が、狂い咲いたように地を覆い尽くしていた。
「まるで死後の世界ね…なんでこんな場所が、ここに?」
私の呟きに葵君が答える。
「この空間、明らかに人為的に作られているね。」
確かに、ただの試験エリアの奥に、自然にこんな場所があるとは考えづらい。誰のために、何のために?
いや、それ以前に――
この空間が、現実なのかすら分からなかった。
ひときわ大きく咲いた彼岸花の群れの奥、苔むした石碑のようなものが見える。
何かが眠っている。あるいは、何かが呼んでいる。
私は一歩踏み出す。こはると葵君も静かに後を追ってくる。
音もなく、私達は、死者の庭へと足を踏み入れていった。
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赤い花々の波を掻き分け、石碑を目指す。
半ば埋もれるような状態だった。私たちの胸ほどの高さで、表面には文字のような文様が描かれている。が、日本語や英語など、見知った文字ではなく、全く読むことが出来ない。
「……あれ、何かの目印かな?」
こはるが石碑の側面を指さす。
近づいてみると、側面に四角い黒いプレートのような物があった。
(…?何処かで見たことがあるような…?)
「あー!あれ、部屋の扉にあるやつと一緒だよ!」
こはるが声を上げる。そう言われてみると、確かに同じ様に見える。
「……ブレスレット、かざしてみようか」
私は試しに、腕に巻かれたブレスレットを石碑に近づけた。
ピピッ――
軽い電子音と共に、ブレスレットの画面が光り始める。
>選定者、認証完了。
>【精神選別試練エリア:黄泉の庭】に到達。
>試練への挑戦可能。
表示されたその文字列に、私は思わず息をのんだ。
「……試練、だって……?」
葵君が画面を覗き込む。
タップすると続きが浮かび上がった。
>本試練は、選別対象者の精神性を測定し、超限界下における意思決定力と再起性を評価します。
>試練の形式は、対象者の深層意識に依存します。
>失敗時は、永続的な精神障害または死亡の可能性もあります。
>全て承認の上で試練への挑戦を決定して下さい。
背中に冷たい汗が伝った。“死ぬかもしれない”試験なんて、どうかしてる……。
「な、なにそれ……ただの試験っていうレベルじゃないよぉ……!」
こはるの声が震える。私は……怖くなかったわけじゃない。むしろ、心臓が喉から飛び出しそうだった。でも。
(きっと、ここも、選別の一つ)
何もしなければ、ただ誰かに追いつけず、選ばれず、終わってしまう。
誰かに勝たなきゃ、自分自身に打ち勝たなきゃ。
「葛城さん、こんな危険な試験を受ける必要は無いよ。詳細も分からず、ポイントが貰えるかどうかも分からない。一旦後回しにして、燃料を探す事を優先しよう」
葵君が私を諭すように声を掛ける。しかし、私は…
(おじいちゃん……私、ちゃんと前に進めてるかな)
あの日、手を離してしまった背中が脳裏に浮かぶ。
「葵君が言う事が正論だって分かってる。でも、リスクを負わなければ、何も得られない。そうしないと、柊の様な人達に勝つことは出来ないっ!」
「…!!」
葵君が言葉に詰まる。私は迷わず、ブレスレットのタッチパネルに触れた。
「葛城さん!!」
「澪ちゃん!」
2人が止めようとこちらに手を伸ばすよりも先に、私は選択をした。
「……YES」
指先に、微かな熱を感じた直後――
視界が、真っ赤に染まった。




