相馬雷蔵
相馬雷蔵は、自分の親の顔を知らなかった。
物心ついた時には、すでに養護施設の一室で寝起きしていた。誰が、なぜそこに置いていったのかはわからない。職員も教えてはくれなかった。
施設での生活は、決して楽ではなかった。物は少なく、服もお下がりばかり。毎日が窮屈で、時に食事も足りなかった。
しかし、雷蔵にとってその生活は「最初からそうだった」だけで、不幸だと嘆くような感覚はなかった。
むしろ、同年代の子供たちと野原を駆け、山を探検し、空腹を忘れて遊んだ日々の方が、今でもよほど鮮やかに思い出せる。
「なあ、こっちの道、まだ行ったことないで!」 「雷蔵、また変なもん拾ってきたー!」
泥だらけで帰って叱られるのも、みんなで分け合ったおやつも、施設の中では彼がいちばん声を出して笑っていた。
子供の頃は気に留めなかった事も、思春期を迎える中学に上がった頃に、生活は徐々に荒れていった。
周囲の目。家庭のないことを揶揄する同級生。手を出せばこちらが悪くなるのも知っていた。だが、耐えきれなかった。
「どうせ俺は、いらない子やき!」
そう叫んで壁を殴った夜のことを、今でも覚えている。
結局、中学を出たあとは高校へは進学せず、16で施設を飛び出した。財布には数千円。泊まるあてもないまま、夜の街をさまよった。
それでも、どこか「自分は何とかなる」と思っていた。
持ち前の明るさと、礼儀だけは忘れずに飛び込んだ工事現場の仕事。そこで雷蔵は少しずつ、居場所を取り戻した。
「相馬、笑顔がええな!」 「オメーはほんと、飲み込み早ぇなあ」
現場の人たちに冗談を飛ばしながら働く日々は、忙しくも充実していた。
工事現場で働くようになってから、雷蔵は誰よりも早く現場の仕事を覚えようと必死だった。他人から必要とされたい、と言う気持ちが無意識に働いていたのかも知れない。
(オレは要らん子やないき!)
最初は道具の名前すらわからなかった。だが「使えなければ、覚えればいい」と、ひとつひとつ手を動かし、目で盗み、叱られながら成長していった。
「雷蔵、明日はユンボの洗浄やっとけ」
「へいっ!ついでに油圧見ときます!」
そのうち、重機の仕組みに興味を持つようになった。
本来の業務外だったが、休憩中や休日に壊れた道具や古い小型重機をいじるようになり、職長に頼み込んで「整備士見習い」のようなことまで任せてもらった。
「重機ってのはなあ、人間と一緒よ。調子の悪いとこをちゃんと見てやらんと、すぐ機嫌悪うなる」
ベテラン作業員の言葉に雷蔵は何度もうなずいた。
自腹で講習を受け、ショベルカーやフォークリフトなど「車両系建設機械」の免許も取得した。
「何があるかわからんし、取っといて損はねーだろ」
軽口を叩いて笑っていたが、その眼差しには確かに真剣さが宿っていた。
ただの作業員では終わらない。何か自分にしかできないことを見つけたい。自分を必要としてくれる場所を、見つけたかった。
「オメーは女と機械にはマメだなぁ!」
給料が出れば先輩達と連れ立ってキャバレー通い、月末には素寒貧で食べるものにも困る生活。1つのカップラーメンを分け合って食べる事も珍しく無かった。それでも施設時代の様な、貧しいながらも同じ境遇の者達と過ごす日々は、雷蔵の心を少しずつ満たしていった。
そして事故が起きた。
年配の作業員が、強風にあおられた鉄骨に巻き込まれかけたのを見て、雷蔵は迷わず飛び込んだ。
「長さん!避けろォッ!」
結果として、年配の作業員は擦り傷程度で済んだが、代わりに雷蔵は鉄骨に片足を強く挟まれ骨折、松葉杖での生活を余儀なくされた。
動けない者は現場では致命的だった。
「指示に従わず勝手な行動による怪我」として会社は労災を認めず、結局は辞めざるを得なかった。
「すまんなぁ、雷蔵…」
「オレも自分の事だけで精一杯でなぁ…」
他の作業員達は同情はするものの、他人を助ける余裕は無かった。雷蔵もそれは重々承知しており、周りを責めることは無かった。
身体の痛みもあったが、それ以上に、突然「必要とされない」側になったことが何より辛かった。
「ははっ……また独りかよ」
所持金僅かを握りしめ、漫画喫茶で寝泊まりする中、偶然インターネットで「G.E.A.R.一般枠募集」の文字が目に留まる。
“能力不問。求むは意志と技術”
「……おもしれぇな。やってやるよ」
それが雷蔵とG.E.A.R.との出会いだった。年齢制限は無く、条件は【学生であること】
「だったら学生になったら良いやん?」通信制の高校に入学し、半ば賭けのような気持ちで応募した。
雷蔵は、書類を整え、面接に臨み、自分のことをすべて話した。笑いも交えながら、涙は見せずに。
そして、合格通知が届いたとき、誰も祝ってはくれなかったが、雷蔵は施設時代に拾った錆びたメダルを握りしめて、ただ一人、空を見上げた。
「なあ、オレ、まだ笑えるで」
それが彼の、G.E.A.R.への第一歩だった




