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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

大仏壇の虫出し

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 オアシス。

 実に気持ちのいい言葉だ。よく憩いの場所という意味合いで用いられるけど、もとは砂漠で緑のある地域のことをいう。

 自然の地下水、それをくみ上げた井戸たちを発端にすることもあれば、流れ込む川や雪解け水によって成り立つものもあるらしい。

 いかにありがたいものでも、度を過ぎた放牧や開墾を行うなら、その緑もたちまち色を失ってしまい、恵みを享受するのもままならなくなるのだけど。


 どこまでが、味わえる限界なのか。

 判断するすべを知らない者たちは、いよいよ底が見えてくるまで危機感を覚えずむさぼり続けるかもしれない。その結果、数少ない残りを求めて争いも起こることだろう。

 そうならないための予防策は、知恵ある者たちの貢献で様々に用意されてきた。ときには自然に行えるよう、日々の生活の中へ溶け込ませているものがあるかもしれない。

 私が最近に聞いた昔話なのだけど、聞いてみないかい?


 むかしむかし。

 ある村に「大仏壇」なる仏壇が存在していたという。

 大仏様がおわすわけではなく、仏壇そのものが大きいわけでもない。一般家庭にまつられるものと変わりない大きさなのだけど、そこには住まう村人たちの手で毎日のように作物の捧げものがあったのだとか。

 大仏壇は村のはずれ。かつてこの村で往生された旅の僧が住まったと伝わる、あばら家に用意されている。

 僧が生前に用意し、しきりに祈りを捧げていたもので、この大仏壇に捧げものをしていくのもその時期から継続されていることだったらしい。またあばら家の修繕をせずそのままでいるのも僧の遺言によるものだとか。


「この地の『恵み』は失われつつある。いまはよくとも、恵みが途絶えたならばたちまち滅びが訪れよう。そうならぬためにも日々、大仏壇への捧げものをし続けねばならぬ」


 実際、僧は大仏壇を用意してから亡くなるまでの4000日あまり、たとえ村人の誰もが訪れない日であっても、動物の肉をのぞいた食べ物を捧げることを忘れなかったという。


 その僧に遺言されたということもあり、村人たちはめいめいで大仏壇へ足を運び、お供え物を絶やさないようにしていたそうだ。

 その働きが認められているのか、村は毎年安定した実りを手にすることができていたのだという。日照りや病気といった、作物を傷める不順に苦しむことがなかったのだと。

 村民たちは、それこそが恵みと信じてますますこの慣習の継続に力を入れていたんだ。


 ところがある時。

 地域を襲う大地震、それに伴う地割れの発生により、大仏壇があばら家ごと裂け目に飲み込まれてしまうという災害が起こったんだ。

 その地割れは、はかったかのようにあばら家近辺でのみ大きな口を開いている。そこより前後する箇所では、子供であっても足を挟むことは考えられないくらいに、小さい小さいひび割れにとどまったという。

 大仏壇に至るなど、とうてい思い及ばなくなってしまい、永く続いた慣習の突然の途絶。

 地震を乗り切った人々は、おのおのの家の被害を気にしつつも、多かれ少なかれ憂いていたそうだ。


 そうして捧げものができなくなってから、10日ほど過ぎて。

 村人たちは交互に、奇妙な夢を見るようになったらしい。

 ふと気が付くと、自分は夢の中であの大仏壇を擁するあばら家が飲み込まれた、あの亀裂の前に立っているのだとか。

 そうして意識せずとも、その裂け目のふちへ膝をつき、手を合わせて頭を垂れてしまう。それは祈りを捧げる姿勢そのものだったという。

 夢の中の自分は、その格好から動く様子を見せない。ただ視線はずっと裂け目の中を覗きこみ続けており、やがては吸い込まれてしまいそうな心地さえ感じてしまったのだとか。

 その夢を見た誰もが、自分の意思で逆らうことができないまま、祈りを捧げることを完遂して目を覚ましてしまうのだと。


 ――大仏壇が、捧げものを欲しておられるのだ。


 そう判断した皆が、これまで通りに捧げものを用意し、裂け目へと赴いては献上していく。

 さすがに裂け目へ落とすような真似は敬意に欠けると思え、夢で座り込んだように裂け目のふちへ野菜たちを置いていったのだそうだ。

 それでも彼らは引き続き、飲み込まれた大仏壇に祈りを捧げる夢を見ていたのだという。


 更にしばらくの時が経つと、村人たちの間で奇妙な病状が現れるようになった。

「虫出し」と呼ばれるその症状は、村人たちが寝入る時間になると、その寝床から無数の虫が出てくるようになったんだ。

 寝ている当人は、起きたあとに皮膚のあちらこちらに傷をこさえていることを確かめて、はじめて気づくことができる。

 そして、その寝ている人のそばにいるものは、身体の皮膚をあちらこちらを内側から破り、飛び立っていく無数の虫たちを目の当たりにするのだとか。

 ハエ、カ、ガガンボ……飛び立つ虫たちがほうふつとさせる種類と大きさはばらつきがあるものの、彼らがまとまって目指す先は共通している。


 例の裂け目。厳密にはその中へ、彼らは一様に飛び入っていくんだ。

 おそらく目指すのは、かのあばら家。その中に今も在り、裂け目の底で眠り続けているだろう大仏壇。そのもとへと。

 そして一度でもこの虫出しを許したものは、もはや何をしようと止まらず、出る虫が亡くなるとどんどん衰弱し、死に至ってしまったのだとか。

 そのやせ衰えようは、血肉が出ていく虫と化したかのごとくと語られ、仏となった者の姿は人というより、枯れ枝と評したほうがふさわしい有様だったとか。


 大仏壇に求められた捧げもの。

 それは人の作るものへ与えられる恵みとは限らず。

 人の身体そのものをオアシスとして生きる者たちへの恵みにも貢献していたのかもしれない。

 そして捧げものが絶え、オアシス足りえなくなった人の身体から彼らは抜けていったのだろう、と。


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