8. 友達
「帰る前にちょっとだけハリーさんの薬草園を見せようか」
買い物を終えた私は、ハリーさんのお店で再びアンセルと合流してからメサイムに帰ることになった。そして馬車に乗ってカザエラを出たところで、アンセルからそう提案をされる。
私はというと、通りすがりに聞いた町人の噂話が気になっていて空返事のように応えていたらしい。そんな私に気付いたようで、アンセルにどうしたのと尋ねられた。
「いえ、特に何も」
彼女たちが言っていた噂話は、私が気にするところではない。彼には彼のやり方や仕事があるのだろうし、興味本位で尋ねるには穏やかな話でもない。
そんなことを思って一旦口を閉ざしたけれど、その気まずさはすぐに目の前の風景にかき消された。
「エマ、ここだよ」
街道から逸れた小道のほんの少し先に見えた、小奇麗な家と広がる薬草園。青々とした緑の中には花もたくさん咲いていて、まるで絵になるような景色があった。
馬車はここで止まり、私は窓から外を眺める。
「この家はクイード家所有のもので、庭をハリーさんに提供している。以前エマに話しただろう? メサイムの近くにある家の庭を提供したいって。いずれはこんな感じで運営してもらおうと考えているんだ」
広さは修道院のものと同じくらいだろうか。これだけの薬草を自分で育てて扱えるのかと思ったら、ますます意欲が湧き上がってきた。
しばらく留まっていた馬車が再び動き出して、街道へと戻る。
店を運営していくためのお話が聞けたことや、たくさん買い物ができたこと。薬師になった後の将来像が具体的な形で想像ができるようになって、私は大満足だった。
「……ねぇ、エマ」
話をしながら馬車に揺られていると、少し間を置いてからアンセルが口を開いた。
「まだ僕と話しにくかったりする?」
唐突にそんなことを言われて、思わず目を丸くしてしまった。前に座るアンセルを見つめると、少し気まずそうな顔をしている。
「前から言おうと思っていたんだ。エマとは歳が近いし、あまり畏まってほしくない。クイード家の者として薬師になるようお願いをしている立場だけど、上からの命令だとか思ってほしくないんだ。これはエマだけじゃなく、町の人たちにもいえるけれど」
たしかにアンセルは誰に対しても丁寧な言葉遣いで、威圧的に話すことをしない。
出会った頃の私は、彼が言うように貴族で領主の息子という身分に気後れしたこともあった。でも何度も会って話しているうちに、自然とそんな感情は取り払われた。
「変なことを言っていると思われるかもしれないけれど、僕のことを領主の息子だとか、貴族とか意識してほしくなくて」
「アンセル様、私はそれほど器用な人間ではありません。初めの頃は身分を聞いて委縮したこともありました。でもそれは昔の話で、猫にすりすりされて喜んだり撫でてくれる人だと知ったてからは、私たちと変わりはないんだなと安心したんですよ」
私は真面目な顔で話すアンセルに、明るくそう答えた。もしかしたらさっきのような嫌な噂話を、どこかで耳にしているのかもしれない。
もしそうだとしたら少し可哀想に思う。
「……じゃあ、僕と普通に話そうよ。アンセル様とか、そんな呼び方しなくていいから」
「え、さすがにそれは……」
いくら本人が気にしないとはいえ、いきなり話し方を変えるのは抵抗がある。彼の突拍子のない提案に戸惑っていると、なんだか照れたような、恥ずかしそうな表情をする。
「友達になってくれたら嬉しいんだ。僕は領主代理になるなら、嫌でも町の大人たちの上に立たなければならない時がある。それを気負い過ぎているのかわからないけれど、とても疲れる時があってさ。でもエマとは年齢が近いせいか、少し肩の力を抜けるんだ」
端から見て気負っているようには思わなかったけれど、彼も貴族の役割をこなそうと頑張っているのかもしれない。
「もちろんそれなりの場では言葉遣いは大切だけれど。エマとはもっと自由に話したい。その方がお互いに楽じゃない?」
そう言ってくれるなら、その方が話しやすいけれども。
「アンセル様」
「そうじゃなくて」
「……アンセルさん? なんか変な感じ。アンセル……でいいの?」
彼が頷くのを見て、話を続けた。
「今まで聞いたことがなかったけれど、アンセルの歳はいくつなの?」
一度普通に話してみたら、するすると言葉が出てきた。これまで遠慮していたことが不思議と気にならなくなって、気が付けばそう尋ねていた。
「ああ、そういえばまだ言っていなかったか」
意外そうな顔をして話を続ける。
「十九歳だよ。前にも話したけれど、十三歳から寄宿学校に通って十八歳まで王都にいた。その後に領地を任されることが決まって、十八の終わり頃にここへ戻ってきたんだ」
「ということは、私は今十七だから二つ違いだったのね」
「うん。エマのことはメサイムの町長やエルミン院長から聞いていたから、僕の方は一方的に知っていたんだけど。エマが僕のことは知らないのは当然か」
そういって笑うアンセルも、今までよりも肩の力が抜けているような気がした。
「ありがとう、アンセル。気を付けて帰ってね」
「うん。エマも今日は疲れただろうからゆっくり体を休めて。そうだ、これは帰る前にカザエラで買ったパン。良かったら食べて」
家の前まで送ってもらうと、彼は手に持っていた紙袋を私に持たせて道を引き返していった。
馬車の中でなにげに気になっていた香ばしい匂いは、私のために買っていてくれたらしい。
早い時間に出ていったので日はまだ高くある。ミルもまだ外にいるようで帰っていないようだ。
私は荷物を降ろし、椅子に腰かけて大きく一息ついた。随分と長い時間を過ごした気分で、今日一日で自分のこれからがガラリと変わったように思う。
薬師のことも、アンセルのことも。
充実した一日を終えて、私は彼からもらった紙袋を開いた。