5. アンセルの事情
薬師になることを決めたその日、店じまいをした後にローラさんの家でその話を打ち明けた。事後報告となったのは、私がローラのことを心配していることを知られたくなかったから。
断るのなら黙っているつもりだったけれど、話を受けたからには報告をしないといけない。
思った通りとても喜んでくれたローラさんに、これからの生活について説明をした。
それから数日が経ち、仕事場から自宅に戻ってミルの食事の準備をしていると、いつもよりもラフな装いのアンセルが家にやってきた。私が扉を開けて迎え入れると、ミルはすかさずアンセルに走り寄りスリスリと顔を擦り付ける。
「ミル、今あげるからちょっと待っててね」
私は慌てて彼の足元からミルを引き離す。
「僕のことなら気を遣わないで。今日は約束をしていた本を持ってきただけだから」
あの修道院での話し合いの後、帰り際に近々薬学の本を渡してくれると言っていた。やはり用事はそのことのようで、彼は腰に下げていた革のポーチから二冊の本を取り出した。
彼をテーブルに案内し、すぐミルに食事を与えてからお茶の準備に取り掛かる。もてなしはいらないと彼は言うが、わざわざ本を持ってきてもらってそのまま帰すわけにもいかない。
今日は疲労回復効果のあるハーブティを入れて、別皿にドライフルーツを添えた。
「気を遣わせてしまってごめんね。修道院に預けてもよかったんだけど、せっかくなら早く渡した方がいいかと思って」
そういって手に持った本を私に向けて差し出した。
「メサイムに薬師を置こうと考えてから、支援するために本を取り寄せておいたんだ。まだ他にもあるから、また機会をみて持ってくるよ」
私は本を受け取り表紙を眺める。汚れのない綺麗な装丁で新品のようだ。その力の入れ具合を少しだけ不思議に思う。
「アンセル様は随分と熱心でいらっしゃるのですね」
私は常々思っていたことを口にした。
薬師の話だけではない。エルミン院長は、修道院だけでなく領内の各地を巡り視察を行っていると話していた。貴族の生活がどういうものか分からないけれど、こんなに外を歩き回るものなのだろうか?
何となく浮世離れした優雅な暮らしをするものだと想像してたから、疑問に思っていたのだ。
「まぁ、僕はまだ見習いだからね。実務は叔父上が担っているから時間に余裕がある。だから今のうちに領内のことを把握して、より良くしていく体制を整えたいと考えているんだ。メサイムに薬師を置くのも、町民だけでなく農村地区からの陳情があってなるべく早く解決したかった」
なんでもクイード領にいる薬師は、カザエラという町に一人しかいないという。そのため遠い地域に住む人々は、わざわざ時間を掛けてカザエラか修道院まで通わなくてはならなかった。その不便を解消したいのだと話す。
「そうだったのですね。でもなぜアンセル様がわざわざ各所に足を運ばれるのですか? そういうのはお役人の仕事だと思っていました」
修道院も以前は役人が通っていたと聞いていたので、それを尋ねてみた。
彼は一瞬だけ不思議そうな顔をして、でもすぐ納得したように表情は柔らいだ。
「そうだね、ではちょっとだけ僕の立場を話そうか」
そう言って、アンセルはゆっくりと家について話した。
クイード家は、領主である子爵とその妻、そして五人の子供がいるという。
「僕は、上に兄三人と姉一人がいる末子なんだ。そして彼らは全員王都に住んでいる」
クイード子爵と一番上の兄は宮廷に仕え、二番目の兄は公爵家の騎士団に所属。三番目の兄は魔法学に興味を持ち研究職についているという。
それまでふんふんと頷きながら聞いていた私は、ここで大きく驚いた。
魔法学? 話の本筋とは違うところで思わず息を呑んだ。そんなものが本当にこの世にあるの?
魔女なんてただの言いがかりだと思っていた。だってあの町に魔女がいるなんて噂はなかったし、実際魔法なんて見たこともない。それは子供向けの物語に出てくるような、想像上のものだとしか捉えていなかったから。
頭の中が混乱して、声も出ないままアンセルを見つめた。
「魔法学は世間に公開していないから、君が知らないのも無理はない。魔法は神のご加護と考えられていて、百年以上前から宮廷と教会とで共同研究が行われているんだ。といっても秘密にしているわけじゃないから、王都の住民の中には知る人もいるだろうけど」
私の驚きに気付いたのか簡単に説明をしてくれた。でも私の気持ちはそこにあるのではなくて。
「あの、何年か前にどこかの町で魔女狩りが行われたと聞いたことがあります。そんな噂が流れていたのですが、それと関係があるのですか?」
あくまで流れに沿って軽く尋ねてみた。この小さな町では外から伝わる便りに限界がある。だから私は詳しい話を知らないまま、今も出自を隠して暮らしている。
「あれは……今にして思うと、周辺国に強い影響を与えた大きな事件だった。騒動が起きたときの僕はまだ王都の寄宿学校にいた頃で、大きな騒ぎになったことを憶えているよ。数年経った今でも混乱は続いていて、まだ決着が見えていない」
そして彼は、魔法と魔女の違いについて教えてくれた。
まず魔法とは、自然に存在する四元素を生み出す力であること、それを発現した状態のことだと定義されているらしい。
対して魔女というものは、人々の心を操り惑わす存在なのだと話す。
「魔女は悪だ。人が人であるための心を簡単に奪い、掌握して無慈悲に壊す。各地で大小かかわらず魔女に関わる問題が起きていたため、国も対策を練っていたらしい。……そんな矢先にガルダン騎国が独断で旗を掲げ、魔女狩りが行われたというわけだ。そういうわけで、魔法=魔女の力ではないと分かってくれたかな」
物語に出てくる魔女というのはたしかに悪い感じで描かれている。人々に悪さをし、意地悪な老婆という印象だ。
でもまさか私たちが魔女だと疑われていたなんて襲撃を受けるまで知らなかったし、問題が起きていたという話も聞いたことがない。
でも私はこれ以上尋ねることができなかった。ただでさえ私はよそ者で、今も自分の過去を話せずにいる。だからあまり疑われるようなことをしたくなかった。
「そんな諸々のことがあって、僕の両親や兄はあれからほぼ領地に戻っていない。昔は毎年王都から帰ってオフシーズンを過ごしていたんだけどね。領主代理を務めてくれている叔父上の見習いとして、僕だけがここに戻ることになった」
以前は父親もここで領主としての仕事をしていたけれど、王都から離れられなくなってからは叔父が常駐して代理人として働いているという。
「長年この家と領地を守ってくれていたけれど、叔父上は別の事業も兼任している。だからどうしても目の行き届かない部分があったんだと思う。僕は出来るだけそういった所を無くしていきたくて、自分の目で確かめたいと思っているんだ。やっぱりこの地で暮らす人々には幸せになってもらいたいし、それが自分の仕事だと思ってるから。もちろん今すぐにというわけではないけれど……僕にはのんびりとしたこの地が合っている。戻ってこられてよかったよ」
そう話すアンセルは、どこか自分に言い聞かせているように見えた。
きっと彼にも、私にはわからない様々な事情があるのだろう。
これ以上の質問をやめて、それからは今後についての話し合いでティータイムのひと時を過ごした。