45. かけがえのないもの
私はいつものように庭の花と薬草を摘んで、メサイムの町へ向かう。
晴れやかな朝、爽やかな風が吹き通る道をミルと一緒に歩いていく。
「おはようございます、ローラさん」
「おはよう、エマちゃん」
すでにローラさんが露店の拭き掃除を始めているので、私も一旦荷物を下に置いて開店作業に入った。立てかけてあったホウキで周辺を払い、穂先にじゃれついてくるミルを躱しながら掃除を終わらせる。
「じゃあ、私は薬屋の方に行ってきますね。お店番よろしくお願いします」
「はいよ。頑張ってね」
準備を終えた後、ローラさんに声掛けしてから『元自宅』だった薬屋に向かった。鍵を開けて中に入り、足りなくなった薬草の補充や粉末にしていく作業にとりかかる。私にくっついてきたミルは、そのままいつもの遊び場所に向かったらしい。
そうして開店準備に勤しんでいると、玄関の方からドアベルの音が響いた。
「エマちゃん、早い時間に申し訳ないけれど、解熱薬をくれないかね。うちのが昨晩から熱を出しててさ」
「ナンシーさん、おはようございます。それは心配ですね、すぐに用意しますね」
私は奥の部屋から解熱用の粉薬を取り出し、それに少量の蜂蜜を加えて丸薬にしてからカウンターに持っていった。小さい布にそれを乗せて包み、紐でぐるぐるに縛って手渡した。
「このまま口に入れても、湯に溶かして飲んでもどちらでも構いません。ただししっかりと飲み切ってくださいね」
「助かったよ、ありがとう。じゃあこれはお代ね」
ご近所のナンシーさんから代金を受け取り、今日一日目のお客さんを送り出す。
いつもと変わらぬ朝の、いつもの暮らし。
それは今でも幸せなことだと思っている。
あの騒動があってから丸一年。
再び春が巡って、そろそろ初夏を迎える時期に入る。
この地に戻り、領主代理人であるアンセルの叔父に挨拶をして間もなく、私に薬師として働く許可が下りた。
自宅を改装し、そこで暮らしながら薬屋を営む。私としては当然そのつもりでいたのだけれど、夏が過ぎて秋になり始めた頃に状況が変わった。
王都からメサイムに戻った後、私はすぐに以前の生活に戻ることができた。あの激動の日々は何だったのだろうかと思うくらい、挨拶回りをした翌日にはローラさんと一緒に仕事を始めていた。
しかし、やはりクイード家の方は大変だったらしい。
オスガルがいつ領地に戻って来るのか、引継ぎはどうなるのかと色々と大変だったらしい。私が無事に薬屋を開店させてからは、アンセルとも以前のように頻繁に会うことがなくなっていた。
目的は達成したし、日々はとても充実している。元アルト市民、今はメサイムの町民としてごく普通の暮らしをしているけれど、ふと時間が空くとアンセルの事を考えていた。
最近姿を見ないけれど、元気にしてるかな。まだ家はごたついているのかな、なんて考えていた頃に、アンセルから呼び出された。
その時の彼は乗馬で来ていて、私を同乗させてあるところまで連れていかれた。
そこはメサイムからさほど離れていない、クイード家が所有する大きな一軒家。薬師の話をされた時、いずれはここの庭を薬草園にして貸し出すという話をしていた場所。
そこで馬から降りて、広々とした緑に囲まれた敷地をのんびりと歩いた。自生した花々が家の周辺を彩り、ここを少し坂を下った先の向こうには農村地帯が広がっている。こうして改めて見ると、本当にのどかな田舎なのだなとしみじみと思う。
「初めの頃、エマにこの家のことを話したよね」
そんな語り口から話し始めたアンセルは、最近のことを話してくれた。知らなかったけれど、どうやら最近まで王都に居たらしい。
「あまり見かけないと思ったら、王都に行っていたのね」
私がそう納得していると、彼は頷いてしばらく沈黙していた。
それは何かを言おうとしている様子だったので、黙って言葉を待っていた。
「王都で、自分の将来のことを兄たちに相談していたんだ。その時にずっとエマのことを考えていて、思い出を振り返っていた。
……エマはさ、僕にとって大切な友達だったんだ。歳も近くて、勉強熱心で真面目に働く。そんな姿を見て感心していた。でも一度、エマが顔色を悪くさせていたことがあったろう? その姿を見てとても後悔したんだ。僕のせいで無理をさせてしまったんじゃないかって」
思い出すように、アンセルは静かに語る。
「お互いにもっと気楽になろうと、そういうつもりで友達になろうなんて言ったけれど、今思えばそれは口実だったのかもしれない」
「口実?」
再び口を噤んだアンセルは、私の目を見た。
「……エマに側にいてほしいと思ったんだ、もっと近くにいてほしいと。無自覚だったけれど、今思えばそんな風に考えてた」
アンセルの言葉を聞いて、なんだか私の鼓動も徐々に早くなる。
「エマのことを好きになって、大切にしたいと考えて。だから、――僕はあの日の自分を今でも許せていない」
「……アンセル、待って」
「家から連れ出されるエマを、黙って見送ってしまった事実は消せない。それなのに、僕はまだエマに必要とされたいと思っているんだ」
真剣な眼差しで見つめる目には、どこか悲痛さが宿っていた。
私は高鳴る鼓動が締め付けられて、アンセルの手を取る。
「……その気持ち、とてもわかる。もし私が反対の立場だったら、きっと同じように思ってしまうもの」
戸惑った顔を見せるアンセルに、自分の気持ちを伝える。
「アンセルが王国軍に捕縛された時、助けてもらったのに何の力にもなれない自分が悔しかった。周りに助けられてばかりで、何も出来ないまま不安ばかりが募って。私も同じ、助ける力を持てない非力な人間だった。――――それでも、アンセルに会いたかった。一緒にメサイムに帰りたかったの」
そう言い切ると、私はアンセルの手を両手で包み込んだ。
「私の中でアンセルは特別で、大切な人なの。こんな気持ち、一度も経験がなくてよくわからなかったけれど。こうして手を触れているだけで、どきどきする」
恋なんて、絵本の中のお姫様と王子様の物語でしか知らなかった。だからこの気持ちがどういったものなのか、自覚するのに時間がかかってしまったけれど。
「エマ」
アンセルは私に向き直り、私の握った両手にもう一方の手を重ねた。
「これからの人生、僕と一緒に生きてくれる?」
私はその言葉に頷くと、これまでにない幸せに包まれた。
◇
それから間もなく、私たちは正式に婚約した。
来年になったら結婚式を挙げる予定で、その前段階として、私はこのクイード家所有の一軒家に住むことになった。
ここで薬草を育て、メサイムの自宅はお店として運用する。そして結婚後にアンセルとこの家で暮らすことになる。
その頃には、オスガルが領地に戻っているだろうとのことで、アンセルはしばらくの間その補佐役をするらしい。
そして私はというと、今までと変わらずローラさんと一緒にメサイムで働くことになっている。
修道院で、私たちは運命の出逢いを果たした。
平凡で非力な、特別なものを持たない私たちだけれど。とても不思議な巡り合わせだったとも思う。
これからも二人で一緒に生きていけたら、とても素晴らしい日々が送れるような気がしている。
次回、エピローグ




