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44. 大切な想い



 私が家に戻ってしばらく経ってからアンセルが馬車で迎えにきてくれた。

 最初に向かう先は修道院。馬車で行くのは初めてで、いつもは歩きで一時間かかるところを、その半分ほどの時間で到着した。


 今までと何も変わらない、鮮やかな青い屋根が目に入る。

 薬師になるための実習の日々を思い出して、徐々に現実感が湧いてきた。


 

「アンセル様、エマさん。お帰りなさい。ご無事でなによりです」


 祈りの間に入ると、エルミン院長が一人で佇んでいた。

 私たちは側に歩み寄り、再開の挨拶を交わす。


「お久しぶりです、エルミン院長。ようやくこの地に帰ってくることができました。これまでご協力してくださったことを感謝いたします」


 アンセルが短いながら丁寧な挨拶をする。私も自分の気持ちを正直に伝えたくて、喜びを伝えるように挨拶を交わした。


「エルミン院長、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。花売りの仕事や、ミルの面倒までも見てくださって、本当に感謝してもしきれません。本当にありがとうございました!」


 精一杯の気持ちを込めて伝えると、院長は微笑みながら首を振った。


「いいえ、私のやったことなど本当に微々たるもの。サリーはあなたがいなくなったことを心配して、いつ戻ってきても困らないようにと、自ら進んでローラさんのお手伝いに行ってくれたのです。だからお礼は彼女にね」

「はい、もちろんです」


 私たちは院長に促されて神へ祈りを捧げ、その後には院長に言われた通り広間へと向かう。

 そこには副院長や修女たちが集められていて、互いに帰ってきたことの喜びを分かち合った。


「サリー、これまで花売りのお手伝いをしてくれてありがとう。ここを離れてから、私ずっとローラさんの事が心配だったの。でもあなたが来てくれたと聞いてとてもほっとした。ここから通うのは大変だったでしょう?」

「何を言ってるの。私、これでも修道院で結構鍛えられているから。それくらい全然苦にならなかったわよ。それにアンセル様なら絶対にエマを救い出してくれるって信じていたから、花売りの仕事を途切れさせちゃいけないと思っていたの」


 そんなことを言ってくれるサリーが、本当に大好きだし友達でいられることが本当に嬉しい。

 私たちはお互いにあったことを報告し合いながら、ひと時の時間を過ごした。

 



  


「修道院の皆も元気そうでよかった。今度来るときは、ミルのお世話をしてくれていたお礼も考えなきゃ」


 再び馬車に乗った後、そんなことをアンセルと話した。

 彼女たちは、私が魔女の疑いで連れらされたことを知っている。そして全ての事情を把握した上で、私がここへ戻ってくることができるように祈り続けてくれたらしい。

 アンセルからエルミン院長との手紙のやりとりでそう書かれていたと聞いた時は、嬉しくて涙が出そうだったことを覚えている。


「ではこれからクイード邸に向かうけれど、ここからは大体二十分程度で着く。エマが家に来るの初めてだね」

「うん。楽しみだけど、アンセルの叔父様に会うのはちょっと緊張する……」


 私たちは最後に、ここの領主代理人であるアンセルの叔父に会いに行くことになっていた。騒動の発端でもある私も一緒に、これまでのことを報告しに伺うのだ。


「叔父上とはそれほど長い話にならないと思うよ。気性は父の弟なだけあって穏やかではあるけれど、面倒ごとを嫌う性格なんだ。だから話を聞いたらすぐに帰されると思う」


 私はアンセルの父であるクイード子爵……いや、元子爵に直接お会いしたことはないけれど、話を聞いている限りでは似た兄弟なのかなと想像する。

 ゆるやかな坂を下ったり上ったりしているうちに、やや小高い丘にある邸宅を見つけた。これまで目にしてきた伯爵邸や公爵邸に比べると小ぶりだけれど、この地を治める領主様の家という貫禄が漂っている。


「着いたよ、ここだ」


 塀の囲いもなく、綺麗に剪定された庭の中で馬車が停まった。私は初めて目にしたアンセルの家を見上げる。

 ここがアンセルが住む家なのだと思うと、やはり私とは生まれが違う人なのだと今更ながら実感する。


 

「おかえりなさいませ、アンセル様」


 使用人らしき人に迎えられ、私たちは領主代理人の部屋に通された。仕事部屋なのか、大きな机の前に座ったまま言葉を掛けられる。

 

「アンセル君、ご苦労だったね。彼女がその例の魔女……いや、アルト出身の娘か」

「エマです。以前からメサイムの薬師を目指すようお願いをしていた女性です。本来ならば、先月を目標に薬屋を開店する予定だったのですが」

「しかし、まさか兄上が爵位を剥奪されるとは、私は今も信じられんよ」


 話を聞いているのかいないのか、領主代理は悩まし気に首を振る。


「こればかりは仕方がありません。家が取り潰されなかっただけでもありがたいことです。――それで昨日お話をしたように、セダ王国はこれからアルト自由都市の支援国となります。当然このクイード領もその決定に従うことになりましたので、エマをこのままこの領地に住まわせ、予定通りメサイムの薬師になってもらうつもりです」

「ああ、君が言うなら間違いないだろう。好きにするといい」

「ありがとうございます。では後ほど許可のサインをいただきに参ります」


 どんな話し合いをするのかと思ったら、アンセルの言う通り本当にあっさりとそれだけで終わった。

 私が呆気にとられたように部屋を出ると、彼は苦笑するように口を開いた。


「叔父上は昔からあんな感じなんだ。穏やかではあるけれど、悪く言えば全てをなあなあで済まそうとする。やはり本業があるせいか、この代理の仕事は腰掛けという意識があるらしくて積極性がなくてね。だからあのドニスという管財人が長く放置されてしまった」


 廊下を歩きながらアンセルがそう語る。

 私はその名を聞いて、あの悪態をついていたドニスの姿を思い浮かべた。


 今回の事件の発端、つまり私をフィリオ伯爵に密告したのはこの男だった。

 排斥派の処分が決まった後で、伯爵を取り調べしていた中でそれが発覚した。それは密告した人物も調査に上がり、ドニスも呼び出されたらしい。

 その時の話によれば、私をアルト出身者だと確信もなく、憶測で手紙を出したという。私が四年前にこの土地に来た移民であることを聞きつけ、それがちょうど魔女狩りの時期に被っていることを知った。だから『もしかしたら魔女かもしれない』と情報提供をしただけだ、と自分の正当性を主張したということだった。


 確かにその通りだ。排斥派に属する貴族の領民が、それを通報したところで罪に問われる理由はない。皮肉なことにその内容は当たっていて、言いがかりでもなかったのだから当然だ。それらの調査を終えた後、ドニスはそのまま家に帰されている。


「本当は、あの男に対して酷く醜い感情を抱いている。思い出すだけで腹立たしくて、胸の奥が黒く染まりそうになるんだ。……でも、私情で権力を振りかざせば、その地はやがて崩壊する。どんなに許しがたくても、根拠なく裁いてはいけない。――それが悔しくてもどかしい」


 アンセルが虚しそうに顔を顰め、自分に言い聞かせるように語った。

 でも私はというと、ドニスに対してそこまで怒りの感情というものが湧いていない。話を聞いた時は、ほんの少しむかついたけれど。

 でもそんな思いがすぐに消えたのは、きっと私自身が後ろめたい気持ちを抱えてここで暮らしてきたから。自分の身を守りたいがために、この地で隠し事をして嘘までついた。だからそれが暴かれたとしても、私にはそれを責める気にはならなかった。


「ドニスさんのことで怒ってくれてありがとう。アンセルも大変な思いさせられて、そう思う気持ちはすごくわかる。私も辛い思いをしたし、ちょっと腹も立った。でもね、不思議と恨む気持ちが湧いてこないのよね」


 私がそう話すと、アンセルは意外そうな顔をしてこちらを見た。


「もしかしたら、気分がすっきりとしているからかもしれない。すべてを晒した解放感、とでもいうのかしら。あの人のおかげとまでは言いたくないけれど、結果だけを見れば私はもう嘘をつかなくてよくなったんだもの。それに、あの人はすでに不正で罰せられていたでしょう? だからアンセルの言う通り、また悪さをしない限りは今のままで良いと思うの」

「うん……そうだね。それにこれからはオスガル兄上がここの領主になる。父や叔父上に比べると厳しく見ていくだろうから、そう悪いこともできないだろうな」


 自分の中で思いを消化したのか、穏やかな表情に戻ってそう話していた。



 やがて一つの部屋に辿り着くと、その扉を開いた。


「着いたよ、どうぞ中へ」


 促されて中に入ると、そこは書斎のような雰囲気の部屋だった。


「ここは、いま僕が使用している部屋なんだ。もう昼を回っているから軽食を用意するよ」


 どこに向かっているのかと思ったら、まさかアンセルのお部屋とは。彼がここで毎日生活をしているのかと思うと、なんだかドキドキとして緊張してしまう。

 アンセルはすぐに呼び鈴を鳴らして、訪室した使用人に用事を言いつけている。その間に、私は部屋全体を見渡してみた。広さは大きくも小さくもなく、贅沢品のようなものは置いていなかった。大きな机があって本棚が並ぶ、割と簡素な印象だ。


「狭い部屋で申し訳ないけれど、ダイニングや応接室よりもここの方が落ち着くかと思って。窓辺のテーブルで食事をしようか」


 導かれるように椅子に座ると、その窓からは一つの町が見下ろせた。


「あの町は、もしかしてカザエラ?」

「うん。馬だとすぐに着く距離だよ。歩いたとしても大した時間がかからない」


 カザエラに行った時は、まさかこんな近くにクイード家のお屋敷があったとは気付かなかった。たしかに毎日の生活を考えれば、町が近くにあった方が便利ではある。

 そんな他愛のない話をしながら、私は持っていたカバンをどうしようかと考えていた。


「荷物を預かろうか? 机の上でいいかな」

「ああ、えっと……」


 私はカバンを抱えて動揺する。実は、この中にアンセルに作っていたミトン手袋が入っている。家に戻った後、ほぼ完成しかけていたそれを、彼が迎えに来てくれる間に仕上て持ってきたのだ。

 でもこうして彼の貴族としての暮らしぶりを目の当たりにしてしまうと、自分の作ったものが貧相に見えて迷ってしまった。


「どうした?」


 カバンを手放さない私を見て、アンセルが不思議そうに尋ねる。

 私は意を決して、おそるおそる手袋を出してみた。藍色のミトンと、生成りのナチュラル色のミトン。


「手袋?」

「実はこれ、冬の間に渡そうと作っていた物で。私なりの精一杯の気持ちとして……」


 なるべく模様を凝らして高級感を出すようにしてみたけれど、おかしくないだろうか。


「まさか、これを僕のために?」

「うん。アンセルにはいつもお世話になっていたし、外套までプレゼントしてくれたお礼を考えていたの。私にはアンセルに見合うものを買えないし、だったら作ってしまおうと思って」


 そう言って藍色の手袋を渡すと、アンセルは目を大きく開いて大事そうに受け取った。


「本当に、僕のために作ってくれたんだ……。とても嬉しい。どうもありがとう」


 その嬉しそうな表情から、素直に喜んでくれる彼を見て私まで嬉しくなった。完成させて、勇気を出して渡してよかった。


「あれ、もう一つ手袋がある?」


 私の手元に残ったナチュラル色のミトンを見てアンセルが尋ねる。


「こっちは、いつもお世話になっている馬車の御者さんに。カザエラに何度も通っていた時、いつも寒い中大変そうだなと思って見ていたの。薄手の手袋をしていたけれど、せめて休憩中くらいはその上からも被せられるようにと」

「御者に……あ、ああ。そうなんだ」


 明らかに声のトーンが下がったので、余計はお世話だったかと不安になった。


「もしかして、あまりこういうことはしない方がよかった? ごめんなさい、貴族のしきたりがわからなくて」

「ご、ごめん。違うよ。そういうわけじゃない。きっと彼も喜んでくれるはずだ。ただ……」

「ただ?」


 その後の言葉を続けようとしないので、促してみる。


「いや、何でもない。僕はただ、エマのそういうところが好きなだけで」

「えっ。あ、そう。ありがと……」


 あたたかな昼下がり。まだそれほど日差しは強くないはずなのに、なんだか自分の顔が熱いような気がした。


 





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