26. リゼルからの提案【アンセルside】
夜の聖堂の、とある一室。それほど大きくない部屋で二人は向かい合っていた。
書斎机の上で手を組むリゼルを、アンセルは暗い目で見下ろしている。
「で、お前はこのまま帰るのか?」
面白そうに、兄は弟の顔を見上げて尋ねた。
アンセルが王都の家に戻ってきたのは、リゼルがエマを救出して魔法院に到着する二日前だった。手紙の返事が領地に届き、王都の家に戻るよう書き記されていた。
エマのことが気にかかっていたこともあり、叔父に事情を話してすぐに領地を発った。
王都の子爵邸に戻ってからリゼルたちの帰還を待ち、彼らが魔法院に到着したと知らせが入るとすぐに兄との面会を申し入れた。
そして約一年ぶりに会った兄は、いつも以上に機嫌が良さそうだった。
「久しく見ない間に、少し大人っぽくなったな」
そんな軽い挨拶のあと後、リゼルからエマを無事に保護したことを聞かされる。それに安堵したのも束の間、彼女の置かれていた状況が続けて語られた。
地下牢に閉じ込められ、陽の光も差し込まない湿気のある不衛生な場所であったこと。服は汚れ薄汚く、顔色も悪くやつれていた。きっとまともな食事を与えられなかったのだろうとの話に、アンセルは眩暈がしそうだった。
「罪人でもないのに、アルト民の可能性があるというだけであんな扱いとはね」
そう言ってリゼルは皮肉めいた声で笑った。
兄のことが苦手で、ここ数年は嫌悪にも近い感情を抱いている。しかしそんなアンセルも、今の言葉を深く噛みしめうなだれる。
あの日、エマが伯爵領の衛兵たちに連行されて行った夜。抵抗する彼女を説得して、送り出したことを思い出すだけで吐き気がした。
なぜ彼女を一人にして大丈夫だと思ったのか。なぜ衛兵たちに自分の言葉を聞き入れてもらえると思ったのか。考えの甘さに、アンセルは悔いるしかなかった。
「それにしても彼女には会わなくていいのか? よかったら面会の手配するが」
「……僕は、エマをそこへ差し出した本人です。合わせる顔などありません。それに、彼女も到着したばかりで落ち着いていないでしょう。少し時間を置いてから手紙を書こうと思います」
「合わせる顔がない?」
リゼルが眉を上げ、冷笑を浮かべる。
「フィリオ伯爵の下した命令を、お前の力でどうにか出来たはずだって? いつの間に随分と偉くなったものだね」
そう言われて、アンセルは顔をカッと赤くした。
「ああ、すまない。私でも無理難題なことを、生意気にも解決出来る気になっていたようで面白くてね。つい意地悪を言ってしまった」
いつもの兄らしい言い回しだが、もしかしたら彼なりの慰めの言葉なのだろうか。
それでも、どうにも出来なかったことへの無力感と悔しさは拭いきれなかった。
あの日、エマの言葉だけは守ろうと誓った。
衛兵とエマが去った後、すぐにミルを修道院まで抱え、体を見てもらうよう頼みこんだ。簡単に経緯を話し、怪我があるようならば治療を頼み、すぐに家へ帰って兄に手紙を書いた。
リゼルのいる魔法院で、エマを保護してほしいという依頼。手紙には、これまでの流れを全て書き綴った。
フィリオ伯爵の荒い気性を考えれば、疑惑だけでエマを王都へ送ることも考えられる。だからその前に、魔法院に保護され彼女の潔白を証明してもらいたかった。
「お前を褒めることがあるとしたら、すぐに手紙を寄越したことだね。そのおかげでフィリオ伯爵が動く前に、こちらも手を打つことができた。もし一歩遅れていたら、彼女はこの国にはいられなかったかもしれない」
褒められたところで嬉しく思うことはない。それでも兄が彼女を救い出し、保護してくれたことには感謝している。
「今回のことは、兄上が動いてくれたおかげです。ここならエマを安心して任せられます。これでしばらく――」
「お前は、彼女が魔女なのかと最後まで訊かないんだな」
リゼルの視線が、アンセルの心を見透かすように突き刺す。
「あの娘は魔女だったよ」
「………」
「まあ、あちら側に合わせて言えばだけどね。彼女はアルト民だった。自由都市郊外のフジムという町の出身だと話していたよ」
衛兵隊長がクイード邸を訪れた時、嫌な予感はしていた。しかし疑ってはいけない、エマの為にも信じなければと言い聞かせて、魔女である可能性を考えないようにしていた。
けれど、それは目を背けていたに過ぎなかったのだろうか。
リゼルから、事実を受け止める勇気がないのだと突きつけられたようで、アンセルは言葉もなくうなだれる。
「やはり魔女は排斥されるべき人間か?」
「……僕は」
「彼女は『闇の力』を持つ人間だったよ。ルヴィアがそれを証言している。もしかしたら、お前もすでに魅了魔法を掛けられているかもしれないな」
「それは違う!」
煽られているとわかっていながら、アンセルは声を上げた。
エマがそんなことをするわけがない。以前に衛兵隊長だった男もそんなこと戯言を言っていたが、考えるに値しないことだ。
「エマには、僕にそのようなことをする理由がありません。とにかく仕事が大切で、薬師になる為に勉強と両立させて努力をしている人です。それも、僕が花売りだった彼女に勝手にお願いをしたことだ。恩を感じるのは当然で、そんな僕に魅了魔法を仕掛ける必要などありません」
当初、アンセルは気軽にエマへ薬師の話を持ち掛けた。領民からの嘆願書を軽視しがちだった叔父に密かな苛立ちを抱き、どうにかしなければと考えていた頃だ。
一度は受け入れてもらえて安堵したが、目の下に隈を作るほど疲労した顔のエマを見て、自分の考えが浅はかだったことに気付く。
領主の息子からの要請に、まだ若い彼女が重圧を感じることだって考えられたはずだ。エルミン院長は楽しそうに学んでいると言っていたが、それが本当かもわからない。だから顔色の優れない彼女の体調が気掛かりで、度々様子を見に訪れた。
自分とエマでは立場が違う。それが彼女に無理をさせているのではないかと悩み、カザエラからの帰り道で彼女に友達になってほしいと願い出た。
でも、それが本当に彼女のためだったのか、今の自分にはわからない。ただその時はもっと気楽に、親しくなりたいと思ってそう伝えたような気がする。
ひたむきに仕事と勉強に打ち込む彼女を目にするうちに、心が少しずつ彼女に傾いていくのがわかっていた。
それからは多くの話をしたけれど、思えば彼女は一度も過去のことを話そうとはしなかった。
「というわけで、エマは魔女であることが証明されたわけだが。で、お前はこのまま帰るのか?」
一度、エマの前で魔女を否定することを言ったことがある。彼女はその時、何を思ったのだろう。
「……合わせる顔がないというのは本心です。しかし、僕はまだ領地に戻るつもりはありません。なぜエマが密告されることになったのか、そしてフィリオ伯爵にはエマに危害を加えないと約束してもらうまで、ここを離れるわけにいきません」
アンセルは気を立て直して兄にそう告げた。もしエマがメサイムに帰ることになった時、フィリオ伯爵の影響を受けるクイード領では安全を約束できないからだ。国王は中立を保ち、どちらの排斥派・共生派のどちらにも加担しないことはわかっている。そのため、フィリオ伯爵に理解を求める必要があった。
「なるほど。お前がフィリオ伯爵にまで言及するとは思わなかったよ。この一年で随分と変わったのかな」
リゼルは鋭い眼差しを緩めて、いつもの人を食ったような余裕ある微笑みを浮かべる。
「そこまで言うならこちらも少し話しておこうか。お前には言ってなかったが、実は排斥派側には私の味方がいてね。その情報によると、どうやらサンベルグ公爵が少し前から不審な動きを見せている」
「不審な動き……?」
「ガルダンの使者らしき人物が公爵家を何度も訪れていると知らされている。目的は何なのか、ある程度の予想はつくけどね」
それを聞いてアンセルの顔が青ざめた。サンべルグ公爵は、王家にもガルダンの騎王にもつながりを持つ、王家に引けを取らない大貴族だ。そんな大物が動き出したら、いくら王立魔法院とはいえ無視できる存在ではない。
「兄上、陛下はそれをご存じなのでしょうか。何かあればこの魔法院も」
「まあ、落ち着け。その辺りは私も考えている。それでなんだが……」
リゼルのこれらの説明は、ただの親切心で言っているのではないと長い付き合いで気付いている。おそらく今回のことを利用して、自分側に付けと言っているのだ。
しかし言われるまでもなくアンセルの心は決まっていた。子爵の父も、リゼル以外の兄たちも、国王陛下の顔色を窺いながらフィリオ伯爵の意見に従っている。そしてこれまでは自身もそうしてきた。
「……わかりました。では僕は一度王都の家に戻り、父上に報告してきます」
リゼルからある一つの提案を受けて、アンセルはそれを承諾した。




