20. 牢の外へ
「君がエマ?」
優雅にそう尋ねられて、私は声もなく頷いた。まるで地下牢に舞い降りた天使、のような人に話しかけられて呆気に取られたのだと思う。
襟足で綺麗に切りそろえられたブロンドの髪が、首を傾げた方にさらりと流れる。その動作があまりに美しくて、思わず見入ってしまった。
「魔修士様、直接女と対面するのは危険です!」
衛兵隊長が牢の外から慌てたように声を上げる。しかし彼は、聞こえていないかのように気にする様子がない。
「君が魔女と呼ばれた女の子か。ふぅん、意外と普通の娘なんだね」
ニコニコと微笑んでいるけれど、気のせいかどこか小馬鹿にされているような空気を感じる。
「衛兵隊長さん、このまま私が王都へ連れて行きます。すぐに出発しますので準備をよろしく」
魔修士様と呼ばれた美しい人は、外に向かってそう告げるとすぐに牢を出ていった。そして入れ替わるように、ウォードが姿を現す。
「後ろを向け。これから王都に移送する」
そう言って私の両手を後ろで縛り、ここへ来た時のように頭から布を被せられた。
やはりあの人は王都からの使者だったのだ。私を助けにきた天使ではなく、断罪するために遣わされた。
腕を掴まれ、引きずられるようにして牢から出された。久しぶりに歩くせいか、力が入りにくく足元がふらついている。
転ばないよう慎重に階段を上がっていくと、その先で扉の開かれる音が聞こえた。
「まぶしい……」
布越しに差し込む日の光。ずっと薄暗闇の中にいたから、思わず目を細めてしまうほど明るく感じた。
「では、魔修士様。後をお願いします」
「うん、到着した後はこちらからフィリオ伯爵に報告を入れるから、あなた方は気にしないでいい」
少し歩いてから立ち止まると、微かに馬の息遣いと匂いがした。このまますぐに出発するつもりらしい。
このあたりで、私はすでに諦めの境地にいた。ただでさえ空腹で考える力も奪われ、彼らの話はほとんど雑音のように聞こえる。
考えることを放棄して、抵抗もせず連れられるまま馬車に乗せられた。絶望して無気力になっていた私だけれど、いざ足をかけて乗り込む時に手を添えられて驚いた。衛兵に捕らえられた時はまるで荷物のように扱われたけれど、どうも彼らとは様子が違うらしい。しかも座った席は柔らかく、座り心地の良いものだ。
そこで初めて『あれ?』と違和感を覚えた。
「随分とご苦労だったね。長い時間お疲れ様」
馬が走り出してしばらくすると、先程の男性が私に話しかけた。そしてそれが合図のように、後ろ手に縛られていた縄を外される。覆われていた布もすぐに取り払われ、私はやっと周囲の状況を目にすることができた。
「え……?」
高級そうな馬車の内装が目に映り、目の前にはあの美しい人が座っている。そして私の隣には、もう一人の別の男性が縄を持って座っていた。
「随分と汚れていますね」
「地下牢に二週間もいたんだ、それは汚くもなるだろう」
私は呆気に取られて交互に二人を見つめる。どうして縄を外されたのか、布を取り払われたのかわからない。魔女疑惑のある私を解放したのはどういう意図なのか。
「あの、手縄を外してしまってもいいんですか?」
彼らの目的がわからず、不安になってそう尋ねた。
「なに、まだ縛られていたい?」
「リゼル様。いつもそういう余計なことを言うから、アンセルに嫌われるんですよ」
予想もしていなかった名前を聞いて、思わず目を見開いた。
「アンセル……?」
「では、自己紹介をしようか。私の名はリゼル・クイード。君の身柄を預かるために王都から迎えにきた」
ここで思いもよらない名前を耳にして呆然とする。そういえばアンセルには兄姉がいて、自分は四男なのだと教えてくれたことがある。
「もしかして、アンセルのご兄弟……ということですか?」
「うん。私はクイード家の三男で、アンセルのすぐ上の兄にあたる。実はその大切な弟から手紙を貰ってね。そこには君を救い出すための依頼が書かれていた。……あいつが私に頼みごとをするなんて余程のことだ。それが嬉しくて、言われた通り君を迎えに来たというわけだ」
「まさか、アンセルがそんなことを……」
私はふいに切なくなって涙が滲んだ。彼は彼で、私を助けようとしてくれていたらしい。見捨てられたわけじゃなかったと知って、これまでの辛かった思いが胸に込み上げる。
「君が連れて行かれてから、すぐに僕宛に手紙を書いたんだろう。慌てていたのか字も乱れているし、推敲もされていないような文を僕の元に送り付けてきた。内容もさることながら、その取り乱した様子にも興味を引かれてね。これは手を貸す以外にないと自ら足を運んだんだ」
まだわからないことは沢山あるけれど、とりあえず私は助かったのかもしれないと思い始めていた。
「では、私を王都ではなくメサイムへ送ってくださるのですか?」
念のため行き先を確認すると、リゼルは軽く首を横に振る。
「残念ながらそういうわけにはいかない。今回君を伯爵領から連れ出せたのは、王立魔法院からの要請という理由のためだからね。私はそこに属する魔修士という立場でここに来た。つまり今はフィリオ伯爵の手を離れ、国が君を預かり監視を行うということになっている。そのため伯爵もそれを受け入れるしかなかったというわけだ。……これが横取りされたと知ったら、彼らは悔しがるだろうな」
リゼルは目を細めて面白そうに笑った。彼の表情にはどこか怖さのようなものを感じるけれど、アンセルの兄ということならば信頼してもいいのだろうか。メサイムに帰れないと知って、まだわずかに不安が残る。
「リゼル様、そんな邪悪な笑顔を見せたら誤解されますよ。すみません、この方は見た目ほど悪い人じゃないので安心してください」
「邪悪とは失礼だな。そうそう彼を紹介しよう。院では魔学士として私の助手をしている、ジーク・マクレンだ。一応君の監視役となっているので、しばらく隣においてやってほしい」
「どうぞよろしく。監視といっても形だけだから、緊張しなくて大丈夫だよ」
そもそも魔修士や魔学士が何かもわかっていないけれど、ウォードの対応を見ればそれなりに偉い人であることはわかる。
それにしても……この人たちは私を魔女と疑っていないのだろうか。でなければ縄を外して自由にさせるということはしないはずだ。
「これからの予定を話すと、三日ほどかけて王都に向かうことになる。今日はこれからユージラム伯爵の御邸に泊まらせてもらい、明日は修道院に宿泊する。そして明後日には王都に到着し、魔法院が君を預かりしばらくの間はそこで生活をしてもらうことになる」
まだまだ先がどうなるか見えないけれど、とりあえずアンセルの身内が近くにいてくれることにほっとした。ジークという人も悪い人には見えないし……と少し安堵したら、なんだか酷い睡魔が襲ってきた。
「さすがに二週間も牢にいたのは大変だったろう。宿泊先まではまだしばらくかかる、無理せず眠ってしまっていいよ」
自分でも張り詰めていた気持ちが緩むのがわかった。ただでさえ不安と緊張のなかで、昼夜の感覚すら狂う地下牢にいた。その上まともな食事も与えられず体力も失っていた私は、その言葉を聞きながら泥ように深い眠りに落ちていった。




