18. 衛兵隊長の尋問
アンセルにミルのことを任せて、私は身支度を許された後、再び頭から大きな布を被せられた。男たちに囲まれるようにして家を出て、何も見えない暗闇の中を腕を引かれるようにして歩いていく。
どこを歩いているのかもわからない。ただ躓かないよう気を付けながら、ただ言われたことに従うしかなかった。
しばらく歩いてから、私は何かに乗り上がるよう指示を出された。足を踏み込むとわずかに足元が揺れ、やがて床に座るよう命令される。近くでは馬の息遣いもわずかに聞こえるので、おそらく荷馬車にでも乗せられたのだろう。
私は寒さから身を守るように、アンセルから貰ったクロークを前で合わせて身を小さくした。何も持たず、ただこれだけを身に付けて家を出てきた。
綺麗なクリーム色の外套だけれど、砂でざらついた床ではきっと汚れてしまうだろう。
私は魔女なのだろうか。
あの男がミルに危害を加えようとした時。アンセルが止める前に、一瞬だけあの男の意識を掴み取った感覚があった。
あれが魔女の力なのだとしたら、彼は私に失望してしまうかもしれない。
……その先を考えることが怖くなって、私は閉ざされた暗闇の中で目をぎゅっと瞑った。
「準備ができた。すぐにここを出発する」
先程の男の声が聞こえ、間もなく馬車が動き出した。目的地はフィリオ伯爵領らしい。ここからどれくらい時間がかかるのか、この地しか知らない私には見当もつかない。
『疑いさえ晴れればすぐに帰してもらえるだろうから』
何も見えない暗闇の中、最後のアンセルの言葉を思い出す。
私を信じて疑わない彼の言葉が、今の私には棘となって私の胸に突き刺さるようだった。
かなり長い間揺られていた。どれほど経ったのかわからないけれど、おそらく普段なら深い眠りについている頃だろうという時間だった。
馬車が停まり、同乗していた兵たちが次々と降りていく様子が窺える。どうやら目的地についたらしい。
気が張っているせいか眠気もなく、私は周囲を把握しようと耳を澄ませ匂いに気を配った。
ドアの開く音が聞こえて、歩く踵の音が反響する。どこかの建物の中に入ったらしく、覆われた布からぼんやりと明かりが透過した。
この先に下り階段があることを伝えられ、私は足元に気を付けながらゆっくりと降りていった。
先程までの冷気が和らぎ、湿った土の匂いが鼻につく。
「今日からしばらくここで過ごしてもらう。看守を誑かそうとしても無駄だと初めに言っておこう。こちらも対策をしているからな」
ウォードと呼ばれていた衛兵隊長が、蔑むよう言い放つ。
縛られていた腕を解かれ、やっと解放された私は頭に被らされていた布を取り払った。石壁に囲まれ、鉄格子には全面布が張られている。これは魔女の視線を遮る目的で張られているのだろうか。
ここは窓もなく、完全に閉ざされた空間だった。
男が立ち去る音を聞いて、私は改めて周囲を見渡した。布越しに入る廊下の明かりで、どうにか見える程度の牢。壁際の床には藁束が置かれ、反対側の部屋の隅には小さな穴が開いている。
私はため息をついて、被せられていた布を体に巻きつけて壁に背もたれるように座った。あの藁が寝具代わりなのだろうけれど、じっとりと湿り気を帯びた汚れた藁の上でなんて寝られるわけがない。
私は諦めの気持ちで、座ったまま重い目を閉じた。
いつの間にか眠ってしまったようで、人の足音が聞こえてゆっくりと目を開けた。膝を抱えて丸くしていた体を伸ばし、顔を上げる。
「食事だ」
愛想のない男の声が聞こえて、扉の下の隙間から食事が差し入れられた。ボウルにはパン粥が入っていて、それ以外はない。
「朝なんですか?」
地下牢だと思われるここでは時間の経過がわからない。状況を把握したいのと心細さを紛らわしたくて、とりあえず食事をくれた人に声を掛けてみた。
しかし会話を禁止されているのか、何も答えてもらえずに沈黙が落ちる。
仕方がないので、私は出されたボウルに手を伸ばした。ほとんど味のしない粥を口に運び、お腹が満たされないまますぐに食事を終える。本当に罪人扱いされているのだと、不潔な牢と貧しい食事からひしひしと実感していた。
これほど惨めな気持ちになったのは初めてで、不安から涙がじんわりと滲んでくる。
魔女狩りで町が焼かれて逃げる時も、数日を野宿しながら歩いた時も。追われる怖さや焦燥感はあったけれど、今のように自分を惨めだと思うことはなかった。
ミルの体は大丈夫だろうか。アンセルは今、何を思っているのだろうか。そして私はメサイムに帰れるのか。
あまりに酷い環境に落とされて、これから先のことなど全く見えなかった。アンセルは疑いが晴れれば帰してもらえると言っていたけれど、こんな扱いを受けて無事に解放されるとは思えなくなっている。
食器を返した後、再び壁に背もたれてしばらくそんなことを考えていると、再び上の方から足音が近付いてくる音がした。
やがて格子に張られた布越しに、大柄な人影が映る。
「尋問の時間だ」
ウォードの声だ。私はその場に座ったままその影を見上げた。
「まず名前から確認する。お前は町でエマと名乗っているようだが、それは本名か」
もちろんそれには嘘がないので素直に認める。ありふれた名前だし、特に隠す必要もない。それに当時は偽名を使うなどという発想もなかった。
「メサイムにはいつから住んでいる?」
私はその質問について一瞬考える。私のことを密告したという相手は、どこまで知っているのか。
私が余所者であるということはメサイムの人たちは当然知っている。けれど私がアルト自由都市から来たなんて、誰にも一言も話していない。それこそフジムの町を出てから一度も。
密告者は本当に私がアルトの出だと知っていたのだろうか?という疑問がある。
「……四年程前からです。親とはぐれて、偶然メサイムの町に辿り着きました」
慎重に、小さな嘘を混ぜて答える。
「親とはぐれて……か。ではどこから来たのか答えてもらおうか。どの国の何という町で生まれ育ったのか」
「わ、私の親は行商人をしていて、幼い頃から町を転々と移動していたから憶えていないんです」
動揺を抑えながら苦しい嘘を並べる。以前から、故郷のことを尋ねられたらこう答えよう、と考えていた言い訳だ。なかなか良い理由が思いつかず、こんな答えしか出せなかったけれど。
「家族で商売か。もし本当にはぐれたと言うのなら、親がお前を探さなかったというのは不自然だな。行商人は町から町に移動する。それなのにこの四年の間、メサイムを一度も訪れることもなく、娘を尋ねることもしなかったということだ」
「…………」
「捨て子、という可能性も当時の年齢的には考えにくい。お前は一体どこから来た?」
ウォードの問いに、じわじわと追い詰められていく。
「親の名前は? 行商人の名簿を調べればこちらも把握できる。本当だと言うならそれを答えろ」
「いつも『お父さん』と呼んでいて……四年も離れて暮らしていたので」
自分でも苦しい言い訳だと自覚している。だけどここで明確な嘘をついて暴かれるよりも、曖昧にしておく方がましだと判断した。
「知らない、忘れたで押し通すつもりか? ……まあいい。こちらは質問に回答しなかったと報告するだけだ。その結果がどうなろうと知ったこっちゃない」
ウォードは低い声で、私を脅すようなことを言う。
そして布越しに見えていた影が薄くなり、足音が遠のいていった。どうやら話は終わって帰ったらしい。
質問がこれだけだったのは、はっきりと答えない私に見切りをつけたからだろうか。
でも、どう答えたらよかった?
嘘を言っても本当のことを言っても、結果なんて変わらない。
だって今となっては、私自身が『魔女』かもしれないと疑っているのだから。