17. 招かれざる訪問者
夕食を終えて、一日の仕事をすべて済ませた静かな夜。
私は作りかけの編み物を引っ張り出して、棒針を持ってせっせと手を動かしていた。
新しく作った羊毛生地の新ベッドでミルが丸くなっている横で、炉とオイルランプの明かりで糸を編んでゆく。早く仕上げようと頑張って、上手くいけば明日にでも完成という所まできていた。
ふと視界の端に、小さな明かりが映り込んだ気がして顔を上げた。格子状のガラス窓に目をやると、その向こうにふわふわと揺れる灯りが浮かんでいる。はっきりとはわからないけれど、誰かが街道側からランタンを持って歩いてくるようだ。
この小さな町の人たちは、夜を迎えたら外を出歩くことが少ない。誰かが遅くまで外出していたのだろうか?
珍しく思いながら、再び編み物に目を落とす。
すると、今まで寝ていたミルが身を起こして、のそのそと玄関の方へ歩いていった。
「どうしたの、ミル?」
名前を呼びかけると、外が気になるのか振り返ることなく尻尾をゆらゆらさせている。
「……まさか、あの灯りはうちに向かってる?」
何かを探るように玄関の外を窺うミルの様子に、何かざわつくものを感じた。手に持っていた棒針を置き、私もそっと扉の方へ向かう。すると突然、向かい側からノック音が響いた。
私はびくりとして、扉越しにどなたですかと尋ねる。
「……エマ」
思いがけず聞き馴染んだ声が聞こえたので、ほっと安堵して扉を開けた。やはりアンセルだ。でもどうしてこんな夜更けに?
「ミル?」
彼の訪問だというのに、ミルは警戒態勢を強めていた。
「エマ、夜遅くにごめん」
暗くて表情がよく見えない。けれど沈んだような声が気になって、話しかけようとした時――――。
「メサイムの薬師を目指しているエマさん、ですな? 少々お時間をいただきたいのですが」
アンセルの陰から、強面の男が姿を現した。私は何事かわからず気圧されていると、男は私を押し込む形で強引に家の中に入ってきた。
「今だ、捕らえろ!」
男が大声を上げたかと思うと、更に数人が床を踏み鳴らしながら押し入ってきた。
「きゃあっ!」
訳が分からず思わず逃げようとしたけれど、突然頭から布を被せられて上半身を覆われた。
「待ってください、私はこんなことを許した覚えはない! 即刻彼女から離れろ!」
すぐ側で、アンセルの耳にしたことのないような怒り声が聞こえる。
何が起きているのかさっぱりわからず、私は包まれた布の中で必死にもがいた。
「邪魔しないでいただきたい。これはフィリオ伯爵の命令で、王都に住まわれているクイード子爵も了承されています」
「だからといって、こんな乱暴な真似などしなくても!」
「魔女は『魅了魔法』を使います。多少手荒だろうが、こちらも防御せねばならんのですよ」
気になる会話が聞こえるけれど、こちらもそれどころではない。とにかく何も見えないことが怖くて、私は被せられた布を振り払うことに必死だった。
どうにか手段を考え、一瞬だけ身をかがめて囲んでいた男たちの足に体当たりして脱出を図る。
よろけた男の隙をついて、やっと布を取り払うことができた。
「何をやっている!」
最初に顔を見せた男が、私を取り押さえようと強く腕を捻り上げる。その握力に思わず呻き声を上げると、音もなく近付いていたミルが勢いよく男に飛び掛かかった。
「痛ぇ! なんだこのクソ猫!」
男は咄嗟に腕で振り払い、その勢いでミルが壁に打ちつけられる。
「ミ……」
床に倒れた彼女を狙い、追い打ちをかけるように男が片足を上げた。
「ウォード殿!」
「やめて!」
私は悲鳴を上げて、男を凝視した。
「え……あれ?」
急に男は間抜けな声を出して、片足を上げたまま固まっている。私はその隙にミルの側に駆け寄り、横たわった体を抱えて部屋の端へ寄った。その隙にアンセルが男を羽交い絞めにし、私たちに近寄れないよう体を拘束してくれていた。
「一体何だ……?」
「いい加減にしてください! いくら伯爵からの使者とはいえ、暴力を認めることは出来ない。……お願いします、エマには私が説得しますから」
ウォードと呼ばれた男からは厳つい表情が消え、どこか腑に落ちないような顔をして私の顔を見ている。
「なんだ? 急に体が動かなくなって……」
「私が必死にあなたを止めたのです。いくらなんでも、猫を踏みつけようとするのはやり過ぎだ」
「いや、……そうなのか?」
「間に合ってよかった。暴力はもちろん、無礼な真似はやめてください、約束は守りますから」
そう言って男たちを見渡すアンセルを、呆然と見上げた。
混乱の中で飛び交う『魔女』という言葉。それだけで何となく状況が呑み込めた。私がこの町に来てからずっと秘密にしていたことが、おそらく明るみになったのだと。
アンセルが哀しそうに私に語りかける。
「怖がらせてごめん。こんなことを許すつもりじゃなかった。言い訳だと思うかもしれないけれど」
「アンセル、私……」
今まで、私は魔女なんて自分には無関係だと思っていた。本当にいるかもわからない『魔女』が、たまたま私たちの故郷の何処かにいただけだと。
だけどたった今、自覚してしまった。男がミルを踏みつけようとした時、私は明らかに何らかの力を行使したのだと。この眼に力が宿り、男の意識を縛り付けたのだと理解してしまった。
「もしかしたらこれまでの会話で気付いたかもしれないけれど、エマに魔女の疑いがかかっている。この人たちは調査の為にこの地を訪れ、フィリオ伯爵領で君の身柄を預かりたいと申し出があった。……大丈夫、フィリオ家とクイード家は古くからの縁があるんだ。僕からもエマに無礼を働かないないようにお願いしておくから。それに疑いさえ晴れればすぐに帰してもらえるはずだから」
「違うの、私……」
「ん?」
だけど、それ以上言葉が続かない。
違うの、もしかしたら私は魔女かもしれないの。でも、こんなことをアンセルに言えるわけがない。
「薬師としてやっと独り立ちが出来るという時に、本当ならこんな疑いのせいで時間を奪わせたくない。だけど」
「……わかってる。そうするしかないんでしょう?」
私は短い間に色々と思いを巡らせ、結論を出した。ここはクイード子爵領なのに、他の貴族の使者が大きな顔をして踏み込んでくるということは、きっとクイード家よりも偉い立場の人の命令なのだろう。
それに彼の父親であり領主であるクイード子爵が了承しているとなれば、アンセルに拒否権が無いことなどわかる。
「一つだけお願い、ミルが心配なの。私がいない間に治療と面倒を任せられる?」
「もちろんだよ。責任を持って彼女を見るから安心して」
アンセルを見つめた。
彼は私を売ったわけでも、裏切ったわけでもない。その証拠に、私を庇い信じようとしてくれている。
だけど、だけど。私は彼の信用に値する人間なのだろうか?
私自身が、自分を疑うようになっていた。