幕間 ―火種―
ドニスは近頃、苛立っていることが多い。
飲みに行く前、薬屋へ寄っていたらいつの間にか雪が降り始めた。
不快な寒さに悪態をつきながら、ドニスは身を縮ませていつもの酒場を訪れる。そこには馴染みの顔がちらほらと見え、その内の一人が彼を席に誘った。
「よう、ドニスさん。今日は冷えるね」
この町には、不正を行って失職したドニスのことを悪く思わない者がいる。金にはがめついが、言い換えれば金さえ払えば融通を利かし、そこそこ無茶なお願いも聞いてくれる存在だったからだ。
要は賄賂が横行していたのだが、相互利益を得る間柄の者も多くいてドニスに対して悪意を持っているものはこの町では少なかった。
「どうだい、身体を温めるのに最初にキツいのいっとくかい?」
「ああ。いま腹の薬を飲んできたところだからちょうどいい」
ドニスは管財人という立場を失ってから、この町に住む友人の世話になっている。それは市場頭の商人で、今までいくらか便宜を図っていた男だ。彼の事務仕事の一部を任されどうにか生活は出来ているが、報酬は以前と比べたら雲泥の差だった。
雇い入れてくれた友人には感謝しているが、それでも自分はこんな仕事をする人間じゃないというプライドが捨てきれないでいる。
だから休みの日はこうして酒に逃げる生活だった。
「そういやまたアンセル様がこの辺りを歩いているってよ。あの人が来てからやりにくくなったよなぁ。一番割を食ったのはあんただけどさ」
そういえば先程寄った薬屋に、メサイムの薬師を目指しているという娘がいた。アンセルが後ろ盾となっているとの話だったので、おそらくあの男がこの町に連れてきたのだろう。
ドニスは苦々しく思いながら酒を一気にあおった。
近頃は酒を飲んでもちっとも旨いと思うことはない。ただ酔うためだけに飲んで、全てを忘れて酩酊したいだけだ。
愚痴やくだらない話で時間を潰し、酒と軽食で腹を満たした後は店を出てぶらりと町を歩いた。
外はまだ雪が降っているが暗くはなく、夕刻までにはまだ時間がありそうだった。
家に帰れば不機嫌な妻とうるさい子供がいるのが苦痛で、休日は外で時間を過ごすことが多い。並ぶ店々を適当に眺めながら歩いていると、織物屋の店内に目にしたくもないアンセルの姿を見つけた。しかしよく見れば、その隣には薬屋であった娘が並んで立っていることに気付く。
二人は何やら仲良さげに話し合いながら、出された商品を吟味しているようだった。
ドニスは何かを思い至り、店の外から窓越しにその様子をしばらく眺めていた。やがて二人は買い物を終えて、店を出て歩いていく後ろ姿をドニスは黙って見送る。
「やあ、今日は寒いね」
二人が遠くに去ったのを確認してから、ドニスは織物屋に入って店主に話しかけた。
「ドニスさん、いらっしゃい。外は雪が降っているみたいだね」
「ああ、でも積もるほどじゃなさそうだ。ところで今アンセル様が出ていくのを見たんだが、女と一緒に来ていたのか?」
「ああ。どうも普通の町娘のようだったから、私も下世話ながらちょっと気になったんだがね」
店主も含みを持たせてそう話す。
「アンセル様の恋人なのか?」
「さあね。それなりに仲は良さそうではあったけれど、そういう感じではなかったな。恋人だったらアンセル様が買ってやりそうなもんだが、彼女はわざわざ安い生地を探して自分のお金で支払いをしていたから」
「ふうん……」
ドニスは自分の勘が外れたかと肩透かしを食らった。
てっきり町娘に手を付けて、恋人として薬師という仕事を与えてやったのかと勘繰っていたのだが。そう思いながら、ドニスは面白くなさそうに口を曲げた。