10. 管財人だった男
薬師になる為の勉強を始めてから約五か月。
通り抜ける風が冷気となり、周囲の木々たちが紅葉に彩られればもう間もなく冬がやって来る。
これからの季節は花摘みの仕事が減り、常緑植物の装飾品やドライフラワー、薬草の販売が主な仕事になる。そして広場の露店販売もしなくなるため、その間はローラさんの家が簡易的な店と変わる。
そういった理由で私の担う仕事が減るため、この冬を学習集中期間にしたいと考えていた。
今まで週に一度だった修道院の実習をもっと増やせれば、それだけ早く技術が身に付けることができる。そのことをエルミン院長に相談すると、私と同じことを思っていたらしい。
「ええ、私もこの冬を上手く活用出来ればと考えていたのですよ」
修道院にだって仕事があるにも関わらず、エルミン院長は快くその願いを聞き入れてくれた。
「エマさんが早く薬師になることができたら、それだけ町の人々も助かりますから」
そう言ってくれた院長の期待に応えるため、私は今まで以上に勉強に励んだ。
そんなある日のこと。一日置きに修道院を訪れるようになっていた私は、ある人物に遭遇した。どこか見覚えのある太った中年の男性。
その日の実習を終えて副院長と共に事務室へ向かうと、エルミン院長とその男が話をしていた。
「もうあんたしか頼る人がいないんだ! 町長に言ってもどうにもならんし、もしかしたら神に仕える修道院長の話なら聞いてくれるかもしれん」
私たちが部屋に入ったことなど気にならないらしく、大きな声で必死にエルミン院長に何かを訴えていた。
「今お話されていたことを、そのままアンセル様にお伝えすることはできます。しかし私が口添えすることを期待しないでください」
「あんたの仕事は、困った人間を助けることだろう! ……なぁ、あんたとはこれまで上手くやってきたじゃないか。妻子を抱えた私を見捨てるなんて、そんな非道な事ができる人じゃないだろう?」
憐れみを誘うように男が懇願する。その様子に院長はため息をついて、諭すように話しかけた。
「残念ながら、貴方から反省の姿勢が見られません。私はそれを糾弾するつもりはありませんが、少なくとも今は手を差し伸べるべきではないと思っています。しっかりと自らの罪と向き合い、真摯に毎日の生活を送ることができるなら、おのずと未来は開かれますよ」
「私は反省している、だからこうして恥を忍んでお願いに来ているだ!」
男の威圧的な声にもエルミン院長は怯まず、「今日はお帰りください」とだけ言ってドアに手を向けた。
「くそっ!」
男は苛立ったように踵を返し、側にいた私たちを睨むように部屋を出ていった。
「……院長、ドニスさんがいらっしゃっていたのですか?」
男の足音が聞こえなくなってから、副院長は心配そうな顔をしてエルミン院長に声を掛ける。
「ええ、彼と会うのは随分と久しぶりでしたが、少し老けたように感じますね」
二人の会話を聞きながら、私はあの中年男性が度々修道院に訪れていたことを思い出した。それでも年に数回見かける程度で、馴染みがあるわけではない。
「今の方は、以前から修道院で見かけたことがあります。何か揉めていたみたいですけど大丈夫ですか?」
私も気になって声を掛けた。只事ならない様子に驚いたのもあるし、ドニスという名前に聞き覚えがあったからだ。たしかカザエラの町で聞いた噂話で聞いたはずだ。
「エマさんにも心配させてしまってごめんなさいね。――彼は元管財人で、クイード領の財政を任されていた人なの。以前はここにも仕事で訪れていたのだけれど、問題を起こして役職を降ろされてしまって。それで、私にどうにかしてもらえないかと相談に来ていたのよ」
アンセルが修道院を訪れるようになってから姿を見なくなったあの男性。何かの役人だろうと思っていたけれど、まさか仕事をクビになっていたとは知らなかった。
エルミン院長はそれ以上を話すつもりはないらしく、私に挨拶をして事務室を出ていった。
アンセルの名前が出ていたけれど、もしかしたら彼が元管財人を処分したのだろうか。
私は事務室に残って履修報告を記入しつつ、さっきの会話が少しだけ気になっていた。あの中年男性から放たれる嫌な感じは、近くで見ていた私をも不安にさせるものだったから。
やることを終えて副院長に挨拶をした後、修道院を出ようとしたところで修女の友人サリーに話しかけられた。
「エマ、お疲れさま。ねぇ、さっきドニスさんが酷い顔をしながら帰っていったけれど、中で何かあったの?」
「ああ……」
私は事務所で見たことを手短に伝えた。お願いをしている立場なのに妙に威圧的だったことも伝えると、サリーは顔をしかめて言い放つ。
「私、あの男が大っ嫌い。あれほど裏表のある人ってそうはいないと思うほどよ。私がここで育った孤児だからわかるけど、ここで保護された子たちを同じ人間になんて見ていないんだから」
昔に嫌なことがあったのか、恨みがこもった声でそう話す。
「でもアンセル様があの男の不正に気付いて、彼を解雇したと聞いた時は正直ざまぁって思っちゃった。あ、今の言葉は院長には言わないでね、怒られちゃうから」
「不正って……何をして解雇されたの?」
「もちろんお金絡みのことよ。私も詳しくは知らないけれど、ここ数年は領主様もお戻りにならないから簡単に横領ができたんじゃないかしら。噂では一部の商人や農民に圧力を掛けて脅したり、賄賂もあったりしたそうよ」
話の通りであれば、そこそこの小悪党っぷりだ。エルミン院長が彼に対して厳しい対応を崩さなかったことにも納得する。
「だから今頃ドニスさんが現れてちょっと怖かったのよね。修道院が何かをしたわけじゃないけれど」
私もその言葉に頷いた。
権力を失っていながら今も偉そうだったあの男は、きっと自分の置かれている立場に納得していないのだろう。その怒りの矛先が女性と子供たちがいる修道院に向かったらと思うと、警戒してしまうのも無理はない。
そうして私たちは少しの間おしゃべりをしてから、遅くなる前に町へ戻っていった。
クイード領の管財人だったドニスという中年男性。この時から、あまり良い印象を抱いていなかった。