宮田上等兵 7
滑落してからもうだいぶ経つが、一向に小林は現れない。このままここで待つべきか、それとも見当をつけて進むべきか悩んでいると、近くの藪が揺れた。念のため身を潜めて様子を窺うが、暫くして一人の日本兵が出てきたのを見て安堵し立ち上がる。こちらに気づき、一瞬驚いた素振りを見せるが、その兵士はすぐに顔を綻ばせて親しげに話しかけてきた。
「どうも、お疲れ様です!いやー、まさかこんな所で味方に会えるなんて!自分、永井って言います!おたくは?」
永井と名乗るその兵長はいやに元気のある男で、簡単な自己紹介を済ませると堰を切ったように話し始める。
「自分もこの辺りで・・・ってこの辺りがどの辺りかもわからんのですが、とにかくまあこの辺りで仲間と逸れてしまいまして、それでどうしたもんかと右往左往しておった次第なんですけども、いやはや渡りに船、泣きっ面に蜂とはよく言ったもんです!まさここうしてお仲間に巡り会えるだなんて。それもこれも天の思し召しですな」
この場合に「泣きっ面に蜂」が当てはまるかはさておき、自分と似た境遇の人間に出会えて嬉しいのは宮田も同じだった。依然として状況が好転したわけでなくとも。
「自分達は九二式を担いで移動している最中だったのですが、自分が途中で足を踏み外してあそこから落ちてしまいまして。それで、止めたんですが、仲間がこっちに降りてくるってんで、ここで待っています」
「ふむふむ。それで仲間って言うのは?小隊?中隊?」
「いえ、期待させて申し訳ないですけど、小規模の寄せ集め分隊ですよ。今は別行動していて二人っきりですが、あと二人います。良かった兵長もご一緒しませんか?」
「へぇ、いいですね!行く当てもありませんし、自分なんかで良ければ是非仲間に加えていただきたい!」
「では仲間が来たら紹介しますね。もうすぐ来ると思うんだけどな」
一人増えるだけで負担はだいぶ減る。気が楽になってしばらく談笑していると、今度は永井が来たのとは反対側の木々がざわめきだす。遠目にでも小林と確認できたので、声をかけながら歩み寄る。
「小林さん、こっちです!もう動けるようになったので、すぐそっちへ行きますよ!」
振り返った小林がこちらに気づき、手を振って応える。しかしあと数メートルの所まで来ると、小林は不思議そうな顔をし、直後に銃声が鳴り響く。
発砲音に耳をつんざかれ、音源から離れるべく反射的に体を反らしつつ状況把握を行う。流血して倒れた小林、永井の手に握られた九四式自動拳銃。銃口からは硝煙が立ち上っている。
「何やってんだあんた!」
咎められた所で永井は意にも介さず、腕を少し下げて照準を合わせると、二発目の弾丸を発射する。今度は少し遠くなった発砲音を聞くと同時に、宮田の大腿部を八mm南部弾が貫通し、激痛が走った。「これで良し」と、変わらぬ調子で呟き拳銃を懐にしまい、呻く宮田の体を永井が蹴飛ばして転がす。
「おいお前、生きたいか?なあ、生きたいんだったら、これから俺の言う事をちゃんと聞くんだ」
「何の話だ!」
「いま話しているのは俺だ。いいか、ここが一番大事な所だ。俺の言う事をちゃんと聞く。分かったか?」
そう言って傷口を無遠慮に踏みつける。固い靴底に圧され、出血と共に痛みが増していく中で見上げた永井の顔には表情が無く、ただ淡々と作業をこなしているだけだった。痛みはそのまま恐怖へと変換され、宮田を屈服させる。
「分かった、分かった!ちゃんと聞くから足を退けてくれ!」
「それでいいんだ。我慢とか忍耐って世の中では教えてっけど、ありゃあ自分達に扱いやすい人間を育てるための方便で、真に受けちゃなんねんだ。おうお前、そうしたらこっち来い」
武装解除され空身になり、倒れている小林のもとへ行くよう指示される。鋭利な葉を持つ植物に顔や腕を切りつけられながらも、なんとか這いつくばってたどり着くと、なんと小林にはまだ辛うじて息があった。頭を撃たれはしたものの、使用されたのが打撃力に乏しい九二式だったお陰で即死には至らなかったのだろう。
「そいじゃあ始めるとすっか。おめえはここで静かにしてろ」
雑のうから二本のロープを取り出し、一本を用いて宮田を手近な木の根元に縛り付ける。それから褌一丁になって小林の衣服を剥ぎ取ると、その足に残りの一本を結び、末端を高さのある太い木の枝に投げて引っ掛け、掛け声と共にそれを引っ張る。「よいしょ」の声が上がる度に吊り上げられていき、ついに小林は地上五十センチの高さで逆さ吊りになって固定された。
「何するつもりだ」
「何ってお前、そりゃあ捌くに決まっているだろ。よく見ていろ、お前もその内こうしてやるから」
銃剣を手にした永井がケタケタ笑いながら切っ先を走らせ、小林の体を通る太い動脈に切り込みを入れていく。僅かの間、心臓の鼓動に合わせて鮮血が迸っていたが、やがて勢いを失って滴りになると、見る間に体は白く青ざめた。
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