宮田上等兵 3
彼らの言うお風呂へはすぐに到着した。それはきつい斜面の中ほどにある小さな洞穴で、入り口には丈のある植物が自生しており、言われなければ全く気づかない作りをしている。
「そうしたら僕は外で警戒していますんで、ゆっくり入ってきてください。入ってすぐ右手側に丁度いい水たまりがあるので、そこを使うといいですよ」
高橋に違わず、及川の物腰も佐官とは思えぬ柔らかなものだったので、つい気が緩みかける。だがここは戦場だ。悠長に水浴びをやっている余裕なんてない。
「折角のお誘いなのですが、自分は別に風呂になど入らずとも結構ですので、どうかお気遣いなく」
「何を言っているの。言いたくないけど君、相当匂うからね」
最後に風呂に入ったのはビルマを発つ前日だったから、かれこれ二か月以上は経っている。だから臭いのは当たり前だ。だがそれが何だというのだ。この辺りにいる連中は誰だって臭い。臭いが、別にそれで死ぬわけでもあるまいし、それに、それ以上にやらなければならないことは山とある。
「そりゃ勿論、臭いからって死ぬわけじゃないけど」
胸中を見透かされたようでドギマギする宮田を他所に、ため息混じりに及川が続ける。
「臭いと敵に勘づかれちゃうじゃない。どれだけ上手に隠れても、臭いだけはどうしても誤魔化せないからね」
頑なに入浴を勧める理由は思いもよらぬ内容だったが、だとすれば合点の行く事例はいくつもある。先に発見したのは我が方にもかかわらず、急反転した敵に虚を突かれたのは一度や二度では済まないし、それはまるで、後ろにも目がついているではないかという動きだった。たしかにどれも我々が風上にいる場合で、「きっと余程の手練れがいるに違いない」などと言って苦戦していたけれど、それが自らの発する体臭によるものだったとすれば、こんなに間の抜けた話はない。
藪漕ぎして洞内に入ると、中には少しひんやりした独特の空気が漂っていた。想像よりも広く、天井も少し身を屈めれば差し支えのない高さにあって、上部に走る細い亀裂から漏れ入る光がちょうどいい塩梅に内部を照らしている。これならば、目を凝らさずとも辺りを見通せる。及川の言っていた水たまりはすぐに見つかった。
さすがに底はみえなかったので、手を入れて深さと突起物の有無を探る。水深は半身を沈められるくらいはあったし、遥かな年月によって磨かれた岩肌は陶器のように滑らかだった。天然の浴槽を前に装備品を下ろし、長靴と服を脱ぎ捨てる。それからゆっくりと湯船につかると、嘆息と共にどっと疲れが滲み出る。
「はぁ~・・・」
大きく水をすくって顔を洗い、手のひらに残った滴で耳の裏をすすぐ。なんて気持ちがいいのだろう。なんとはなしにそのまま指を鼻へ近づけて嗅いでみると、あまりの臭さにむせ返り、思わず笑みが零れる。頭、腋、膝裏、玉の裏、肛門、足の指の間、隅々まで洗って丁寧に体を揉み解す。手繰り寄せた長靴を枕に天を仰ぐと、中空にはうっすらとした靄が満ちていた。
俺はいったい、何をやっているのだろうか。
人心地つくと、いつもの下らない疑問が頭をよぎる。それが、凡そ若者と呼ばれる者達の抱くありきたりな懊悩であり、取るに足りぬ些細な事柄というのは宮田にも良くわかっていた。けれども、釈然としない不明瞭な感情はどうあっても拭いきれず、絶えず周囲に付き纏う。静かな微睡の中でふと瞼を閉じると、初めて殺した敵の顔が浮かび上がる。
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