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宮田上等兵 2

 どれくらい進んだのだろう。部隊を離れて、かれこれ十分近くは経つ。いくら足場が悪く険しいジャングルの中だとしても、とっくに百メートル以上は歩いたはずだ。飛び交っていた銃声も既に止み、辺りには密林特有のじっとりとした重たい空気が立ちこめているだけだ。


「あのう・・・結構歩いたと思うのですが、負傷兵の方は一体どちらにおられるのでしょうか」


 もしかして道を間違えたのではなかろうか。不安になり、つい恐る恐る訪ねると、数歩先を往く軍曹が不意に立ち止まって振り向きざまに右手を挙げる。その動作に咄嗟に身を硬直させて歯を食いしばる。だが、掌を向けるようにして差し出された手は、いつもの精神注入をするためのそれではなかった。


「ほら、見て下さい。ここ切れているでしょ」


「あ、ホントだ」


 見れば確かに、軍曹の右手中指には切り傷がついていた。大したものではなかったが。


 直属の分隊長にも揶揄されたように、衛生兵と言っても宮田に出来るのはヨーチン(消毒液)を塗るくらいのもので、軽傷以上の怪我や病に対しては為す術を持たない。そしてここでは、銃創や骨折でなければ怪我とは呼ばず、つまり負傷者が出たとて宮田は何の役にも立てない。だがそれでも、宮田は己の職務に懸命であり続けた。何故なら、傷つき、倒れた者に救いを与えるのはなにも医療には限らないと知っているからだ。


「あのう、それで肝心の負傷兵の方は・・・」


 傷口の消毒をしつつ再度尋ねる。けれども軍曹は引き攣った笑顔を浮かべ頭を掻くばかりで、何も答えてくれない。


「ありがとうございます!いやあ、お陰で助かりました!」


 しばしの沈黙の後、手当を終えた軍曹が右手を空に透かし何度か大仰に開いたり閉じたりを繰り返してみせる。やがて拳を握りしめ、一本だけ立てた親指で自らを指し示すと、「要救助者一名、救助完了!」と、そう高らかに宣言して大きく頷く。


「はい?」


「恥ずかしながら自分、こう見えて虚弱体質でして。この程度の傷でもすぐに化膿して参ってしまうんですよ。いやあ、お陰で助かりました。ありがとうございます!」


 わけが分からない。大事で無いに越したことはないが、わざわざこんな所へまで呼び寄せずとも済んだ話だ。第一、あの騒動の最中に優先すべき程の負傷でもない。自分をむず痒くさせる違和感ついてどう尋ねるか迷っていると、傍らに群生していたシダの枝葉が揺れ動き、それを遮る。


 反射的に横っ飛びに跳ね、立木の陰に隠れる。もしかすると先ほどの襲撃者がどこかに潜んでいるのかもしれない。膝撃ちの姿勢で小銃を構えて、注意深く辺りの様子を窺う。しかし軍曹は用心もせず無防備に突っ立ったまま、「いやあ、いい動きだ。感心々々。でも、大丈夫ですから」と宮田に警戒を解くように促す。


「いやー、お疲れ、お疲れ」


 息を飲んで待つこと数舜、生い茂る林の中から間延びした声と共に三人の友軍が現れる。


「よう、ハヤト。弾薬は小林君がまとめて持っているから、追加が必要なようだったら受け取っておいて。敵はまあ、いつも通り牽制してまわっているだけだろうし、いざと言う時の分だけで良いよ。それから及川君、天王山に残置してあった九二式って、まだ使えるかな?使えるようなら大山道沿いで見つけた高台に移設したいのだけれど」


 それぞれ、少佐、少尉、二等兵の階級章をつけた男達が語らいつつ弧を描き、軍曹と宮田がそれに加わり輪を為す。話題は今後の作戦行動についてだったが、熱心な語らいに部外者が口を挟む余地は無く、ひと段落するまで傍で聞いているしかなかった。積極的な意見交換を行う彼らの姿に理解は及ばずとも確かな意義を垣間見るが、奇妙な事に、話のまとめ役を担い、各人に指示を与えているのは最下級者である二等兵だった。


 組織に於いて、特に我が大日本帝国陸軍にあって階級とは絶対だ。目上の者に口答えするなんて許されないし、ましてや指図するなど以ての外だ。しかしその様に呆ける宮田をよそに、当人達はいたって当然を纏っている。


 少し得体の知れない所はあるものの、こんなに元気な友軍に会うのも久しぶりで随分と勇気づけられる。てっきり、どの部隊も困窮しきっているとばかり思っていた。現に自分の部隊では飢えに耐え兼ね、施設用の発破すら口にする者が出る有様だった。だが彼らにそんな素振りは皆無で、もしかすると先の参謀が言っていた通り、今が踏ん張り時なのかもしれない。


「それでは、自分はこれで失礼します」


 とにかく用件は終わったようだし、長居は無用だ。頃合いを見計らって話を切り出し、踵を返す。すると行く手を遮るようにして二等兵が宮田の前に立ちはだかる。


「「失礼します」って、何処へ行くんだい?」


 何が可笑しいのか、二等兵はヘラヘラと薄ら笑いを浮かべている。「何処へも何も、部隊へ帰るに決まっているじゃないですか」と、そう答えかけてハッと思い至った。


「だって、さっき襲撃されたんでしょう。だったら君の部隊はとっくに移動しているんじゃないかな。一つ所に留まって抗戦する体力があるなら話は別だけど」


 部隊の所有する弾薬は残り少なく、慢性的な飢えと疲労、それから傷病者を山と抱えていては、抗戦はおろか逃げるのだって覚束ない。銃声の度合いからみるに、部隊に壊滅を強いる程の火力は投じられていないようだ。だからきっと、先ごろよりお馴染みの「転戦」をしているに違いない。誰が言ったか、「勇猛果敢なる我が帝国陸軍に「撤退」などと言う軟弱な言葉は存在せん!」とのことでそう称しているが、事実それは撤退に相違なく、そんな土壇場にあって宮田の如き一兵卒の存在が配慮されるわけもなく、つまりそれは、この天地以外に区別のつかない密林にただ一人置き去りにされたことを意味していた。


 これからどうすればいいんだ。自身の置かれた状況に困惑しつつも、だがどういうわけか目の前の二等兵に興味を惹かれる。


 華奢な体躯に丸眼鏡、おまけに童顔で真っ黒に日焼けしているせいで分かりづらかったが、自分よりもだいぶ年かさは上だ。やけに貫禄があるのは年季が入っているからにしても、立ち居振る舞いが醸成する雰囲気は下級兵士のそれではない。士官とも異なるその性質の正体は何だろうか。


「なるほど、なるほど。だったらしょうがないな~。うん、そうしたら君も我が高橋分隊に合流するといい」


「高橋分隊?」


「そう。僕が分隊長の高橋で、彼が小林、及川。それと君を連れてきたのがハヤトだ」


 二等兵が分隊長で士官が分隊員だなんて、そんな話聞いたことない。もしかしてこの男は狂っているのではないか。しかし紹介された者達は、挙手の礼でそれに応えるのみで平然としている。


「それじゃあ、そんな恰好だとちょっとアレなので。及川君、宮田君をお風呂に連れてってあげてよ。こっちはその間に色々と準備しておくから」


 答礼を返す間もなく一方的に話を切り上げると、高橋は回れ右をして行ってしまった。他の二人もそれに倣って密林の奥へと消えてしまうと、及川に促されて宮田は歩き出す。

誤字脱字、感想などありますれば、どうぞ遠慮なくお聞かせください。

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