永井
死が刑罰たり得るのであれば、人は皆、誰しも咎人だ。
人間が殺し合いを止めないのはそれが由縁だとして、ではなぜ、こうも世の中は不穏なのか。
仏教には輪廻転生なんて言葉があるという。前世での行いを今生で報いるのであれば、すべての不幸は天からの思し召しで、それを与える者は単なる執行者でしかない。となると、罪なんてものは存在しえず、時の経つほどに、世は善き人で満たされるのが道理だ。
だが実際、永井によって血抜きを終えた獲物は、慣性に則ってゆらゆら揺れ動き、ただ次の工程を待っているだけだった。
さて、と。西日に顔をしかめつつも、日没までには目処がつきそうで胸をなでおろす。
鞘から銃剣を抜き取り、獲物の腹に突き刺してから一気に真下へ切り裂く。すると、窮屈な空間に押し込められていた臓物が、内圧によってデロリと外界へ溢れ出る。それに構わず、無造作に手を突っ込んで手の感触だけを頼りに内部を弄ると、目当ての物はすぐに見つかった。特に力も込めずもぎ取って掌に載せ、まだ生暖かい生の名残に、ついため息を漏らす。
「こいつが肝臓だ。見ろよ、綺麗なもんだろ」
そう言うなり、大きく口をあけてかぶりつく。永井の歯牙にかかる度、自ら分断するように細切れになった肉片は、臼歯にすり潰され、食道を通り胃へ運ばれていく。牛、豚には劣るが、それでもこんな所ではご馳走だ。
「お前も少しどうだ」
口元の汚れを手で拭いながら、先ほど知り合ったばかりの味方にも勧めてみるが、青ざめた顔で視線をそらして断られる。誰だって苦手な物はあるし、無理強いするつもりはない。
余りを口の中へ放り込み、まずは両足首に一周、ぐるりと刃を走らせる。
そこから脹脛、腿、胴体、腕、体側に沿って、皮下につく黄色い脂肪が覗ける深さまで切れ込みを入れていく。反対側にも同様の作業を施したら、胸元と背面を一閃し、左右の線を結ぶ。この下処理がしっかり出来ていれば、皮は難なく剥ぐことができる。
皮が剥げたら、頭を切り落として部位ごとに切り分け、肉を削いでいく。刃先と刃を使い分け、腱と骨から切り離せば、すぐに三十キロ程度の食肉の出来上がりだ。だが問題はここからだ。
いくら食いでのある獲物を仕留めても、ここでは保存がきかない。生け簀みたいに、食べる直前まで生かしておいてはどうかなど、色々試してはみたが、どれも上手くいかず、つい先日捕らえたつがいも、片割れが死ぬともう一方も見る間に弱り虫の息だ。
岩陰の様子も気になるが、その前に済ませておかねばならない。
事前に掘っておいた円形の穴の底では、チロチロと赤い炎が勢いを増そうと、周囲に積まれた薪へ盛んに手を伸ばしているが、酸素が足りないからか、今一歩が届かない。
立ち上る煙の上には、木の枝で組んだ簡素な櫓があり、筵代わりに敷いた葉っぱに綺麗に肉が並べてある。上出来だ。これで火力の調整さえしくじらなければ、きっと燻製に仕上がるはずなのだが。一息つき、大きく伸びをしたはずみで煙を追って空を見やれば、天高く輝く南十字星が、こちらを見下していた。
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