高橋 6
いいよなあ、あいつらは。
珍しく友軍機が爆音を轟かせ頭上を通過していくのに、ふと羨望の眼差しを向ける。連中だって生半可な苦労はしていないのだろうけれど、何一つ遮る物のない大空を駆け巡るのと、二本の足で地べたを這いずり回るのだったら、どう考えても前者の方が良い。
なにせ華があるから、後の世で映画なりなんなりの題材に取りざたされるのも、きっとあいつらだ。そう思うと苦心する気も失せかけるが、何せ言い出しっぺである以上、引くに引けない。
「・・・高橋少尉、高橋少尉!」
急に静かになったので不審に思ったのだろう。少し先を往く小林が振り返り、しっかりと目を見据えて尋ねる。
「すまんすまん、ちょっとぼうっとしていた」
「大丈夫ですか?」
「ああ、それで何の話してたっけ」
「盲の将棋指しにイカサマ仕掛けてとっちめられた話です」
「そうそう、それでその後・・・でもこんな話面白い?」
「面白いです!早く続き聞かせてください」
「それからしばらくしてだね、作戦課に配属されたのは」
よほど人手不足でもあったのか、末端とは言え、幼年学校卒の自分が陸軍作戦課に在籍していたのは異例の出来事だ。
軍の趨勢を、ひいては国体にも関わる作戦課は、人体に例えるなら頭脳に相当する部署であり、ゆえに集団を構成するのはエリートばかりで、中枢を担うのは陸大出の人間だ。
もとより断れるわけもないのだが、籍があったと言う実績だけでもそれなりの出世は見込めるし、泊もつく。何より、自分程度に任せられるのは簡単な雑務と書類整理くらいだろうから、「こんなに楽な仕事も中々あるものじゃない」と高をくくっていたのが間違いだった。
「どれ、君も士官の端くれだったら、意見の一つもあるだろう。試しに一つ言ってみてはくれないかい」
雑用係として居合わせた方面軍作戦会議の席上、そう求めたのは、「作戦の神様」とも呼ばれる大本営陸軍参謀、辻大佐だった。
「いえ、かような場で呈するに値する意見など、自分は持ち合わせておりませんので」
それが、一段落した場の空気を和ませるためのユーモアであるのは理解していたし、応じればどうなるかも見当が着く。
意見の不備、不足、そう考えるに至らしめた思想、人格を否定して糾弾する。早い話、「陸大を出ていない人間はやはり無能だ」との自己認識を確認するための余興に過ぎない。しかし丁重に辞退しようとするも、辻はなおも食い下がる。
「なんだ?貴様は士官であるのに、まして、いみじくも作戦課の一員でもあるというのに、自分の意見一つ持たんと言うのか?」
「決してそのようなこともないのですが」
「だったらウダウダやっていないで、出し惜しみせず早く言ってみろ!」
激昂、ではないにしろ、辻の意見に賛同した他の連中が、威圧的な態度で声を荒げる。そこにいた誰もが、厭らしい目つきで自分を見下していて、少し腹も立つが、それでもなお守っていた沈黙を破らせたのは、辻の一言だ。
「是非とも忌憚のない意見を求める」
そこまで言われて断れば、さすがに悪態をついているとも取られかねない。波風を立てずに済ませるため、当たり障りのない案を机上の世界地図を眺めながら急いで検討する。
「僭越ながら、それではまず、これ以上のガダルカナルへの戦力投入は、控えた方がよろしいかと存じます」
「戦力の投入を控える?つまりそれは、ガダルカナルを放棄するという事か」
「はい。戦力の逐次投入が悪手というのは、戦術の基本です。そんなことをしてもいたずらに消耗するだけで、利する所などありません。かといって方針を変えるにしても、後手に回ってしまった我々には、今更それに追従できる敏捷性はないので、ここは思い切って放棄するのが得策かと」
「放棄だと⁉すると貴様は、せっかく占拠した地域を捨て、島内に取り残されている仲間もを見捨てる気か!」
「この際、それもやむを得ませんな。少なくとも、ただ被害を拡大させるよりかは人道的、且つ合理的でしょう」
「何が人道的且つ、合理的だ!それが軍人、いや日本男児の言う事か‼」
発言内容にたまりかねた参謀の一人が、声高に異を唱える。
「勝てもしない戦いのために兵を損失しても、敵を喜ばせるだけですし、それに味方に無駄な苦痛を与えずに済む。撤退時期を誤れば、それだけ被害は甚大になります」
「なぜそんな事が言い切れる!そもそも戦う前に、負ける事を考える奴があるか!」
勝つための算段をつける作戦会議なのに、意見を求められたから答えただけなのに、どうしていつもこうなってしまうのか。駄々をこねる子供のような反論を前に、どうしたものかと立ち尽くす。
「して、ガダルカナルを放棄した後はどうすると?」
鼻息の荒い参謀達の中にあって、手を組み静かに佇んでいた辻が口を開く。
「飛行場を奪取されれば、敵に反攻の手立てを与えるわけになるのだが、それについては」
「はい。実は二部にいる友人が、米士官学校の教範を入手いたしまして、その中に「島嶼部での戦闘」を想定した実に興味深い記述があります。それを元に考慮しますと・・・」
「もういい、黙らんか!一体なんの話をしとるのだ貴様は!どこぞの何某が入手した古本がなんの役に立つ!」
「何一つ信頼性のない情報をもとに方針を否定するなど、我々の立てた作戦が、いや、つまりこの作戦課が無能の集団であると言いたいのだな!」
アレルギー反応のごとく方々から激が飛び、「いえ、決してそのようなつもりでは」と、何とか取り繕おうとするが、質、量、共に上回る野次に対抗する術を高橋は知らない。つまりはこういう事なのだが。
「まあまあ!諸君!良いではないか。彼にも悪気があったわけではない、ただ勝手がわからなかっただけだ。それに意見を求めたのは私で、彼の発言に問題があるとしたら、その責は私にもある。すまなかったな」
この場においては全てに優先されるのだろう。声を発する前に静寂が訪れ、発言を終えた辻が席を立ち、高橋の方へ向き直る。
「面白い男だ。所で君、名前は?」
「高橋です。高橋少尉であります」
「覚えておくよ。貴重な意見をどうもありがとう、高橋少尉。それでは下がってよし」
意見の相違はあったかもしれないが、熱を持った集団の中にいても冷静さを失わないとは、さすがは「作戦の神様」と呼ばれるだけのことはある。踵を返す間際、そう感謝したことが今となっては悔やまれる。恐らくこれが、出世や安泰といった言葉から足を踏み外した原因であるのは確かだ。
「よくそんな話ができましたね。考えただけでもゾッとしますよ」
「でも意見も何も、話し始めたばっかりで何も大したことは言っていなかったと思うんだけど、そんなにマズかったかな」
「自分からしたら面白いですけど、でもやっぱり常識的に考えるとマズいですよ」
「だったら何と言えば良かったんだろうね」
「そうですね、もしも自分だったら、会議の内容を概ね復唱した上で、「以上の事を踏まえた上で、更に計画を綿密に練る」とでも言うでしょうか」
「なるほどー。たぶんそれが正解だ」
「お、ありましたよ!」
そう言って足を止めた小林が、「おや?」と瞬時に顔を曇らせる。
三十一年式山砲。遠路はるばる日本より持参したはいいが、分解して持ち運ぶにしても九百キロ以上の重量があり、弾薬、その他を含めれば、砲一門につき一トン超の大荷物になる。そんなものをここで後生大事に持ち歩けるわけもなく、多くが遺棄された。目的はそれだったのだが、小林の注意を惹いているものに気付き破顔する。
登坂中に見切りをつけたのか、煩雑に捨て置かれた砲と資材が転がっている中、整然と鎮座する砲が一門。
傍らには弾薬と、陣地構築のために傾斜部から削り取られた大量の土砂が積まれており、射線を遮る木々も丁寧に剪定されている。今もなお、木の根元で黙々と汗を流している男が一人で行ったのであろうが、その風体は、丁寧な仕事ぶりとはまるで似つかわしくない。
ねじり鉢巻きに褌一丁。潔いと言えば聞こえは良いが、戦場で見るには少し奇抜過ぎる。
「おう、なんだお前ら」
こちらに気付いた褌男が、鉈を片手に声を掛ける。
「お疲れ様です班長、ちょっとお話ししてもいいですか」
「これから射撃で忙しい。少しだけだぞ」
「射撃⁉」
褌男の言葉に、高橋の陰に控えていた小林が驚きの声をあげる。
「おおよ、何か文句あるか」
軽火器と違い、砲は多くの人員を要する。
まず、実際に砲を取り扱う射手、弾薬手、砲手。ここまでは何とか兼任できるとしても、的までの距離を計るための測量と観測、射撃指揮までは、とても一人でやり切れるものではない。
それにこちらは闇雲でも、向こうからは、倍では済まない数の正確な報復射撃が飛んでくる。逃げる間もなく。
「ビルマくんだりまで出向いて、一発も打てなかったとあっては、何をしに来たかわからんからな。そろそろ頃合いだ。死にたくなかったら、早く失せな」
久しぶりに顔を覗かせた太陽を一瞥すると、褌男は足元に整列する榴弾の中から一つを担ぎ上げる。
「まあまあ、そこで班長にご相談が」
「だから何だよ。用件があるなら早く済ませろ」
短気な性格なのだろう。苛立ちを隠しもせずにそう吐き捨てるが、高橋の話を聞くとすぐに表情を変え、「面白そうだな!そんな穴だらけの作戦が上手くいくとは思わんが、そうと決まれば陣地転換だ。活きの良いのをありったけ呼んできてくんな」と言い、すぐさま撤収作業に取り掛かる。これで殆ど難関は突破できた。後は上手いこと準備を進めて、不測の事態が起こらぬよう祈るだけだ。
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