高橋 5
荷物を取りに部隊へ戻ると、何やら騒ぎになっていた。手近にいた若い兵士を掴まえ聞いてみれば、なんと中隊長が失踪したのだそうだ。
「いなくなったって言ったって、ほんの二、三時間の話だろう?そんなに騒ぐことかね」
「それが、中隊長付の当番兵が言うには、どうも中隊長と西村中尉はデキていたみたいでして。気にしすぎかもしれませんが、もしかすると、なんというかその二人で・・・」
「え!まさかの駆け落ち⁉」
戦場には似つかわしくない言葉に、足を延ばし寛いでいた二人の兵士が注目し、それに気づいた若い兵士に「お静かに願います」と言って窘められる。
「いや、だってそれにしても」
「荷物もあらかた残っているので、そんな事はないと思うのですが。「すぐ戻る」と言ったきりですし、それに何より、こんな時ですから万が一にも」
道理で中隊本部の連中だけが動き回っているわけだ。それにしたって、白髪頭の頑固爺と小汚いおじさんでは、幾ら想像を膨らませても絵にならない。
相手がいないからって、「それでいいのか」とも思うが、愛の形は人それぞれだ。気に入らない相手だからと言って、文句を言えた義理ではない。
「そっち方面についての知識は乏しいけれども、その、なんだ。愛の確認作業ってのも中々時間がかかるものなのではないかね。それこそ最後になるんだし余計に」
「そうだと良いのですが・・・」
それが本当に良いかはさておき、長の不在は隊内に動揺をもたらす。行動計画が不明であればなおさらで、若い兵士の不安を取り除くためにそれらしい話をしてみるが、実際の所、あの二人に限ってその心配は無用だ。
忠実を通り越して、愚直と呼ぶに相応しいくらいなのだから。しかし夜半を過ぎても彼らは戻らず、予想は見事に外れた。そして高橋は窮地に立たされる。
「なんでそうなるのよ」
月明かりの下に集結した各小隊長の顔は、どれも辛気くさく、不満気だ。
本来であれば今頃、先陣を切って突撃するか、若しくは自刃した中隊長に続いて華々しく散り、この苦役から解放されていたのだから当然だ。こちらとしても、荷物を取ってさっさとオサラバする予定が、例の駆け落ち騒ぎのせいで機を失し、足止めを食らっていた。
いや、それどころか中隊長代理という、余計な面倒を押し付けられて困惑している。
「玉砕」だなんて大仰な言葉を使って美化しているが、ただ闇雲に突撃して全滅するだけだ。
だから別に、指揮官なんて誰でもいいようなものだけれども、慣例化し、徹底してきた規律を覆すというのは、これまでを否定するのと同義で、それが出来れば、そもそもこのような事態に陥っていない。
「でも、だからって何で俺なのよ」
「良いじゃないですか、真打登場って感じで。観念してください」
一人だけニヤニヤと笑みを湛えるハヤトに、肩を叩かれる。
「そうだ、及川君!年齢も階級も俺よりか上なのだし、及川君がやるべきなのでは⁉」
「いやあ、僕は徴発して連れてこられた技術屋ですし、そういうのはちょっと勝手が分からなくてですね」
「でしたね・・・。最近居心地がいいと思ったら、道理で」
居並ぶ面々を見渡すが、自分より他に適任者はおらず、しぶしぶ了承して現状確認を行う。
まず、対峙する一個中隊弱の敵は、我の進行方向を背にし、左右に別れて陣を構えている。両部隊間の距離は凡そ二百メートル前後で、ヴィッカーズ重機関銃をそれぞれ二門ずつ、計四門所有している。
二つ以上の火線を交えて火力の集中を図る十字砲火は、単純だが、それゆえ容易且つ強固な戦術だ。周到な準備が施されていた場合には、突破するのはより困難になる。
しかし有難いことに、有刺鉄線や地雷、塹壕までは手が回らなかったらしく、幾度かの突撃によってその点については確認済みだ。では攻めあぐねる最大の原因は何かといえば、我が方の内情にある。
兵員数は、凡そ二百四十名とそれなりに大所帯だが、そのうち六十名あまりは戦闘不能な傷病兵だ。実際に動けるのは百八十名程度で、おまけに三分の一以上が原隊壊滅によって合流してきた寄せ集めで編成されている。とにかく纏まりはないし、さらに保有する弾薬については、三八式の弾が約七百、九九式短小銃の弾が五千に、手りゅう弾が八十。
ギリギリまで切り詰めて来た糧食に至っては、底をついて既に三日が経つ。なんと酷い有様で襷を渡されたものか。全ての事実が、「玉砕以外に選択肢はない」と問い詰めているようだった。
「どうして九九式の弾だけそんなにあるの?」
「合流組の連中が、「手ぶらじゃ申し訳ない」と持参してくれたのですが、肝心の短小銃が一丁もありませんで」
「一つも無いって、それもまた凄い話だな。どうやったらそんな事になるんだろうか」
「どうしようもないのが当たり前になってますからね、理由なんか気にしたって、どうしようもありませんぜ」
高橋の問いに、ハヤトが欠伸交じりで答える。
三八式歩兵銃と、1941年から配備が始まった九九式短小銃では、弾の口径が違う。
三八式が6.5㎜、九九式が7.7㎜と一回り大きいので、双方に流用性はない。つまり一人当たりの弾の持ち合わせが、四発もない計算になる。
「やはり日を改めて、明日突撃という事でよろしいですか」
顎に手をやり、しばらく黙考していると、誰からとなくそんな声が上がる。事態が逼迫しているには違いないし、辛気臭くなるのも当然だ。けれどもやはり、決めつけるにはまだ早すぎる。
「いや、ひとまず今夜はゆっくり休んで、すべては明日決めよう。誰か質問は?なければ・・・」
「別命あるまで待機」そう結んで締めようとした所、古株の軍曹が一人手を挙げた。
「ひとまず休んで、それで何か変わるんですか」
口答えにも近しい物言いに、ハヤトが眉根を寄せてそれに同調する者達と睨みあう。
「どうせ突っ込むんだったら、早く行きましょう。その方が潔くて清々する!」
「潔くて清々ね。それって、何かいい事あるの?」
「え、だから潔くて清々するから、その方が良いじゃないですか」
「それは気持ちの話だよね?つまり君にとっては、戦闘の結果よりも自身の感情の方が重要というわけだ」
声を上げた軍曹は高橋の言葉に顔を真っ赤にさせるが、何も言い返さず口籠もり、それを見たハヤトがニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる。どうしてこうも、人は死に多くを求めるのか。至極当然のことであるのに。
「心配するな。明日の午後までに目途が立たなければ、夜には玉砕させてやる。それで文句なかろう。他に誰か質問は?なければ別命あるまで各自休養を兼ねて待機。別れ」
興が覚めて白けた声で話を切り上げた高橋は、ハヤトを伴い夜の帳へ姿を消した。
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