高橋 4
名ばかりの救護所には、部隊の尻に何とかへばりついてこれた半死人たちが、群れを成していた。
手折った木々で拵えた屋根はついているけれど、吹きっさらしの室内には、少しでも風があれば容赦なく雨露が入り込み、彼らを痛めつける。医療の心得のある者もいないので、特段、手当がなされることもないのだが、時折イチかバチかの外科手術に挑戦する者はあった。
ただ、適切な道具も薬もなく、不衛生な環境下で素人がそんな真似事に手を出しても、良くて縫合後に感染症で死ぬだけだ。
どれだけ足掻こうとも、結果は見えている。苦しむ時間が長引くだけでも、それでも楽を選べないのは、きっと人間の生がそのように定められているからだ。
「よう、調子はどうだい?」
声を掛けると、つい先日、マラリアに罹患して小隊長の任を解かれた川嶋が力なく首を傾げる。
「おう、お前か。もちろん絶好調よ」
「顔色も良さそうだし、そろそろ原隊復帰も近いかな?」
「ハハハハハ・・・」
虚ろで、濁った眼をしている。この一週間で二回、高熱の発作があったと聞くし、いつ逝ってもおかしくない。どちらにせよ明日には、手りゅう弾が支給されて集団自決だ。数があまりないので、効率良く死ぬには、やはり手りゅう弾を中心に頭を向け、放射状に並ぶのが一番良いのではないか?想像した姿があまりに滑稽で、思わず笑みがこぼれる。
「まだそんな煙草吸っているのか」
「ああ、お前もやるか?」
煙草と言っても、麻で作った紛い物で、親しくなった土人が吸っているのを見て教えて貰ったのだが、
「物足りなくて、余計に口寂しくなる」と仲間内には不評で、吸うものはあまりいない。
しかし暇にあかせて改良を重ねた結果、むしろ自分はこちらの方を好むようになった。コツは雌株だけを使って作ることだ。
弾嚢いっぱいに詰め込んでいた葉っぱから一掴み取り出し、軍隊手帳から引きちぎったページで巻いていく。出来上がった品に、吸いさしで火をつけて口元まで運んでやる。
「すぐ消えちまうから、こまめに吸うようにしろよ」
「全く。まさか末期の煙草がこんな物になるとは、俺たちはよっぽど、前世で悪い行いをしてきたとみえる」
「違いない」
「それで、これからどうするのだ?」
「どうするって、そりゃもちろん玉砕でしょうよ。進退ここに極まれり、ついては敵部隊に決死の夜間突撃を敢行し、中隊もろとも皆仲良くお陀仏」
「そんなわけないだろう。お前の事だ、少しは何か考えているのだろう。どうせ明日には死ぬのだし、話してくれたって良いだろう」
少し迷ったが、真摯な言葉を受けて正直に話す。
「皆には申し訳ないが、正直、「頑張ったで賞」なんかにこれっぽっちも興味はないからな。もう支度も終えているから、後は機を見て離反して潜伏。その後は・・・まあ何とかなるでしょうよ」
「そうか」
「それじゃあ、そろそろお暇しますかね。化けて出るんじゃないよ。もしかしたら割と早くそっちに逝くかもしれないのだから、向こうで待っていろよ。それじゃあな」
別れを告げて立ち去ろうとするが、縋るようにして川嶋が訊ねる。
「なあ、もしもお前が指揮官だったら、どう戦っていた?」
「この期に及んでなんだよ、その「もしも話」は。もう行くから」
「いいから聞かせてくれよ、頼むから」
軽口を叩いて終わらせるつもりが、裾を掴んだ友の手があまりに弱弱しくて、渋々付き合わされる。
「そうだな、もしも俺が指揮を執っていたら、まず一も二もなく講和だな。とりあえずアジア情勢を、満州事変以前の状態にまで戻すって事で勘弁してもらって、国力の全てを発展に集中させる。そもそも戦争なんて、もう時代遅れなのだよ。結局は金の問題に終始しておるのだから、命の奪い合いなんか幾らやったって時間の無駄だ。そんなに人死にを出したければ、数字の上だけで計上したっていいようなもので、何も馬鹿正直に付き合う必要なんかない。専念すれば、誰もが楽しく暮らせる程度には文明も発達している。だから俺だったら・・・」
思いがけず饒舌になって熱弁をふるうが、川嶋の耳にはもう届いていなかった。胸元に落ちた煙草の火が、肉を焦がして消え、一筋の細い煙が立ち上る。
「鮎の出汁で作った湯豆腐、あれは美味かったな」
高橋が呟き、遠く、長い別れが静かに訪れた。
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