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高橋 3

「それで、その英兵はどこにいるんだ?」


 中隊本部へ戻り、先の顛末を報告すると、すぐに臨時の中隊会議が開かれた。議長は、マラリアでひっくり返っている中隊長に代わって、現任の宮部中佐だ。


「は、わざわざ連れて帰るまでもないと判断しましたので、武装解除したうえで解放しました」


「解放だと?なんでそんな勝手なことをするんだ」


 静かだが、怒気を含んだ声で宮部が問いただす。


「ええ、ですから自軍に連れて帰るまでもないと判断いたしましたので・・・」


「だからそれがなんでだと聞いておるんだ!」


 あからさまな怒声に数名が背筋を伸ばし、残りの者は、顔に倦怠の色を浮かべる。


 もともと、連隊本部で後方業務に携わっていた宮部は現場感覚に乏しい男で、何よりも階級と権威を重んじ、部下の意見はすべて不満と捉える節があった。兵站、作戦計画、並びに今後の見通し、宮部が中隊長になってからというもの、何も決まらず連隊の指示を待つだけで、ただ無益な時間が過ぎていく。そんな所へ捕虜を連れ帰ったとて、養う度量もないので結局は「こんな奴を連れてきてどうするつもりだ!」と銃殺されるだけだ。棚ぼたで情報まで頂けたのなら、若い命、あたら疎かにする必要はない。


「高橋、どうしてお前はいつもそうなんだ。独断専行で部隊の統率を乱して、みんなに迷惑をかけているのがどうしてわからん」


 太鼓持ちとして宮部にくっついてきた西村中尉が、腕組みしてもっともらしく頷きながら口を挟む。その様子に、川嶋が何か言いかけようとしたので、耳元で「やめておけ」と囁き制す。


「そうしましたら、敵がこちらの作戦を周知している件については、いかがいたしましょう」


「いかがって・・・」


 無駄話は切り上げて話を本題へ戻すと、さすがに宮部も押し黙る。


 よほどの馬鹿ですら作戦に疑問を抱いているのだ。そこへ来てこんな事実が舞い込んでは、最早作戦の続行はいたずらに兵力を損なうだけで、なんら勝利に貢献しない。


「これまでの敵の動きから見ても、この話が事実であるのは間違いありません。現に敵は、我々と交戦してもろくすっぽ戦わず、狙いすましたかのように撤退を繰り返しています。それが我々を、進退叶わぬ窮地に誘っているのだとしたら、これより他に撤退する機はありません」


 情報が適切に扱われるのであれば、真実は正しさの中にある。しかしそれを望み、欲する人間は意外にも少ない。


「高橋、キサマ何を言うか!畏れ多くも我々は・・・」


 再び口を挟んだ西村が言葉を区切り、一同が姿勢を正す。


「天皇陛下の赤子なるぞ!あまつさえ士官であるにも関わらず、敵の妄言に惑わされ、軽々にそんな言葉を口にするとは」


「しかし事実は事実で」


「だから、それが敵のついた嘘でないと、なぜ言い切れる。それに小林兵長だったかな?君は英語が堪能だそうだけど、アメリカ英語とイギリス英語は勝手が違うと聞く。実際に通訳を買って出たのもこれで二度目だそうだし、疑うつもりはないが、誤訳したのではないか?」


 英語と中国語ならまだしも、そんな馬鹿な話、あるわけがない。成り行きを見守っていた小林も、話が自分に及んだので慌てて首を振って否定するが、どうあっても覆したいのだろう。宮部がその意見に大きく賛同する。


「うんうん、そうだな。その可能性は大いにあり得る。それで、本当の所はどうなのだ?」


「いえ、本当も何も、誤訳なんて絶対にありません!」


「本当か?決して上に報告をあげたくないわけじゃないんだ。ただ内容が内容だけに、慎重にならざるを得んのでな。本当に、間違いないのだな?」


「間違いありません!」


「これが間違いだったら、とんでもないことだぞ。この大勝負の勝機を失するだけでなく、百万将兵の命すら危機にさらされるのだから。その上で、最後にもう一度尋ねる。どうなのだ」


「いや、絶対に間違えてなんか。でも・・・」


「「でも」なんだ?どうした、はっきり言わないか」


「そう言われると、もしかしたら仔細なニュアンスの取り違えくらいはあるかもしれません」


「ほらな、やっぱり!君が断言できるのなら一考の余地はあるが、そうでなければ、これ以上の議論は無駄だ。中隊長、やはり連隊の指示通り、明朝は日の出を待たずに現在地を出発ということでよろしいですね」


 何がそんなに嬉しいのか、高圧的に詰問された小林が言いよどむと、ここぞとばかりに西村が畳みかける。こうして今日も、何一つ収穫のないまま中隊会議は終わり、そして戦局は、概ね予想通りに推移した。


 制空権がある英軍は、空中投下によって容易な補給が可能で、何処にでも陣地構築が出来る。対する日本軍には、そもそも補給線が無く、自らに兵糧攻めを課している状態なので、放っておいても勝手に疲弊していく。英軍はその弱った所へ攻撃をしかけ、撤退し、繰り返し我々を撹乱した。おまけに雨季の到来である。雨にぬかるんだ大地は、さながら亡者が地獄へ引き摺り込むが如く、歩みを進めるにつれ兵士たちの体力を奪っていく。そして、窮地に追い込まれた我が中隊もまた、独りよがりの決戦を前に最後の決起集会を執り行う。


「・・・乾坤一擲!今晩、我々は頑強なる敵陣地へ向け、決死の夜間突撃を敢行する!戦闘参加が困難な者については、残念ながらここでお別れだ。よくぞここまでついてきてくれた!お前達と共に戦えた事を、俺は誇りに思う!靖国でまた会おう。それでは、別命あるまで各自待機!別れ!」


 死んだ後まで付き合えとは、たまったものではない。しかしそんなお定まりの訓示でも、ヒロイズムに浸る純真な者達にとっては、特別胸に響く甘美な詩編で、所々で咽び泣く声が上がり、玉砕前にしばしの猶予が与えられる。そう悲観せずとも良いのに。さて、どうしたものか。身の振り方について考えるのは勿論だが、陽は高く、思いのほか時間はある。どちらにせよ挨拶を済ませる為、部隊に背を向けて歩き出す。


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