高橋 2
結果とは大抵、事前に決まっているものだ。それがコイントスであれ、戦争であれ。
「やってみなければ分からない!」なんて言葉も一理あるが、それは不確定要素を指しているのであって、優位に立つ者が勝利をより盤石にするため用いるのならば良いが、劣勢にある者にとっては努力と思考の放棄を意味する。今次大戦における帝国陸軍の作戦は、正に殆どが後者であった。
ノモンハン、ガダルカナル、タワラ、マキン、気づきを得る機会はいくらでもあったのに、しかしそれでも寡兵を以て大敵に挑み続けたのは、その証明に他ならない。戦争なんて、所詮どれだけ多くの人間を殺せるかの勝負だ。そんなつまらないものに人間性を求めた結果、成敗利鈍は超越し、いつしか手段と目的は入れ替わってしまうのだ。チンドウィン河の水が干ばつで干上がっていたら、あるいは天変地異が起きて山の地形が変わったら。超自然的な何か、それこそ神風が吹いて敵軍を襲ってくれたら。しかしその、起こるべくもない「たられば」に見切りをつけたのは、作戦発動から二週間が経つ頃だった。
「ノブちゃん、どう思う?」
話を切り出したのは、第二小隊長の川嶋だ。
「どうってアンタ・・・そりゃどうもこうもないでしょう」
幼年学校出の自分と、叩き上げで小隊長になった川嶋とでは幾つも年が離れているが、何故だか妙にウマが合った。連隊での会合を終えた帰り道、この年長の小隊長の誘いに応じて集団から離れると、向かい合って座り一服つける。
「本当なら今頃、パレル辺りまでは来ておかなくちゃならんのに、現状は部隊の先頭がようやくタムについたばっかりですからね」
「やっぱりそうだよなあ」
自分の考えが誤りでないのを確信したからか、高橋の答えを聞いて川嶋はゆっくりと天を仰ぐ。
ウ号作戦とは、言ってみれば源平の時代に義経が行った鵯越で、根幹は意表を突いた奇襲にある。そのためには秘密裏且つ迅速な行動が要求されるのだが、作戦の不備とは別に、実行部隊はある問題を抱えていた。それは、部隊の纏まりだ。
昨年末まで、タイで道路改修工事に従事していた高橋達がチンドウィン河東岸のレウに集結したのは、作戦の発動するほんの数週間前だ。十分な準備期間も設けられず、師団長が部隊の掌握も出来ぬまま作戦が開始されたのは、大本営から方面軍、並びに司令官に至るまでの間で取り交わされた無益なやり取りに基づく。
とにかく作戦を発動したい司令官、無謀な作戦を阻止したい大本営。その間でどっちつかずの振舞をする方面軍、どれか一つでもまともに機能していれば、このような愚作は阻止できたものの、意思決定機関の統治に問題のある組織に、それを御する能力があるわけもない。ズルズルと先延ばしにした結果がこれで、どうにもこうにも立ち行かなくなってしまった。
「あとは、敵がまだこちらの思惑に気づいていないかもしれないってのと、天気がいいのだけが唯一の救いですね」
「やっぱりそうだよなあ」
川嶋が同じ返事を繰り返し、高橋も同じように天を見上げると、生い茂る木々の間でぽっかりと切り取られた青空に、小さな点が蠢くのが見えた。
「何だ、ありゃ?」
二人して目で追いかけていた点は、やがて英兵に姿を変え、高橋達の構える銃口の前にストンと、それはもう見事に着地した。
「Oh dear!」
手を挙げた英兵がそう叫ぶと、笑いがこみ上げてくる。
「分かった、分かった!分かったからもう止めろって!・・・あー、おかしい。きっと変な気流にでも捕まったのだろうけど、こんな間の抜けた奴もいるんだね、空挺って所にも」
激しい身振りで、自身に起きた不遇を説明しようとするが、そのたびに笑いが巻き起こり、三人して腹を抱えて笑い転げる。だが、這う這うの体の川嶋がそれを制すると、気まずい静寂が訪れた。
「さてと、どうするかね。ひとしきり笑わせてもらったし、取りあえず死んでもらうか?」
捕虜を養う余裕なんてないのだから、それが当然だ。川嶋の手が銃剣を掴み、英兵の体がビクンと緊張する。
「まあ待ちない。折角だし、少し話でも聞かせてもらおうよ。あんたの所の中隊に、語学が堪能な奴がいなかったっけ?」
「たしか三小隊にインテリの兵長がいて、そいつが喋れたはずだけど」
「そうか、そうしたらそいつを連れてきてくれないか」
「人は?他に誰か連れてこなくてもいいか?」
「うーん、いいかな。面倒くさいし、誰にも言わないでおいて」
「分かった、ちょっと待っていろ」
きっと問答無用で連れてこられたのだろう、件の兵長は困惑顔をしていたが、英兵の姿を認めるとすぐに事情を理解した。
「初めまして、小林兵長です。通訳ですか?堪能ではありませんが、出来るだけやってみます」
「謙遜しなくていいよ。経験は?」
「華北で捕まえた露助を尋問するのに、ロシア語の出来る奴がいなくて、それでそいつが英語だったら喋れるって言うので、ロシア人相手なら何度か」
「なるほど。まあそれで充分だよ。そうしたら、このメアリー・ポピンズはいったい何処から飛んできたのか聞いてくれるかい」
英兵に向かって小林が、高橋の言葉を通訳する。
「なるほど。自分はイギリスにある、ロンドンの桜通り十七番地から来たと言っています。四人兄妹の長男で、名前はマイケル・・・」
「馬鹿、出身地なんか聞いてねえって。飛行場について知りたいんだよ」
「なるほど、そっちですか。では改めて聞いてみます」
開いた状態の落下傘を背負っていてはろくに動けまいと、敢えて捕縛はせずに見張っていたのだが、すぐには殺されまいと判断した英兵は、高橋に貰った煙草をふかしつつ、ゆったり寛いでいる。敵乍ら天晴というかなんというか、さすが敵の銃口めがけて降下してきただけのことはある。思い出し笑いに顔が綻ぶ。
「なるほど、自分はウィンゲート旅団の人間だと言っています」
「へー・・・まあそんな部隊知らないけどさ。それで、どこの飛行場から来たって」
「それが、どこかわからないそうです」
「どこかわからない?そんな出鱈目が通るわけないだろう。優しくしてればつけあがりやがって」
川嶋が勇んで銃剣の柄を握りしめると、慌てて小林が止めに入る。
「ちょっと待って下さい。本当に彼は知らないそうなんです」
「だからなんで知らないのよ」
「上官の指示に従って飛行機に乗って、言われるがままに降下しただけで、それ以上のことは知らないんだそうです」
「嘘だぁ。だったら旅団の作戦目的と、こっちの動向についてどれだけ把握しているか聞いてみろよ」
「分かりました」
まさか、何も知らされないで敵地に放り込まれる空挺隊員なんているわけがないと思ったが、通訳を受ける英兵の目つきは、それもあり得るのではと感じさせる。
「で、なんて?」
「俺達の目的は、ジャップを殺す事だそうです」
「そんなことわかっているよ。俺たちだって、お前らやっつけるためにここに来たんだから、そうじゃなくて、どこをどうやって攻撃するとか、規模だとかそういう話さ。ずいぶん長いこと喋っていたけど、本当にその程度の内容なの?」
「いや、本当ですって!それ以外の部分は正直、訳する意味が無いと思ったので要点だけまとめて割愛しました。例えば「自分は新隊員の時から群を抜いて優秀だった」とか、「戦争が終わったら結婚するんだって言いたいところだけど、まずは彼女を見つけるところからだ」とか、聞きたいですか?こんな話」
「You don‘t know anything?」
試しに片言の英語で直接訪ねてみるが、満面の笑みで返されては失笑するしかない。
「念のため拷問するか?」
責めるにしたって、もともと何も知らないのでは時間と労力の無駄だ。それにしたって、目の前で自身の処遇が談義されているというのに、いい気なものだ。二人の若者が楽しそうに語らう姿に、何とも言えぬ虚しさを感じる。
「SUSHI!TENPURA!GEISYA!YELLOW MONKEY!」
「寿司、天婦羅、芸者、黄色い猿。と言っています」
「さすがにそれくらいは俺でもわかるよ」
「それと、あんなでっかい山を越えて攻撃しようなんて、あんたら本当にバカだよね、と言っています」
「今、なんて?」
一瞬の沈黙の後、二人して聞き返す。
「ええ、ですから寿司、天婦羅、黄色い猿・・・」
「それじゃなくて、その後だよ、その後」
「ああ、あんなでっかい山を越えて攻撃しようなんて、あんたら本当にバカだよね、ですか?」
「本当かよ。それって、こいつらの部隊ではどれだけの人間が知っているんだ?」
「Everybody knows!」
「連中、去年の二月頃には、我々が山越えしてくるって情報を掴んでいたようです・・・」
それの意味するところが分かったのだろう、沈痛な面持ちになって小林の言葉が途切れる。
奇襲を成功させるための前提条件、「目的の秘匿」はこれで失われた。あとは敵の予測を超越する速さのみが作戦の成功を担うのだが、不安が頭によぎるのとほぼ同時に、高橋の頬を冷たい雨の雫がポタリと濡らす。見上げれば先ほどまでの青空はとうに消え失せ、どんよりと重たい雨雲が暗くのしかかっていた。雨季が始まる。ビルマの長い雨季が。
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