第54話 壁の傷
「それにしても……とんでもねぇな」
誰もいなくなった地下の訓練部屋。
分厚い壁にはミスリルも混ぜ込まれており、絶対に壊れないようになっている――はずの壁がボッコボコの傷だらけになっているのを見て、冒険者ギルドのギルド長であるタイロン・ウィギンスは独り言を漏らした。
最初は建物が壊れるのではと思うほどの揺れで身の危険を感じ、更にこの壁を見て修理をしなくてはいけないことが頭を過ったせいで、デイゼンに対して声を荒げて怒ってしまったタイロン。
だが、一度冷静になって見てみると、とんでもない傷の付き方をしている。
「オールカルソンの使用人になったって聞いた時は、あのデイゼン・アワーバックですら地に落ちるものなのかと思ったけど……。『魔法狂』デイゼンは未だに健在ってことか」
そう呟きながら壁を触って確かめるタイロンだったが、傷の付き方は今まで見たことがないものであり、見れば見るほど理解できない。
それに……デイゼンは一つ気になったことを言ってから去っていった。
『この壁に傷をつけた魔法を放ったのは、ワシではなくエリアス様じゃ』
面白くない冗談か、それとも自分の主人であるエリアスの名を高めたいってだけの嘘。
エリアス・オールカルソンという人間については、このグレンダールに住む人間ならば誰でも知っている。
先代以外は馬鹿で無能ばかりのオールカルソン家の中でもとびきりの無能であり、それでいて傲慢で高圧的で下種。
体が爆発しそうなほど太った体型でありながら、セクハラなんかも平気でしてくるという話は、グレンダールの街では知っていて当たり前の情報。
そんな人間が、この壁に傷をつけるなんてのは絶対にあり得ないこと。
タイロンはそう分かっていたのだが、何処か心の中ではモヤモヤとした感情が残った。
デイゼンとエリアスの一件から一週間後。
特殊な壁だったということもあり、壁の修復にはまだ取り掛かれていない。
修理に要する金は全てオールカルソン家が出してくれるようで、タイロンは壁だけでなく訓練部屋ごと新しく変えてしまおうかと思考している中、グレンダールの街で唯一のAランク冒険者パーティ【時雨】の面々が冒険者ギルドに顔を見せた。
帝都に用があってグレンダールは離れていたのだが、全員揃って顔を見せたということは用を終えて戻ってきたということだろう。
「よお、タイロンさん。戻ってきたぜ」
「よく戻ってきてくれた! 帝都へ行く冒険者はもう戻ってこないのではないかと、毎度ヒヤヒヤする!」
「グレンダールは良い街なのに、オールカルソン家が鬱陶しいからな。帝都に夢を持ってというより、そっちで離れる冒険者が大半だろ。……ただ、安心してくれ。俺達はグレンダールから拠点を変えるつもりはない。もうこっちに家族もいるしな」
「そうそう! 唯一のAランク冒険者ってことで優遇もしてくれるし!」
「ですな。帝都に行ったら我らなんて埋もれてしまいますぞ」
「そうか! その言葉を聞けて安心した!」
オールカルソンは冒険者ギルドにも口を出してくるため、それが嫌で街を離れる冒険者がかなりいる。
最近ので酷いものでいうと、優勝者はオールカルソル家の使用人として雇うから武闘大会を開けという指示。
優勝してもメリットどころかデメリットでしかないため、流石に冒険者反発が酷く人数も集まらなかった武闘大会。
それでも何とか形だけでも成立させるため、タイロンは腕自慢を八人集めて武闘大会を開いたのだが、指示を出したオールカルソンの当主は見に来ることもなく、それから武闘大会について一切の音沙汰がない。
ギルド長であるタイロンですら、街を去ろうかと思ったぐらいの出来事だった。
「という訳で、今日は訓練部屋を貸してほしい。依頼という依頼を受けていなかったから体が鈍っているんだ」
「大暴れして、明日からの依頼に備えたいの!」
「もちろん構わないんだが……実はちょっと部屋の壁が壊れてしまっていてな。それでも構わないっていうなら使ってくれ!」
「部屋の壁が壊れている? あの訓練部屋の分厚い壁が――か?」
「ああ、そうだ! 今さっきも話題に出た、オールカルソン家の次男のエリアスがこの間来たんだわ」
タイロンがエリアスの名前を出した瞬間、全員の顔が一斉に歪んだ。
今の当主も酷いものなのだが、オールカルソン家で一番嫌われているのはエリアスというのが、全員の表情からも分かってしまう。
「オールカルソン家のエリアスが壁をぶっ壊したのか? 訓練部屋の中で爆弾でも使ったのか?」
「いや。一緒にいたデイゼン・アワーバックが言うには、エリアスの魔法で破壊したらしい! 訓練部屋を使うっていうなら、【時雨】の面々にも見てもらいてぇんだ」
「もちろん見させて頂きますぞ。ただ、エリアスがやったとは我には考えられませんがな」
「私も同じー! 愚図の鈍間って有名なエリアスが魔法を使えるなんて聞いたことないもん! デイゼンさんがやったんじゃないの?」
「俺もそうだとは思っているんだけどな……」
タイロンと【時雨】はそんな会話をしつつ、地下にある訓練部屋へと向かった。
エリアスとデイゼン以降はまだ誰も使っておらず、タイロン自身も一週間ぶりに訪れたのだが……思わず口が開いてしまうほど凄まじい光景。
「うっわー! すっご! 本当に壁がボッコボコじゃん!」
「こりゃあ……確かに魔法による傷だな。何の魔法なのかはさっぱりだが」
「うむぅ? 皆さん、ちょっとこれを見てくだされ。壁の傷に砂が詰まっておりますぞ」
「本当だ! てことは、壁の傷をつけた魔法と砂の魔法の二種類が飛び交ったってこと?」
「その可能性が高いな。傷の具合いと砂を見比べても、砂は後から入り込んだ感じがある」
「砂の魔法と言ったらデイゼンさんだよね? ってことは、この壁の傷は本当にエリアス……?」
【時雨】の面々とタイロンは互いに顔を見合い、一瞬の静寂が流れた。
本当にエリアスがやったことなのかと、ここにいる全員の頭にそんな思考が一瞬過ったのだが――。
「ないない! あのエリアスだぞ! 流石にありえねぇだろ!」
「俺も同感だな。デイゼンさんが二種類の魔法を使ったってだけだろ」
「ですな。我もないと思いますぞ」
「だよねー! てことで、壁に傷をつけたのはエリアスじゃない!」
そう結論付け、【時雨】の面々は訓練部屋にて訓練を始めた。
ただ、頭の片隅ではもしかしたらあり得るのでは……そんな思考を全員が残したまま話は終わったのだった。
※ ※ ※ ※
ようやく壁の修理も終わり、何の憂いもなく訓練部屋を使えるようになった。
そもそも訓練部屋を使う冒険者自体少ないのだが、オールカルソン家の金で修繕できるということもあって、タイロンは壁だけでなく部屋まるごと綺麗にした。
バレたら何を言われるか分かったものではないが、オールカルソンの人間が冒険者ギルドに来ることはない。
そう高を括り、のんきに書類作業を行っていると――扉から入ってきたのは、姿が大分変わったが紛れもないエリアス・オールカルソン。
訓練部屋の修理が終わったことを聞きつけ、わざわざ見に来たのか?
見に来たのだとしたら……相当まずい。タイロンは焦りから、大量に汗が一気に噴き出た。
「あっ、グレンダールのギルド長だ。ちょっといいか?」
隠れて奥に逃げようとしたところ、あっさりとエリアスに見つかり声を掛けられてしまった。
こうなったら……素直に白状するしかない。
「え、エリアス様。お、お久しぶりです」
「ギルド長、久しぶりだな。この間は部屋を壊してしまってすまなかった。ちゃんと直すことができたか?」
「そ、それはもちろんオールカルソン家のお金のお陰で……」
そこまで口にしたところで大きく息を吐き、タイロンは覚悟を決めた。
「壁も無事に直せたのですが、部屋ごと新しくしてしまいました!」
「そうか。部屋ごと新しくしたならまた使わせてほしいな。今度は壊さないように気を付けさせてもらう」
怒るどころか、エリアスは爽やかな笑顔をタイロンに向けて来た。
この間もなんとなく思っていたが、これまで見かけた時のようなドロドロとした悪の塊のような人間ではなく、別人のように爽やかな人間に変わっているようにしか思えない。
……本当にエリアスなのか? そんな疑問が生まれ、タイロンは思わず首を傾げた。
「それでだが……今日は訓練部屋ではなく、別の用事で来たんだが大丈夫か?」
「別の……用事……ですか?」
「ああ。俺は――冒険者になろうと思っている。だから、冒険者登録をしてほしい」
「――はぁ???」
想像だにしていなかった言葉に、つい言葉が漏れてしまった。
それぐらいあり得ないことであり、何か裏があるのでないか。
そう勘繰ったタイロンは、口を大きく開けたままエリアスを見つめたのだった。
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