1話 瓦子愛実
「行け行け瓦子! ……っしょ! 自己ベ更新だ! よくやった!」
「ハァハァ……あざます……」
昔から走るのだけは誰にも負けなかった。
周りは着いて来れない人ばかりで、いつも1人で走るしかなかった。
だから一緒に走れる仲間が欲しくて、姉貴が教えてくれた少年団に入った。
初めの内は仲間にも恵まれて、勝負に勝って負けてを繰り返し、一喜一憂を純粋に感じれた。
ただ時間が経てば経つ程、走れば走る程、どんどん仲間との差が開いて、期待を背負わされて、自分の為が誰かの為になってた。
沢山褒めて貰ったり、喜んで貰ったりする度、期待に応えてる上っ面だけが増えて、心の底から喜べた事は一度もなかった。
「愛実、北春高校で今度は一緒に走ろう」
中学に入って大会でよく一緒になった、他校の一個上の先輩瓜原奏多さんが、卒業大会の時にそう言って約束をしてくれた。
陸上で目立った成績の無い北春高校なら、期待を背負う事もなく、自分らしくいられるかもしれない。
そんな気がしたのもあって、強豪高の推薦やスカウトを断って、ギリギリの学力で北高の入学を決めた。
合格が決まり、部活の練習に参加しないかと奏多さんに誘われて、部室で待ってた部員達を見て悟った。
「君が瓦子愛実君か! 君の華々しい成績の数々は、北高にも届いてるよ!」
悪気の無い部長の言葉は、顧問の先生、先輩達の期待を掻き立てるには充分だった。
結局どこに行っても変わらない。
辞めるに辞められない気持ちを、ズルズル引き摺ったまま迎えた入学式当日。
教室で思いもよらぬ出会いがあった。
昔水族館で一目惚れした、名前も知らない男の子が、同じクラスのすぐ後ろの席にいたんだ。
♢♢♢♢
水族館に行ったあの日から、あの男の子にまた会いたい、会えるかなって、口癖のように姉貴や両親の前で、何度も何度もお願いした。
子供のわがままに付き合う訳もなく、そう簡単に連れてって貰える訳もなかった。
頼れる人がいなくて、どうすればいいか悩みに悩んで行き着いた答えは、自分の足で走って行けばいい、だった。
無計画で無我夢中で走って、右も左も分からない場所で疲れて、途方に暮れてる所を助けられて、両親と姉貴にしこたま怒られた。
今思えば、もう一度男の子に会いたかったのが、走るキッカケだったんだ。
10年越しの偶然か運命か。
鬱積してるのも忘れて、洋にすぐに話し掛けてた。
「積木君! 私、前の席の瓦子愛実! 今日からよろしくな!」
「つ、積木洋です……よ、よろしくお願いします……」
ビクビク怯えてる洋は、必要な返事以外は何も言わなかった。
素っ気ない態度に見えても、期待をされないだけで居心地が良くて、その日からよく話し掛けるようになった。
♢♢♢♢
入学して2週間経った土曜日。
顧問の先生が不在で、その日は自主練になった。
奏多さん達に一緒にやらないかと誘われても、今日ぐらい1人になりたくて断った。
誰にも邪魔されない、1人で走れる土手で、時間が許す限り、足を動かした。
また偶然か運命か、気持ち良さそうに土手に寝転ぶ洋がいたんだ。
1人になりたかったのに、洋を見た途端に縋りたくなって、足を止めて声を掛けた。
洋の隣に座っただけなのに、誰にも言えなかった弱音が嘘みたいにポロポロ溢れて、洋は嫌な顔を1つもしないで聞いてくれて、こう言ってくれた。
「皆の期待って、わざわざ背負うものなんですか?」
今まで欲しかった言葉に、心がやっと軽くなれて、洋には感謝してもしきれなかった。
洋の言葉を胸に、休み明けには陸上部全員に向かって、陸上を辞めると本音の理由を伝えた。
皆は気持ちを尊重してくれて、次の大会で引退する事が叶った。
一度一目惚れして、また同じ人を好きになるのに、10年以上掛かったけど、その日から洋に対する気持ちばかりが溢れて、想いと行動は止まらなかった。
♢♢♢♢
何気ない日常の中で、洋と過ごす日々は幸せの毎日で、忘れられない言葉達が心に残ってるんだ。
林間学校の露天風呂で、男子風呂から赤鳥ことクソドリと、洋の大きな声が聞こえた時も。
「愛実さんは優しくて可愛くて、表情がとても凄く豊かで、一緒にいると幸せになったり、安心できる大切な人だから……その……赤鳥君の言葉も間違ってはないけど、僕はあまり良くは思わないよ」
本人目の前じゃ言えない、洋の本気の言葉でもっと好きになれて。
海の家バイトで、魅力的な先輩達と比べて、自分を卑下てる時も。
「僕の一番は愛実さんだったよ」
墨ヶ丘夏祭りで、洋と2人っきりで花火を観てる時も。
「愛実さんの方が綺麗だよ」
お盆で帰省してた洋に、1番に誕生日おめでとうを言った時も。
「これから先もずっと、愛実さんと一緒に過ごしたいので、今後ともよろしくお願いします!」
球技大会明けの土曜日、海蛍水族館でデートしてる時、洋が言ってくれた。
「愛実さん、僕は貴方の事が好きです」
「人としても1人の女の子としても、心から大好きです」
「め、愛実さん。こん……こ、この先も僕は愛実さんと一緒に、隣を歩きたいです。だ、だから、僕と付き合って下さい!」
洋の告白で両思いだと分かって、幸せと大好きが溢れて、2つ返事と一緒に洋を抱き締めてた。
こっそり見守ってくれて、キッカケをくれた姉貴を見送った後、色々と我慢出来なくて、初めてのキスも不意打ちでしたんだ。
これから先、私達が付き合ってると知った女の子達が、洋の事を諦めずに迫って来ても、大好きな洋の手は絶対に離さない。