プロローグ 想い人とデート
球技大会が終わり、振り返り休日を跨いだ、10月初めの土曜日。
朝っぱらから自室で服選びに迷いに迷ってるのが、僕積木洋、北春高校に通う1年生だ。
趣味の町ブラならば、ラフな格好でも充分だけど、訳あって事情が違うんだ。
なんせ今日は、想い人の同級生瓦子愛実さんとのデート当日。
しかも愛実さんの方からデートのお誘いと来たもんだ。
僕は詰み体質という、あらゆる場面で異性に囲まれ詰んでしまうから、極力色恋沙汰を避けて生きて来た。
そんな僕が恋したのが愛実さんだから、もう今日という日は浮き足立って気が気でないんだ。
「これも違う……こっちも時季的に合ってない……」
「洋、そろそろ出る時間じゃないかしら」
姿を見せ声を掛けてきた黒髪長髪美人は、積木家の長女蒼姉さん、有名進学校に通う高校3年生だ。
ご近所さん達から理想の姉像と言われる一方、変なモノに興味を示したり、子供らしい一面を見せ、ちょっと抜けてるのが特徴的だ。
そんな姉さんと前日に、今日着ていく服の相談をしてたから、未だ時間ギリギリまで迷いあぐねてる僕の姿を、微笑ましく眺めてる。
「うふふ、洋はいつまで経っても可愛い弟ね」
「ご、ごめん姉さん!せっかく色々と相談に乗って貰ったのに!」
「別にいいのよ。大事なのは洋がそうしたいって意思だもの」
決して馬鹿にしたり呆れたりせずに、尊重してくれる姉さんは、本当に人として尊敬できる。
ただ本当に時間が迫ってるんだ。
結局、昨日姉さんと選んだ服に着替え、玄関へと大急ぎで靴を履いた。
「楽しんでくるのよ」
「うん!じゃあ行ってき」
「待って待ってお兄ちゃん!リビングにスマホ忘れてたよ!」
「え!?あ、ありがとう空!」
スマホを手渡してくれた、小柄で愛らしい黒髪ショートの美少女、積木家次女の空、中学2年生だ。
家庭的でしっかり者な反面、週に2・3度一緒に眠る甘えん坊さんだ。
「どういたしまして!はい!行ってらっしゃい!」
「行ってきます!」
最寄り駅までの徒歩移動も、手と足が同時に出るぐらい緊張しっぱなし。
通勤通学で乗り慣れる電車も、詰み場とは関係無くソワソワが止まない。
どんなに心の準備が済んでいなくても、時間だけは誰でも平等に進み、その時は必ずやって来るんだ。
「はよー!積っち!」
「お、おはよう愛実さん」
艶やかでサラサラなショートの黒髪。
全身小麦色に焼けた綺麗な肌。
陸上で鍛えられたスレンダーなスタイル。
そして太陽みたいに眩しい笑顔が似合う愛らしい顔。
絶対に見間違いようのない彼女こそ、瓦子愛実さんその人が乗り込んで、元気良く目の前に現れた。
刺繍キャップ、白のシアーバンドカラーシャツ、黒のキャミソール、ストレートデニムパンツと、季節の変わり目に似合うファッションにも目を奪われる。
僕の左隣に座る愛実さんからは、いつもの柑橘系の香りが鼻を擽り、ピタッと触れる距離間にもいちいちドキドキする僕は、とても単純な男だ。
「じゃーん!早速ですが、これなーんだ?」
「ち、近過ぎて見えないよ」
「あはは!ごめんごめん♪わざとわざと!」
視界を封じてたそれは2枚のチケットだった。
「今日はコチラに参ります!」
「……海蛍水族館?」
「そ!姉貴にペアチケ貰ってさ、折角なら積っちと行きたいと思って、誘っちゃいました!」
「こ、光栄です?」
「あはは!なんで疑問系だし♪このこの」
優しいツッコミ風の触れ合いも、何気ない会話の一つ一つも、ずっと続けばいいと思えるぐらい、本気で恋してるんだと改めて実感していた。
♢♢♢♢
電車移動で30分、更に海蛍水族館行きのバスで10分。
夏にリニューアルオープンしたばかりの、立派な海蛍水族館に到着した。
「おぉー!ちっちゃい頃振りだから、めっちゃ楽しみだわ!」
「休日だから人も多いね」
「だな!とりま、ハグれ防止に手を繋ぎましょ♪」
「あ!」
好きな人の前で良いところを見せたくても、何もかも先手を取られる。
臆病風に吹かれっぱなしな自分を払拭するのが、まず進むべき一つの一歩だ。
涼しい館内の入り口付近は人がごった返し、デートをするには気が散りそうだ。
「なぁなぁ、積っちは海の生き物で何が好き?」
「んー……クラゲ……が好きかな」
「おぉー!私も好き!ほわっほわなフォルムがいいよな!お!クラゲん場所、コッチにあるみたいだし、行こ行こ!」
「おわっ!?」
寒色にライトアップされたクラゲエリアは、まるで海中にいる気分になれた。
落ち着いた空気とクラゲしかいないのもあって、飽き性な子供達や親子連れも少ない。
「右を見ても左を見てもクラゲ一色!」
「クラゲエリアだからね」
「えへへ♪そうでした♪あ、ちっちゃなクラゲがいるよ♪」
「慌てなくても逃げないよ」
パタパタと壁際の水槽に向かう愛実さんが、無邪気な子供みたいで微笑ましい。
愛実さんの側に向かおうと足を向けた僕は、広い通路に設置された2m級の円形水槽前で、どうしてか足が自然と止まった。
静かに漂ってるクラゲを見てると、どこか懐かしい気持ちになれる。
そんな気持ちにフワフワと胸の奥が温かくなる中、反対側でニコッと笑う愛実さんと目が合った。
「積っちー♪反対側から見えてるぞー♪やほー♪」
「結構ハッキリ見えるも……」
今までどうして忘れてたんだろう。
ずっと前、物心がついた年頃に一度、ここの海蛍水族館に家族で来た事があるんだった。
見るモノ全部が新鮮で、今日みたいに大きな円形水槽の前で、足を止めて1人眺めてたんだ。
そしたら今みたいに反対側で、歳の近い可愛らしい女の子がニコッと笑って、胸の奥が凄く温かくなった。
あの時はそれが何か分からなかったけど、今なら分かる。
あれは初めての一目惚れだったんだ。
詰み体質の経験で上書きされた、たった数秒間の微かな記憶だから思い出せなかったんじゃない。
あの子と愛実さんの姿が重なったから、ようやく思い出せたんだ。
同じ場所で同じ人をまた好きになれた奇跡は、僕の背中を押すのには充分過ぎる。
愛実さんは多分覚えてないと思うけど、僕のあの時の気持ちと、今の気持ちはもう抑えきれない。
「にひひ♪やっぱ隣で見る方がいいや♪」
「愛実さん」
「ん?なしたん?」
「愛実さん、僕は貴方の事が好きです」
「……え“!?」
「人としても1人の女の子としても、心から大好きです」
「ま、待って!?えっ!?ゆ、夢!?いでで!?げ、現実!?」
「本当にいきなりでごめんね。もっと雰囲気とか場所を選べば」
「ち、違う!そ、そうじゃなくて……その……わ、私も積っ……よ、洋の事が好きです!」
聞き間違いなんかじゃない。
10年以上前の想いも、今の想いも伝わってくれた。
愛実さんの想いも知れた。
そして両思いだと分かって、今にも膝から崩れ落ちそうになってる。
このまま幸福感でノックアウトされる前に、言わなくちゃいけない言葉を言うんだ。
「め、愛実さん。こん……こ、この先も僕は愛実さんと一緒に、隣を歩きたいです。だ、だから、僕と付き合って下さい!」
「はい!洋!大好き!」
「わぁっ!?」
首に手を回して抱き締めるめ愛実さんの、細い腰に手を回して抱き締め返した。
詰み体質じゃ叶わないと思ってた、自分が望んだ恋がこうして実った。
この幸せが溢れ落ちない様に、大事に大事に受け止め続けるんだ。
ただ、今はひたすらに僕らの幸せを感じ合えれば、充分だ。
そんな僕らにパチパチと1人分の拍手と足音が接近してた。
「やっとくっ付いたか。つけてきた甲斐があったもんだ」
「へ?あ、姉貴!?」
「え?こ、小乃美さん?」
愛実さんの実姉、瓦子小乃美さん大学3年生。
モデルさながらの抜群なプロポーションで、ジーンズに白シャツレザージャケットを着こなす、黒髪ショートが似合う怖い系の女性だ。
「キッカケをと思って、2人の思い出の場所なら進展すると踏んだが、大正解だったな」
「え、あ、あの時の事、お、覚えてたんですか!?」
「朧げだったが、少年と我が家で再会した際に、ハッキリとあの時の少年だと思い出した」
「ちな、私も覚えてた!まぁ、高校に入ってから洋だって分かったんだけどな!」
「え、そ、そうだったの?」
瓦子姉妹は覚えていて、僕だけついさっきまで思い出せなかった事実に、なんも言えない。
それでもキッカケ作りしてくれた小乃美さんのお陰で、愛実さんに想いを伝えられたんだ。
「告白前後の動画を撮ったが、あとで送ってやろう」
「マジ!?永久保存しないと!あんがと姉貴!」
「あ、ありがとうございます」
「単なるお節介だ。初デート、楽しんで来い」
ヒラヒラと僕らに手を振り、クラゲエリアを去って行った小乃美さん。
返しても返しきれない恩を作ってくれたんだ。
後日改めて、お礼と挨拶をしに行かないと。
兎にも角にも2人っきりに戻ったここから先は、単なるデートじゃなく、付き合って初めてのデートだ。
まだまだ心はフワフワで、実感し切れてないけど、僕らのペースで進めばいいんだ。
「そ、そろそろ行」
愛実さんの方へと顔を向けた直後、言葉を塞ぐ様に口に何かが触れた。
ぷにぷにと柔らかな触れたそれは、不意打ちの口付けだった。
「へぇ?」
「これからいっぱいいーっぱい!2人の初めてをしような♪にひひ♪」
照れ臭さを隠すように無邪気に笑い、恋人握りで手を引く愛実さんの顔を、嬉し恥ずかしさで見られない。
これから先、色んな2人の初めても、きっと似た様な反応をするんだろうと、自然と笑みを溢しながら、手を離さない様に優しく握り返した。