ある出会い → ある決意
核都市である、石工都市ディーテンに生まれる。母はおらず、幼少期から父親に虐げられて育った。食糧もろくに与えられず、部屋に閉じ込められていた。殴る蹴るは日常茶飯事で、ハンマーで腕を打たれることもあった。6歳の時に捨てられ、父親は都市の外に出て行ってしまった。それからは路地の奥で浮浪孤児として生活し、拾った石の短剣で人を脅して食糧を奪うこともあった。髪は伸び放題、風呂にも入れないので匂いもキツくなり、服も奪ったものをずっと着ているのでボロボロになっていた。都市は全て石畳みの道なので、石の縁で足を切り、ヒビ割れた足になっていった。
夜もそこまで冷えなかったので凍死することはなかったが、極限の食と愛の飢えに苦しんだ。四年が経過したとき、石の短剣で人を傷つけたことにより都市の騎士に追われるようになる。路地を巧みに逃げ回ることで難を逃れていたが、食糧は今にも増して手に入り辛くなった。ある時から追手に魔導騎士が加わるようになる。直面したことのない摩訶不思議な能力に死に物狂いで逃げ惑い、気づくと廃棄物に埋もれた袋小路に横たわっていた。なぜかそこには魔導騎士の追手は来ず束の間の休息を得た。
ある時気づくと、路地の入り口にマントを纏った人物がいることに気づいた。石の短剣を持って近づくと、その人物はゆっくりと手に持っていたパンを差し出した。
数週間ぶりのまともな食事に、夢中になってかぶりついた。その人物の手が伸びてきて、優しく自分の頭を撫でた。こんなふうに自分に接してくれる人は初めてだった。パンにかぶりつきながら戻されかけた彼の手をとって自分の頭に乗せる。彼は自分がパンを食べ終わるまでずっと頭を撫でてくれていた。彼がその場にしゃがんで目線を合わせてきた。しゃがむ時に金属の触れ合う音が聞こえた。この人も騎士なのかも、と思ったが、着ている服の色が違うしとっても優しそうだ。フードの中の顔は暗くてよく見えなかったけれど、かなり若い人のようだ。『大丈夫、一緒においで』と彼は言う。この人に奴隷にされてもいいや、殺されてもいいや。もう今後どんなことがあってもいいから彼について行こうと思った。そのまま彼に抱きついた。彼の温かな力が伝わってきた。いつまでそうしていただろうか。ゆっくりと彼が立ち上がり、手を伸ばしてきた。『行こう』私は差し出された彼の手を握り、彼に導かれるようにゆっくりと歩き出した。彼は私の傷ついた足に合わせるように、ゆっくりと歩いてくれた。
『待てい!』急に私と彼に声がかかる。ゆっくりと後ろを見ると、沢山の騎士と、あの私を追っていた魔導騎士がいた。怖くなって走り出そうとするが、彼はしっかりと私の手を握っていた。『私は暁之騎士団所属、風の魔導騎士ウィルベット。その子供は都市の市民を傷つけた犯罪者だ。こちらに引き渡してもらおう。』私が一層逃げようとすると、彼は私の肩を強く抱き寄せた。マントで私を隠し、私から橙色のマントを着た騎士たちが見えないようにした。『この子もこの都市の市民だろう。彼女にこのような状況を作り出したのは君たちではないか?』彼は臆することなくそう言い放った。『黙れ!その子供は渡してもらおう。名を名乗れ!決闘だ!』魔導騎士が剣を抜くと、彼の周りに風が吹き始めた。『死ねぇぇぇ!』そう叫んで目にも止まらぬ速さでこちらに向かってくる魔導騎士。恐る恐る彼を見上げると、彼は一歩下がって身体をずらし、魔導騎士の突きを避けた。そしていつのまにか左手に持っていた短剣を魔導騎士の胸に当てる。そのまま短剣の刃は魔導騎士の胸に沈んでいった。左足で魔導騎士を蹴り飛ばすと同時に短剣を引き抜き、刃についた血を払う。そのまま短剣を腰の剣帯に収める一連の流れはとても自然で、他の騎士に身動きひとつさせなかった。彼は取り囲む騎士をそのまま無視し、『いくよ』とわたしに一声かけて歩き出した。取り囲む騎士も身動きができず歩いていく私達を見逃すしかなかった。
彼はこの都市の門に近い馬屋に繋いでいた馬に自分を乗せると、そのまま走り出した。門番の静止も聞かず、砂の世界に走り出す。私にとって初めての世界だった。
何も言わない彼だったが、自分を支えるその腕からは無上の安心感があった。私も両手を彼の腕に回して絶対に離さないようにしがみついた。絶対にこの手を離さない。そう思った。
いつまでそうしていただろうか。周りの景色は変わらずとも、空の模様はゆっくりと変化していった。だんだんと暗くなり気温も下がっていく。少し冷たい風の中を彼の馬は切り裂いていった。彼はマントを私の前に回し風が当たらないように押さえた。
夜になって月が彼の顔に隠れて見えなくなった時、彼はゆっくりと喋り出した。
『私はね、親がいないんだ。いろんなところで苦しんだし、死んでしまおうと思うこともあった。でも今私はこうして生きているんだ。だから君を助けた。生きようとしている君を。私はゼン・クレイス。今日から君は私の娘だ。私は君を見捨てたり、傷つけたりすることは絶対にしない。君が自立して私から離れるまで私は君の隣にいる。』
初めてかけられた言葉の数々になぜか私は泣いていた。何かを言う勇気はなかったが、自分を抱える彼の腕をさらに強く抱きしめた。
『…ルーラ』
一言だけ彼に伝えたいと思って口にした。初めて見つけた自分だけの文字。親にも言わなかった、一番昔の記憶。彼に呼ばれるならこの言葉がいいと思った。
『ルーラ…ルーラか。古代エルメ語で“蒼の乙女”とは言い得て妙だな。いい名前だ。』
彼はそう言って微笑うと、遠くの星を見た。私は自分のことが認められた気がして嬉しくなった。太陽が地平線から顔を出し少しずつ明るくなってきた時、遠くに砂ではない造形物が見えた。とても遠くにあるそれを彼は目指しているようだった。
近づくにつれて、それはとても大きな街だと言うことに気づいた。そして彼のマントと同じ緑色の旗が沢山はためいている。彼の馬が速度を落とした。すると街の方から歓声と角笛の音が鳴り響いた。さらに正面の大きな門が鈍い音を立てて大きく開いていく。その中には緑の鎧を着た騎士たちが旗付きの槍を持って並んでいる。私は怖くなって彼のマントの中に隠れたが、彼はそのまま街の中に進んでいった。彼が門をくぐると並んでいる騎士や周りの緑のマントを着た人々が一斉に声を発する。『敬迎唱和!』誰かの掛け声と共に『レェーイ!オォーー!!』と言う声が響き渡る。彼が進んだ正面には、周りと違い兜をしていない騎士が三人いる。その中の旗を持った眼鏡の騎士が進み出て方向を変え、彼の斜め後ろに馬を歩かせた。眼鏡の騎士が持つ旗だけ他と違って菱形の線の周りに三重の円の飾りがある。『鉱商都市シュテンディルへようこそ。団長。』そう言って、兜をしていない他の二人の騎士も彼の後ろについて馬を歩かせた。この時点でやっと私は理解した。彼が緑のマントを纏う騎士団の団長なのだと。そして気づく。兜をしていない騎士は魔導騎士だ。眼鏡の騎士がゆっくりと馬を寄せ、小さな声で聞いてきた。『そちらのお嬢さんは?』彼が答える。『ルーラ。私の娘だ。』また私は嬉しくなって、彼の腕とマントをしっかりと握りしめた。『アイガス、其方に団長命令を与える。ルーラには私の守りを与える。よってその執行者となれ。』『“シールド”。承知しました。我が封印にかけてその任を遂行いたします。』眼鏡の騎士は旗を背負うと胸の前で手を組みそう言った。街の中を馬に乗って進むと、もう一つの門が見えてきた。その門をくぐると人通りは途絶え、金属質の大きな建物が整然と並んでいる。その中のひとつの前で彼が自分を抱えて馬を降りる。建物を覗くとそこは馬屋になっているようだった。急に地面に足をつくのが怖くなって彼の首に手を回すと、彼はそのまま私を抱えて歩き出した。そこまで何も話さなかった彼だが正面の大きな建物の中に入ると次々と命令を飛ばした。『この娘に合う服と靴を。歩きやすいようにサンダルがいいだろう。それからリンシャを呼べ。ずっとこのままではいけないだろう、風呂を準備してくれ。』彼の命令によって、女の騎士が一人やってきた。『ルーラ、この人はリンシャ。私の騎士団の騎士だ。これからルーラをお風呂に連れて行ってくれる。私が行かなくても大丈夫かな?』相変わらず声は怖くて出せなかったが、なんとか頷いた。『ありがとう。服を準備しておくから、馬旅の疲れを癒やしておいで。』この4年間水を被ることはあっても身体を洗う機会なんてなかった。それなのに彼はそのことを一切言わなかった。彼の優しさを噛み締めながら、リンシャと呼ばれた女騎士に連れられて浴場に向かう。浴場に入る前にリンシャが切り傷だらけの足に白いクリームを塗ってくれた。すると驚いたことに水に濡れても染みずに痛みも感じなかった。それでもやはり彼と離れていると怖くなってきた。石鹸で思いっきり頭を洗って身体をこすり、浴槽に飛び込んだ。リンシャは慌てふためいているが、私は一刻も早く彼の元に行きたかった。流石にすぐに湯船から飛び出すのは良くないと思い、三十秒を数えて待った。その間にリンシャはバスタオルを用意してくれていたようだ。それを引ったくるようにして包まると、元来た廊下を思い出しながら彼の元に走った。後ろから全力で追いかけてくるリンシャの鈴の音が聞こえたが、それすらも無視して走る。ここだ!半分直感で開いた扉の向こうには、彼と何人かの鎧を着た騎士、そして丸い帽子を被った女の人がいた。彼が驚きながら開いた両腕に飛び込むと、胸の中に安心感が広がった。彼は近くの椅子に座ると、自分を膝の上に乗せた。リンシャから受け取った新しいバスタオルで頭を拭いてくれている。丸い帽子の女の人は服屋のようだった。付き人が引っ張ってきた衣装掛けからいくつかの服を取り出して彼に見せた。その中から彼は私がいいなぁと思ったものを的確に指差していった。ゆっくりと服を着てサンダルを履いていると、彼は服屋に何か話しているようだった。服屋は一礼すると部屋から出ていく。残ったのは彼と私、それに眼鏡の騎士とリンシャ。『おいで。』そういう彼に連れられて、大きくて広い廊下を歩く。二人の騎士も後ろから歩いている。目の前の扉を開けると、そこはテラスのような場所だった。いつの間にかこの大きな都市の中央に座する城まで来ていたようだった。彼に抱えてもらい、眼下の家々を眺める。すると彼はこんな声をかけた。『ルーラ、これが私の庇護都市のひとつ、シュテンディルだ。ようこそ、シュテンディルへ。』
数年の時が流れた。廊下を疾走する私の首にはネックレスがかかっている。三重の円と菱形で造られた彼の、森剣之騎士団・団長の固有意匠。それは私が彼個人の庇護下にあることを示した。腰には一振りの剣がかかっている。私が彼に拾われた時に持っていた青い石の短剣をもとに作られた、長剣にしては短く、短剣にしては長い、護身用の剣だ。固有魔導鋼と呼ばれる、彼が直接魔力を流し込んで生成した金属を柄と刃に使っている。鍔は希少金属のひとつ、真銀だ。鍔の一方は雪の結晶のようなデザイン、もう一方は尖った刃のようになっており、防御と同時に攻撃に転じることができる。軽快な音を立てるサンダルを履く足にもう傷はない。その顔は笑顔を湛えていた。『ルーラ!待ちなさい!』そう大声で怒鳴りながら追いかけてくるのは眼鏡の魔導騎士、アイガスだ。激務の団長に代わって私の身を守る役についている。『やだー!』そう返事をしながら走って向かう先は騎士団の訓練施設。毎日何百という騎士が訓練に明け暮れている。私の最近の楽しみは、その訓練をする騎士を見て戦闘技術を習得することだ。いつかはこの腰の剣を携えて戦う騎士になりたいと思っている。訓練施設では今日も訓練が行われていた。中心にいるのは長髪の片刃長剣の騎士と体格のいい鎚が武器の騎士。それにリンシャも来ているようだった。しばらくして打ち込み稽古が始まる。木剣を持った三人に、騎士が三つの集団に分かれてそれぞれ打ち込んでいく。騎士たちが持つのは普通の金属剣だが、三人は木剣でそれを余裕で受け止め、打ち返していく。すごい。木剣を持つ三人は予想通り魔導騎士と呼ばれる人たちだ。長髪の騎士は切ったところが割れていく魔導。鎚の騎士は打ったところを内側から破壊する魔導。リンシャは音を操るようだ。そんな力を持ってはいるが、今行われている訓練では魔導を使わずにいるようだ。三人と他の騎士の間には隔絶した戦力差がある。後ろから足音がして振り向くと、アイガスが瓶に入った飲み物を持って近づいてくるところだった。受け取ってそれを口に含みながらアイガスに聞く。『アイガスはさ、あの訓練に参加しないの?』アイガスは笑って答えた。『私は剣を使わない戦い方をするので、騎士の人たちに剣を教えることができないんですよ。ま、実践訓練の時は参加しますけどね。』実践訓練。私は数ヶ月前に一度だけそれを見たことがあった。彼も参加していたその訓練は苛烈を極めた。みんなが血を流していたはずだ。聞いた話では全治二週間の大怪我を負った騎士もいたらしい。その形式は今やっているものと同じ多対一の打ち込み式。ただし、双方が実剣で魔導の使用もあり。そしてその、一の方が彼なのだが…その様子は訓練というより蹂躙と言った方が正しい有様だった。彼は中央に立っているだけ。その周りを三本の剣が飛び回って周囲の騎士たちを斬っていく。半数ほどの騎士は打ち合うまでもなく倒れていく。残った半分は一度剣が触れ合うがそれでも斬られる。飛び回る剣とまともに打ち合えるのはほんの一握りだった。流石に魔導騎士はしっかりとした戦いになっていたが、それでも彼の操る剣一本と、だ。そんな剣三本を自在に操る彼の底知れぬ強さを肌身で感じた瞬間だった。彼は中庭でひとりで訓練をしている時もあった。それを見れるのは彼と一緒に寝泊まりしている自分の特権だろう。そこで彼は何十という剣を操っていた。あの実践訓練が遊びだとも感じるほどに鋭くまるで意志を持ったように動き回る数多の剣に圧倒された。私も強くなりたいと、アイガスに頼んで私専用の木剣を作ってもらった。内部に金属が入っていて、今持っている護身用の剣より少し重い剣だ。これも私の要望で、重い剣を自在に操ることができれば、それより軽い実剣はもっと扱いやすいだろうという願いで作られている。私は彼が仕事でいない時を見計らって中庭で剣を振り続けた。アイガスに見守られながら、リンシャに助言をもらいながら、私は剣を振り続けた。その年で剣を振るのはと、リンシャに止められかけたことはあったが、アイガスは『彼みたいになりたいと思うのは良いと思いますよ。私もそうでしたから。』と言って応援してくれた。私が目指したのは彼が操る剣の動き。空中を自在に翔ぶあの剣を再現することができればこの剣に追いつける騎士はいないと感じたからだ。遠心力と、打ち合った衝撃、そして体幹を軸に回転しながら剣戟を繰り出す。初めは目が回り、よろけ続けていたが、数ヶ月の時を経て、自分の思い通りに静と動をコントロールできるようになった。だがこれではただ回転しているだけだ。相手に合わせて避けたり受け止めたりしながら攻撃できるようにならねばいけない。