訪れた平穏 1
『海のアネモネ』のテーブルの上にずらりと料理が並べられている。店員が腕をふるった料理ではない。とある事情で休業中の料理人を招いて作られた料理だった。
「こりゃ美味そうだな」
「ありがとうございます、久しぶりに仕事らしい仕事ですから……」
ニックの賛辞に答えた料理人は、ゴーウェンという名の優男だ。レオンとの戦いで派手に壊れてしまったカジノに勤務しており、賭けに熱中する客がつまむ軽食を作るのが主な仕事だったが、カジノが休業中のために暇を持て余していた。レッドがカジノの被害額を調べている内に懇意となり、パーティー料理を作るという臨時の仕事を依頼された、という流れだった。
「こういう料理の配色とか盛り付けってセンスが出るのよねぇ……。カービングで野菜とか果物に絵を彫り込むとか絵を描いたりするなら得意な子がいるんだけど」
「そりゃオシャレだな」
「入れ墨職人の息子だったの。今度紹介するわ」
「そ、そうか」
「でもこういう華やかさとはちょっと違うのよね。はぁ、ウチで働いてくれないかしら」
レッドが羨ましそうに呟く。
メインのテーブルにはグラスに盛られた魚介のムース、迷宮野菜のカクテルサラダ、八角猪のスペアリブの香草焼き、焼き牡蠣、鯛のアラと天使茸、弁天もち麦のパエリアなどなどの各種料理が、普段よりはややお上品な雰囲気で盛り付けられている。
そして隣の小さなテーブルには切り分けられたクリームチーズのパイや果物の盛り合わせ、そしてキズナが以前舌鼓を打ったアイスなどが並べられていた。
「よーし、それじゃみんな、グラスは行き渡ったか?」
ニックは音頭を取りながら周囲を見回す。ニックを除いた【サバイバー】の四人はソファーに並んで座っている。すっかりこの酒場に居着いたエイダとレイナは楽しそうだ。なし崩し的に店に呼ばれた双剣のスコットも我が物顔で寛いでいる。カウンターや空いた椅子にはレッドや店の女たちが話に花を咲かせていた。
そして最後に、重要な人物が店の中にいた。
「いやあ、タダ酒は幾つになっても良いものですねぇ」
オリヴィアがへらへら笑いながら酌をしてもらっていた。
「おい」
「はい」
「お前なぁ……今までどこに雲隠れしてたんだよ。大変だったんだぞ」
「いやいや、真面目に働いてましたよ!? 古い知り合いに根回ししてあなたたちが疑われたり捕まったりしないように頑張ったんですからぁ!」
「本当かよ」
「まあその流れで、白仮面をばっちり倒したのは私で、あなた方が補助してくれたみたいな感じにはなっちゃいましたが……。キズナさんのこと諸々話すわけにもいかなそうですし。ね?」
てへ、とオリヴィアが可愛い子ぶった仕草をするが、返ってきたのは凍てつくような五人の冷たい視線だった。
「あー、わかってます、わかってますって。説明してなかったことも色々ありますし、後でちゃんと時間取りますから」
悪びれる様子のないオリヴィアに、ニックは露骨なまでに呆れた顔で溜め息をついた。
「あー、面倒くせえ……。なんかどうでも良くなってきたな」
「ちょちょ、ちょっとぉ! それはないでしょお!?」
「んじゃ後で真面目に話せよ。とりあえずここは労いの場だ。色々あったとは思うが……」
ニックがそこで言葉を止めた。
実際に色んなことがあった。
建設放棄区域を巡る様々な事件。誘拐された子供達。死んでしまった子供。病気を振りまきつつ治療を施し、様々な矛盾をはらんだまま死んだナルガーヴァのこと。一瞬、こうして宴を開いて良いのかという気持ちがよぎる。
「色々あった、だから騒ぐのさ。それで良いだろ」
まるでニックの迷いを見透かしたようにエイダが告げた。
「エイダ……」
「先生と呼びな」
「卒業したよあんたの修行は。だいたいオリヴィアのことも黙ってたな?」
「そいつは仕方ないだろう。あいつが悪い」
エイダの視線の先には、けらけらと笑いながら酒を飲み交わすオリヴィアが居た。
「ったく、もう始めてんじゃねえか。かんぱーい。後は好き勝手やってくれ。以上!」
ニックのおざなりな声に、全員が高々と杯を掲げた。
やいのやいの言いながら宴が始まった。
「ったく、頭が痛くなるぜ。やることが多いのに」
「なんだい、冒険者ならもっと大雑把に生きりゃいいじゃないか」
エイダが再びニックに茶々を入れてくる。
だがニックは面倒くさそうに首を横に振った。
「大雑把じゃねえ奴だっているんだよ。なあカラン?」
「そうだゾ。こういう細かくてうるさいやつがいると便利なんダ」
カランはニックに呼び止められ、嬉しそうに近寄ってニックに同意した。
「そういうこった」
「あんたよくそこで自慢げになれるねぇ。まあ言わんとすることはわかるけどさ」
ふふんと笑うニックを見てエイダは露骨に呆れた。
「それよりニック。これ美味いゾ。焼き牡蠣」
「なんだなんだ」
カランから受け取った牡蠣は小粒で、一口で食べられそうなサイズだ。
ニックは魚介類はさほど嫌いではない。幼少期はいろんなところに旅をしていたために舌もなれている。
「あ、辛いゾ」
「ん……? んん!?」
一口目はまろやかでクリーミーな口当たりだったが、その後からやってきた辛味が中々刺激的だ。旨味と辛味が口の中で溶け合い、体を熱くさせるかのようだ。
「飲み物あるか」
「ン」
ニックが言うのとほぼ同時に酒を指しだしてきた。
冷やされた白の葡萄酒だ。すっきりとした味わいが喉を潤していく。
「こりゃあ癖になるな……舌が贅沢になりそうだ」
牡蠣はそれなりに値が張る。もう少し生命力が強く大味な生き物の方が輸送が簡単であり、牡蠣のような繊細な食べ物については魔術師による冷凍が必要だからだ。
「そんなでもないゾ。なんか大漁だったって」
「へぇ……。祭りの前だし幸先が良いな」
「祭り?」
カランが不思議そうに尋ね返した。
「ああ、そういやカランは……っつーかみんなまだここに来て一年経ってないのか。夏場は魔物の動きが少し落ち着くんだよ。夏眠とか言われてる」
「ああ、それは知ってル」
「だから大騒ぎするのにうってつけなわけだ。粘水関の近くの川で花火もやるし、色んな出店とかも街中に出るから面白いぞ」
「行きたイ!」
「おう、行っとけ行っとけ。つーか魔物の動きが静かになるから冒険者稼業も休みにせざるを得なかったりするんだよな……」
昔はパーティーの金欠に頭を悩ませて仕事ができない日々を嘆いたものだが、今年のニックは違った。大仕事を終えたばかりでパーティーとしても個人としても懐が温かい。遊ぶには最高のシーズンだ。
「あら、その前に色々と仕事があるんじゃないの?」
「まあ、そりゃな……」
「そろそろレオンちゃんの裁判も始まるしね。賠償金の計算もそろそろ概算で出てくるから、その分きっちり搾り取らなきゃ」
「し、搾り取るって……」
「そうしなきゃ被害者にお金が回ってこないのよ。カジノもそうだし、通りがかって怪我した人もそうだし。だからレオンちゃんが隠し持ってた魔道具とか美術品とかを売って賠償金に当て込むの。ま、裁判が終わってからの話だけどね」
「そんなに溜め込んでんのかあいつ」
ニックの言葉に、レッドがにやりと口を歪めた。
「あの子、発掘に関する腕は本物ね。なかなか垂涎のコレクションよ」
「……そうか」
皮肉な話だ、とニックは思う。
「幸いあの子も売ることには同意してるからね。祭りに合わせてオークションでも開いたらどうだって自分から提案してきたし」
「あいつもまっとうに働いてりゃ今頃、名のある冒険者なり商人なりなれただろうにな……」
「そういう人間をまっとうな道に戻してあげるのも私の仕事なの。ま、その前に支払うべきものはちゃんと支払ってもらうけれどね」
レッドはそう言って笑った。
普段の蠱惑的な笑みではない。仕事に情熱を捧げる凛とした笑みだ。
この二つの顔を持つ男、あるいは女は、そうそういないだろう。
この酒場に嵌まる客がいる理由もニックはなんとなくわかってしまった。
「おう、頑張ってくれ。今度またレオンに面会に行かなきゃいけないし、差し入れでもしておく」
「あら、何か用でもあるの?」
「まだいろいろと約束があってな」
「ふぅん……。一応聞くけど、裁判に関わる話じゃないわよね?」
「多分関わらないとは思うが、後でちゃんと説明するよ」
「なら良いわ。ともかく仕事の話はこれくらいにしましょ。ほら、あっちも盛り上がってるわよ」
レッドが指し示す方向を見ると、そこではティアーナとキズナが店員たちを捕まえてカード賭博を始めていた。素晴らしい役が出たのか、テーブルに摘まれたチップをもぎ取っている。対面に座っている女はヤケになったのか、悪態をつきながら酒を呷り始めた。
「次あたしよあたし!」
「イカサマやってんじゃないでしょうね?」
「やるわきゃないでしょ! 実力よ実力!」
「ふふふ、その通り。頭脳があってこそなせる技じゃぞ」
はぁ、とニックが溜め息を吐きながらティアーナとキズナの方へ向かった。
「お前らなぁ、パーティーだってのに何やってんだよ」
「え、いや、あたしは挑まれたからやってるのよ! 何も知らない素人をカモにしてるとかじゃないわよ!」
ティアーナが慌てて首を横に振る。
が、ニックは何かしていることを見抜いていた。その隣にいるキズナをじろりと見る。
「いや、その……場に出たカードを覚えて確率を教えてるだけじゃぞ? イカサマではないわ」
キズナが口笛でも吹きそうな顔でニックに弁明する。
呆れたニックが溜め息をつき、キズナをひょいと担いで席から無理矢理外させた。
「こ、これ、何をするのじゃ!」
「カウンティングはダメだろ。そうじゃなくて、普通に楽しもうぜ」
「金銭ではなく誰が酒を飲むかで賭けておるから倫理機能に引っかからないんじゃよ! たまにはこういう遊びもしたいのじゃ!」
「そうよそうよ、みんな割と好き勝手やってるし」
ニックが周囲を見れば、確かにティアーナの言う通りみんな好き勝手にどんちゃん騒ぎに興じている。ニック自身あまりこういう場は得意ではないが、今まで静かにしていた鬱憤もあるのだろうと思い、溜め息をつくだけに留めた。
「ニックさん、アフターに抜け出すのはまだ駄目ですよ」
「しねえよ!?」
そんなアンニュイな気配を悟ったのか、ゼムがニックに声を掛けてきた。
「おや、そうでしたか。誰か連れ出したい子がいるなら手伝いますが……」
「良いからお前も楽しめ」
「ええ、そうします。ニックさんも」
ゼムがそう言いながら、店の女たちの輪に入っていく。
ニックも、好きに楽しむことにした。まずは食い気を満足させようと再びカランのところへ行き、おすすめの料理をつまむ。未だにあれこれ騒いでいるキズナの口にデザートを突っ込み大人しくさせ、どっしりと腰を落ち着けて宴を楽しみ始めた。
こうして夜が更けていき、本当に仕事が終わったことを【サバイバー】の全員が実感していた。




