事件の顛末
これで三章はおしまいです。お付き合い頂きありがとうございました。
四章はもうちょっとユルい方向かも。
廃工場の夜の後も、子供達を救出した後も、目まぐるしい忙しさだった。
突拍子もない事件だ。あらぬ疑いを招きかねない。最悪ニックたちが、「篤志家の医師ナルガーヴァを殺した犯人」と扱われる可能性さえあった。白仮面がナルガーヴァを殺したという話も、肝心の白仮面自身が自爆して今や跡形もない。それを証言できるのはオリヴィアやスコットと言った暫定的な仲間ばかり。そもそもオカルト雑誌で扱われる存在の名前を挙げたらますます疑われる。
……というようなことを、ニックたちが『海のアネモネ』に戻った瞬間にレッドに怒濤の勢いで助言された。そしてニックたちによる証拠確保のための弾丸周回が開始された。冒険者ギルド『マンハント』の職員たちに改めて状況説明をして、建設放棄区域の診療室や子供を監禁していた家屋を漁り、物証を集め、整理し、再び冒険者ギルドに説明に赴き、そこからナルガーヴァと戦った場所の検分を行い……気付けば一週間が経っていた。
「ね、眠い……」
「寝るな!」
ニックの瞼が閉じられようとした瞬間、『マンハント』の受付の鹿人の女が机を叩きながら怒号を張り上げた。
ここは冒険者ギルド『マンハント』の会議室だ。冒険者たちが集う広間は酒場と見紛うほどの荒々しい気配に満ちていたが、受付の奥の会議室はうってかわって静かで、そしてどこか神経質な気配が漂っている。ギルド内の医務室とはまた違った静けさだ。清潔で整頓されていて、そして職員たちの目も鋭い。
「頼むぜ……オレもそろそろ休みたいんだが……」
「さすがに僕も限界ですね……」
目にくまのできたニックとゼムが力なく呟く。
だが受付の女は一顧だにせず睨んだ。
「あんたはリーダーでしょ。それとそこの神官もナルガーヴァと一番顔をつきあわせてる。明日の朝には太陽騎士団にもってかなきゃいけない書類を作ってるんだ、徹夜で付き合ってもらうよ。きっちりやらなきゃあんたらへの報酬だって受け取れるかどうか怪しくなっちまうんだからね!」
高額賞金首の報酬を支払う際には必ず、太陽騎士団の許可が必要になる。ことのあらましを説明して賞金稼ぎの働きが適正であったかのチェックを潜り抜けなければならない。特に工場が丸々一棟潰れてしまったために、厳しいチェックが予想されていた。
「先週より忙しいなこりゃ……。他の連中が羨ましくなってきた」
ニックがため息をつく。
残る三人のメンバーは怪我を理由に呼び出しから免れていた。実際怪我も完治してなかったしキズナがあれこれと詮索されることは面倒事に繋がりかねない。ここにニックとゼムが生け贄の羊となったわけだった。
「大体、これでもずいぶん楽な方だと思うよ……あのナルガーヴァがこまめに日記や記録を書き残していたからね。普通はこんなにスムーズに行きやしないさ」
ナルガーヴァはまるで、自分が死ぬことを予期していたかのように様々なものを残していた。どういう経緯で王都を追放され、迷宮都市に辿り着き、そして何を得て何をしたのか。これのおかげで、ステッピングマンとしてのナルガーヴァが誰を誘拐して今その子らがどうしているのかも解明することができた。白仮面の正体までは突き止めることができなかったが、それでも十分に事件の全容を掴むことができた。ほとんどゼムとティアーナの推測は一致していたと言って良い。
「しかし……あんたらもよくよく建設放棄区域に縁があるもんだね。あのへんの連中は納得してたのかい?」
「賞金首にはあそこの住民も手出ししないのがルールだろ」
「ルールを律儀に守れる連中ばかりのはずがないじゃないのさ」
「そりゃそうだが、まあ……」
「彼は書類だけではなく、遺言を残していました。おかげでスムーズに行きましたね」
ゼムがニックの代わりに答えた。ナルガーヴァが残したのは書類だけではなかった。患者の一人、信用できそうな人間に、もし自分が帰らなかったときの始末を考えていた。これまで書き残した文書を信用できる人間に引き渡すことと、誘拐した子供を開放することなど。もっとも、子供の居所は先にニックが突き止めていたために手間は省けていたが。
「子供らはどうしました?」
「流石に一週間もこんなところに居させらんないさ。白仮面とかいう奴に仲間がいた気配もないし、みんな親に引き渡したよ。これ以上は子守なんて勘弁だね」
「……ナルガーヴァさんは面倒見は良かったようですね」
誘拐された子供らは全員元気だった。ナルガーヴァは子供たちを軟禁していたが、ゼムが確かめた限り、病気を感染させられた……という様子はなかった。食事と寝床、更には時間を潰すための娯楽も与えられており、暴力を振るわれた形跡もない。一定の信用は得ていたようだ。
「最初に死んだ子は確かに黄鬼病だったんだが……」
「だが?」
受付の女の声は、妙に歯切れが悪かった。
「元々手癖が悪くて、スリの腕が上手い子だったらしい。脱走するためにナルガーヴァの懐から小瓶を奪った。それは黄鬼病の患者の血を保管してたものらしくて、うっかりその子は割っちまって病気になったんだそうだ」
え、という驚きの声がニックとゼムの口から漏れた。
「ナルガーヴァが感染させたわけじゃないのか? あいつ、自分の口でそれを匂わせることを話してたぞ?」
「……まあ、子供の証言だから今ひとつ信用できるかはわかんないさ。それにナルガーヴァの文書には子供を使って実験する計画が確かに書いてあった。ただし計画は未遂に終わった」
「……攫われた子供のほとんどは元気で、死んだ子供も事故のようなものだった」
ニックが状況を整理しようとあえて言葉に出しながら確認した。
そして、そこから現れる推測をゼムが口にした。
「やろうとしたが、怯えて止めた……?」
「かもしれない。あるいは他に何か計画に問題があったのかもしれない。文書はしっかりと残してる癖に、行動が微妙に一致してないのよね」
「矛盾ですね」
ゼムは溜め息をつくしかなかった。
実際、ニックもゼムもナルガーヴァに対して矛盾を感じていた。
枯れきった人間のような印象もあるし、人情味を感じる部分もある。
酷薄にも見えたが、慈悲深い一面もあった。
「ここのギルドの厄介になる賞金首ってのは理路整然としてるってことはないんだよね。嘘はつくし、二度とやらないって反省して出ていって何度もここの牢屋にブチこまれるアホも珍しくない……でもこのナルガーヴァ医師ってのはとびきり矛盾してるね。頭がこんがらがってくるよ」
「同感です」
「同感してる場合じゃないんだよ。書類を作って太陽騎士団のお偉方に見せなきゃいけないんだから、納得してくれなかったら根掘り葉掘り聞かれるし最悪ウチのお偉方とやりあってもらうしかない。ああ面倒だ面倒だ……。とにかく説得力のある文章に仕立て上げなきゃ文句が来ちまう」
「つっても、本人の書いた日記や手記があるんだからそれを信じるしかねえだろう」
ニックの言葉に、女は自嘲的な笑みを浮かべた。
「他の連中や騎士団の連中はともかく、あたしは人間の言葉なんて信じない。声に出した言葉も紙に書いた言葉も嘘ばっかりさ」
手は忙しなくペンを動かしながら、女は言葉を吐き捨てる。
「ギルドも騎士団も、紙に書いた約束なんて『状況が変わった』だの『法律が変わった』だの、反故にされちまうことだって日常茶飯事だ。賞金首なら尚更さ。息を吸うように嘘をつく連中ばっかりだ。だからあたしは、言葉じゃなくて行動しか信じない。それだけは嘘をつけないからね。だから」
「だから?」
「あんたら賞金稼ぎはステッピングマンを探してナルガーヴァに行き着き、四人の子供らを助けた。それが結果だ。嘘つきの言葉に悩むよりは自分が何をやってきたかを積み重ねていきな。それがなによりも雄弁なのさ」
吐き捨てるような口調でありながら、実際の中身はニックたちへの賛辞だった。
ニックは困惑しながら尋ねた。
「……それ、怒りながら言うことか?」
「言うさ。雑多な情報が多すぎて文章がまとまらないんだよ。あいつが何をしたかって行動と、何が起きたかって事実で考えないといつまで経っても終わんないんだ。要点を絞らなきゃ困る」
「無駄なおしゃべりは控えましょうってか、わかったわかった」
おしゃべりを始めたのはそっちじゃないか、という非難を飲み込みながらニックは言った。
「それに……あのナルガーヴァが何を考えてどうしようとしたのか、仮に生きてたって本当のことなんざ言いやしないさ。賞金稼ぎの分際でこうだったかもしれない、みたいなことに頭を悩ますのはやめとくんだね。悩みたいなら尚更神官にでも戻るが良いさ」
その言葉に、ゼムは妙に感動したような顔をしていた。
「あなたの方が神官の才能があるのではないですか?」
「いやだね。ここだって面倒な仕事は多いが神官ほどじゃない。お断りさ」
「僕も同感ですね。冒険者や賞金稼ぎの方がまだ良い。気楽に酒も飲めますしね」
「そうしな。賞金稼ぎを長くやるコツは気楽にやることだよ」
「とはいえ、そう気楽ではいられないんですよね。彼がやり残した仕事を引き継ぐことになりましたので」
「やり残した仕事?」
受付の女の目が光るが、ゼムは何でもなさそうに首を横に振った。
「彼が建設放棄区域で医師をしていた件ですよ。こういうことになってしまったわけですから、治療が中途半端になった患者だけは受け持とうと思います。その約束であそこの人に証拠集めに協力してもらったので」
「放っておけば良いんじゃないの。金になる仕事とも思えないし。半端に優しくするのが良いとは思わないけどねぇ……」
呆れた顔の受付の女に、ゼムは意味深に微笑んだ。
「大丈夫ですよ。考えはありますので」
「ふうん……ま、好きにすれば良いさ。ともかく、もう少し書類作成に使ってもらうよ……ちょっとあんた!」
受付の女の叱責がニックに飛んだ。
ゼムが話しているうちにうつらうつらしていたようだ。
「この書類さえちゃんと作っちまえば賞金の支払いだって首尾良く行くんだ。もうちょっと頑張りな」
「お、おう……」
ニックたちが冒険者ギルドから解放されたのは、太陽が空を明るく染め始める頃だった。
◆
もう太陽が昇りつつある時間に、ようやく二人は解放された。
どこかで朝餉の支度をしているのだろう、通りにパンを焼く香りがニックの鼻孔をくすぐり、思わずぐうと腹を鳴らした。
「眠いし腹は減るし、散々だったな……」
「ま、これでようやくお役御免というところです。お疲れ様でした」
ゼムが優しげな微笑みを浮かべる。
ひどく消耗しながらもそんな顔を浮かべられるゼムを、ニックは密かに尊敬していた。
「ニックさん」
「なんだ?」
「僕は……ここに来て良かったと思います」
「まあ……来なけりゃ報酬がどうなってたかもわかんねえし、変な疑いされてたかもしれねえしなぁ。一人じゃなくて助かった。道連れが居るってのは良いもんだ」
「そうではありませんよ」
「うん?」
ゼムがくすくすと笑う。
寝不足に疲労困憊のニックには、その理由がわからなかった。
「さっき神官より冒険者は気楽だ、というのは半分ほど嘘です。ある意味では負うべき義務も少ないし、楽をしようと思えば幾らでも楽ができる。しかし……僕らのような立場だから見ることができるものがある。助けられる人が居る。それは尊いことだと思うんですが、同時に辛いことでもある。見なくても良い人間の汚さを見なければならないのですから」
「……賞金稼ぎは特にな。オレの古巣のリーダーもそれが嫌で賞金稼ぎには首を突っ込まなかった」
「わかりますよ、その気持ちは。ですが知ることができて良かったと思っています。むしろ、そういうものを知らずにただ神殿で清廉潔白に生きていたらと……」
「どうなってた?」
「ただのいけすかない美丈夫でしたね」
そのとぼけた答えにニックは真顔になり、そして数秒後に笑いの波が来た。
「ぶはっ……なんだよ、ただの美丈夫って! 自分で言うかソレ!?」
「ええ、言いますとも。皮を剥がれでもしない限り、この先も付き合っていかなければならないものですからね」
「なかなか頼りになる相棒だな。ま、面倒事も引き寄せそうだが」
「そのときは助けてくださいよ」
「調子の良い奴だな」
「そのかわり、僕も微力ながらお力になりましょう」
そして二人は、げらげらと笑いながら仲間たちの待つ『海のアネモネ』へと目指した。
朝の太陽の光はあっという間に空を青く染め上げていく。
夏の気配が近付いていた。




