燃えゆく廃工場
「「速度を上げていこうか。上手く避けろよ」」
そこからニック/ゼムは、まるで鏡が光を反射するかのような軌跡を描きながら白仮面を翻弄した。オリヴィアのような技巧を極めた動きとは対照的で、あまりにも無茶苦茶な動作だ。
「がっ、き、きさ……ま……!」
白仮面の剣が空振りし、そのがら空きになった胸元にニック/ゼムの拳が叩き込まれた。かと思うと、斜め上にニック/ゼムが逃げたり、急加速して回り込み白仮面の背中を襲ったりと、変幻自在の攻撃を重ねていく。先程とは逆に、白仮面の方が満身創痍となる番だった。
「「さて、これ以上手がないのであればそろそろ終わりにするが?」」
「舐めるなよ小僧ども……! 《魔術索敵》!」
白仮面が魔術を唱えつつ、あらぬ方向に手を伸ばす。
「そこか……《誘導炎球》!」
そして、手の平から球形の炎が十発ほど放たれた。炎はゆっくりと浮遊したかと思うと、それは突然速度を上げてすべてばらばらの方角へ飛んで行く。
「「あ、やべ」」
すると突然、何も無いはずの空間に火球が衝突し小さな爆発を起こした。
「やはり……周囲に思念鎧装のようなものを展開していたな。それを足場にして移動し、浮遊しているかのように見せかけていたわけだ」
「「……よくわかったな。付け加えるなら、踏むと同時にオレの体に反動を与えるような仕掛けも施してた。ま、簡単なトリックさ」」
「それを制御しているのは……あの剣だな!」
白仮面が空中に浮遊している絆の剣を睨み、剣を振りかぶって跳躍した。
「「しまった……! なんてな」」
ニック/ゼムが不敵に微笑む。
『ふん、こちらを狙うことなど見え透いておるわ!』
キズナが笑うと同時に、その場でくるくると回転を始めた。
それはすぐに視認が難しい速度となり、まるで輝く円盤のような姿となる。
空気を切り裂く凶悪な音が響き渡った。
「しゃあっ!」
そこに、白仮面は恐れることなく斬撃を繰り出した。
剣と剣がぶつかりあった瞬間、目が焼け焦げそうになるほど凄まじい光と熱が放たれた。互いの速度と衝撃が強すぎるために、剣撃の衝突がもはや爆弾の爆発と変わらない。
「「おっと、こっちを忘れちゃ困るぜ」」
剣撃に押されて体勢を崩した白仮面を、ニック/ゼムは見逃さなかった。手足や肘を砲弾の如き勢いで白仮面に打ち付ける。そして白仮面がニック/ゼムの攻撃を避けることに意識を向けた瞬間、絆の剣が放物線を描きながら襲いかかる。三百六十度すべてがニック/ゼムの攻撃範囲だ。白仮面がどんなに強くとも、全てに対応しきることは不可能だった。そしてニック/ゼムの踵が白仮面の脳天を打つと、工場の床を砕きながら白仮面は倒れた。大の字になって床に転がっている。
「「……やったか?」」
静かな廃工場に、ほんの僅かな沈黙が訪れた。
勝利への期待と、こんなもので終わるはずがないという計算が混ざり合う。
そして期待を裏切り計算を証明するように、白仮面の哄笑が鳴り響いた。
「くくく……褒め称えざるをえんな。ここまでの窮地は久方ぶりだ……!」
白仮面がそんな言葉とともにゆらりと立ち上がる。そして、黒い鎧の隙間から赤い光が零れだした。まるで膨大な力が風船の如く膨れ上がっている、そんな印象さえ受ける。
「「キズナ、あれはなんだ……?」」
『……あれが本当に聖衣だとすれば、緊急避難モードが発動したのじゃろう。今までの倍は速くなるぞ。ただ速度が上がるだけではない。脳神経そのものの速度が加速するため、剣の冴え渡りも倍になると考えよ』
「「おいおい……気軽に言ってくれるぜ!」」
「覚悟しろ……もはや出し惜しみなどせぬ!!!」
◆
そこからは、完全な膠着状態に陥った。
雷鳴が轟くような音と輝きが廃工場を染め上げた。もはや壁も床もひび割れ、今にも崩れ落ちそうな有様だ。二人とも結界魔術の範囲を絞り戦場を広げない方針で戦っているために無事で済んでるだけであり、少しでも攻撃の余波が漏れたならば周囲の建物も人間も吹き飛んでいくだろう。
そんな危うい綱渡りのような膠着状態も、やがては終局へと向かう。
「ふふっ……どうだ貴様ら……! 我にここまで拮抗できたこと、誇りに思うが良い!」
ニック/ゼムは押され始めていた。
あまりの圧力に思念鎧装が弾け飛び、絆の剣の光もどこかくすみ始めている。
魔力の底が見え始めていた。
「「オレたちの攻撃をここまで凌ぎきるなど並大抵のことではできねえだろうよ。お前もすげえよ」」
「ふん、若造の賛辞など要るものか。だが貴様らのことは覚えておいてやろう」
「「こっちもそのつもりだ……。じゃあな、白仮面。お前の敗因は、凌ぎきって競り勝つことに集中しすぎたことだ」」
「はっ、今更何を……」
と、白仮面が言いかけた瞬間だった。
唐突に、白仮面の胸甲が、不気味に膨らんだ。
「がはっ……なっ、き、きさ……ま……!?」
「いやはや……即興のコンビネーションにしては上手く行きましたね」
それは、背中から来た圧力が白仮面の体を走り、反対側の胸の部分で爆発した。
白仮面が受けた圧力の正体とは、オリヴィアの渾身の力を込めた掌打だ。撤退した振りをして体力を回復させ、魔力を練り上げ、最後の一発を決めるチャンスを今までずっと窺っていた。
「「このまま座視して殴り合いの勝負で決まる方がスマートだとはわかっていたのですがね。でも魔導具に身を包み、敵を結界に閉じ込め、そちらが自分にひたすら有利な状況を作った中での戦いです。卑怯とは言わせませんよ」」
ニック/ゼムは、ゼムが時折見せる意地の悪い笑みをその口元に浮かべていた。
「詭弁をッ……!」
「行きますよ! ニックさ……ゼムさん?」
「「どちらでも構わねえよ」」
オリヴィアが人体の急所に致命的な打撃を加えていく。
そして駄目押しとばかりに、よろめいた白仮面の顎をニック/ゼムの拳が殴り飛ばした。
仮面は砕け、その破片が床に落ちて軽やかな音を立てた。
◆
「ニック! ゼム!」
赤茶けた空間……白仮面の造り出した結界が消えていくと、ティアーナ達が駆け寄った。
丁度そのとき《合体》も解け、ニックとゼムの二人が床にへたり込んだ。
ふたりとも魔力も体力も使い果たし、息も絶え絶えといった様子だった。
「つ、疲れた……死ぬかと思ったぜ」
「流石に今回ばかりは死を覚悟しましたね……」
「無茶しすぎだゾ」
ニックがカランに手を引かれて、よろよろと立ち上がった。
「悪い……けど、まだ終わっちゃいねえよな」
ニックの視線の先には、死んだようにぴくりとも動かない男が居た。
白い仮面の下にあったのは、黒髪の髭の男だった。
精悍な顔つきだが今は自分の吐いた血に汚れており、もはや虫の息だ。
「魔物か何かかと思ったら人間じゃねえか。つーかまずいな……死んじまうんじゃねえか」
「魔導具や装備を外して治癒を施しましょう。魔術を唱えられないよう猿ぐつわも噛ませ……」
ゼムが動こうとした、そのときだった。
「……え?」
何かが凄まじい速さで、甲高い音を立てながら飛んでいった。
「ぐふっ……」
「ナルガーヴァさん!?」
ほんの小さな穴が、ナルガーヴァの心臓付近を貫いていた。
見れば、白仮面の袖口から奇妙な鉄の筒が伸びていた。
焼入れした後で染めたと思しき、艶のない真っ黒い鉄の筒だ。
魔術師の杖のような宝玉さえはめ込まれていなかった。
「このような小細工に頼らねばならぬとはな。だがこれが我の契約だ」
白仮面の声には使命を全うしたという考えはなく、落胆が満ち満ちていた。
「生きてるぞあいつ! 全員、盾を張って! ゼム……はガス欠か、くそっ……!」
「わかっタ!」
「こっちよ! 《氷盾》!」
奇妙な攻撃を警戒し、ニックが気力を振り絞って指示を飛ばす。カランがすかさず前に出て竜骨剣を盾のように構え、ティアーナはカランに守られつつ広範囲に防御魔術を張った。ゼムが回復魔術を行使しようと近寄るが、魔力を出し切っているためか上手く行かない。このままではまずい。全員に焦燥が募った。
が、白仮面からの追撃はなかった。攻撃の代わりに、男とも女ともつかない奇妙な声がその口から漏れ出てきた。
『英雄魂魄【片岡惣右エ門】の摩滅を確認。廃棄処理を実行します』
同時に、今にも死に絶えそうになった顔がぐつぐつと茹だり、煙となって消えていく。
その煙の奥には、どくろがあった。
全員がこの異様な状況、異様な姿に混乱している。
その混乱の最中、白仮面は立ち上がった。
「な、なんだこいつは……死人……? 魔物……?」
「さて、どうであろうな。自分にもわからぬよ。ともあれ……我が白仮面の番は終わったらしい。さらばだ、強き冒険者たちよ」
懊悩に満ちた声が、どくろの口から迸った。
だがその感情豊かさとは裏腹に、そこからの動作はあまりにも無機質だった。
昆虫的であるとさえ言えた。
戦っていたときの、頭の天辺からつま先にまで満ちている流麗な所作がまるで見えない。
『機密保持のために自爆を実行します』
白仮面が鎧の胸元を開く。
するとそこには白い宝玉があった。
白仮面がそれを指で回すと、宝玉に紅色の禍々しい光が灯る。
「なあ、自爆って……もしかして……」
「その言葉通りに決まっとるじゃろうが! この魔力量では建物ごと吹き飛びかねん!」
キズナがひどく慌てた声を出す。
「マジかよ……!?」
「みんな! こっちよ!」
ティアーナが、横倒しになった洗濯釜を指さし、全員がそこになだれ込もうとする。ニックはゼムと共に倒れたままのナルガーヴァを担ぎ上げてティアーナの居る方向を目指した。
「やめ……ろ……儂は、もう死ぬ……無駄だ……」
「うるせえ、お前にここで死なれちゃ賞金が出るかわかんねえだろうが! 牢にブチ込まれて償ってから死ね!」
ニックはナルガーヴァにがなりたてながら洗濯釜の方へ飛び込む。
ほぼ同時に、凄まじい轟音が響き渡った。