ミナミの聖人VS奇門遁甲
「やっぱり、思念鎧装よね。それにあの剣も、キズナと同じ……」
「オーラブレード型の魔剣だな。色はなんか毒々しいが、あれも間違いなく魔力で作られた刃だ」
「ええ……」
ニックの言葉を肯定するようにティアーナが頷く。
ごくり、と唾を飲み込む音が鳴った気がした。
全員がその異様な騎士の姿に圧倒されていた。
いや、姿ではない。
存在そのものに威圧されている。
「……白仮面か。何の用じゃ」
ナルガーヴァが、謎の騎士に向かって呟いた。
「アフターサービスといったところか。手助けが必要だろう?」
「要らぬ」
「それではこちらが困る、神官殿はまだ仕事の途中だろう? あの汚らしいゴミ溜めには死ぬべき罪人どもが幾らでもいるはずだ。もっともっと、実った麦のように刈り取ってもらわねば、魔導具を貸し与えた甲斐がないというものだ」
「……儂の目的はほぼ達成できておる。人が死ぬかどうかは結果論であって儂としてはどうでも良い。確約もしていない」
「ふむ」
白仮面と呼ばれた男が溜め息を吐く。
だがそれは、感情とはまったく無縁で、無機質なものだった。
呼吸とさえ感じない。
まるで通気口やダクトからの排気にさえ感じる。
「互いの契約内容について改めておさらいしておきたいところだが……これでは落ち着いて話もできんな」
その瞬間、騎士の姿が揺らめいた。
そのとき、カランとティアーナが同時に動いた。
カランの《ファイアブレス》とティアーナの《雷光》が騎士を狙って撃たれる。
「……え?」
だが、その狙った場所に騎士は居なかった。
誰も居ない空間に、魔術だけが飛んでいった。
「ガァアアーッ!?」
「ぐうっ……!」
そして、カランとティアーナのくぐもった悲鳴が、ニックの後ろから響いた。
「反応は悪くない。定命の存在にしては上々だ」
振り向けばそこには、剣を構えたまま吹き飛ばされたカランと、その後ろでカランの体に潰されているティアーナがいた。ほんの僅かな一瞬、カランが、ティアーナをかばったのだ。
「確か生還者とか言ったな? 名前の通りしぶとい。奴が竜王宝珠を手に入れるのに時間を掛けたわけだ」
「な、なに……!?」
ニックは、動けなかった。
一歩でも迂闊に動けばやられる。
あれに比べればアマルガムゴーレムなど赤子に等しい。『進化の剣』を手にしたレオンよりも上だろう。恐らく、師匠のアルガスよりも格上かもしれない。
カランは竜骨剣を盾にしたおかげでティアーナ共々かろうじて生きているが、自分が直撃すればまず死ぬ。ならばどうする。考えろ。全員を逃がす方法は。
「して……貴様がリーダーだな」
俺は、ここで、死ぬ。
目が合った瞬間、強くそれを感じた。
景色が遅くなった。
意識が集中している。
「ゼム! カランとティアーナを……」
叫びながら《軽身》を全力で自分に掛けた。
羽毛になれ。
流水になれ。
嵐の中で軋むことも割れることもない、柔軟さの極地を手に入れろ。
「……ほう」
白仮面の一閃が、見えた。
気付けば目の前にいる騎士が剣を振り下ろしている。
その刃の下を、ニックはかいくぐっていた。
きっとそう来るだろう、という予測の元の行動だ。
目で追いかけてなどいない。
遥かに格上の速度に対抗するには、博打を打つしかなかった。
偶然と幸運による一瞬がニックにもたらされた。
そして《軽身》の魔術を解く。
「《重身》!」
そして騎士の腕を掴んだ瞬間、先程とは相反する魔術を唱える。
みしりと建物が軋むのも構わず床を踏みしめ、膝、腰、そして全身に力を行き渡らせて騎士を投げ飛ばした。
「……しゃあ!」
投げ飛ばした先には、業務用の大きな洗濯槽があった。
鈍く重い音を立てて騎士が激突する。
ニックにとって、今現在の自分に出せる最高の一撃だった。
やり遂げたという震えを抑えて、声を張り上げる。
「逃げるぞ……おまえら……!」
「ふむ。面白いぞ。ナルガーヴァと似たような真似ができるわけか」
だが、それもまた油断に他ならなかった。
騎士を本気にさせてしまった。
確保できた時間は五秒か、十秒か。
視界の隅で、ゼムがカラン達の元へ辿り着いた。
一心不乱に逃げに徹すれば、あるいは、大丈夫なはずだ。
「褒美に、痛み無くあの世へ送ってやろう」
奇妙な速さだ。
ただ剣を振り下ろすのが速いとか、踏み込みが速いとか、そういうレベルではない。全ての反応が速い。この男と相対するために必要な集中力を、自分では持続させることができない。ならば。
「ほう、諦めたか」
再び死線をくぐるしかない。
それも、先程のような回避を目論むのではない。
食らうこと……もっと言えば、死ぬことを前提としたカウンターだ。
両腕をだらりと下げ、脱力し、自分の首に剣撃が振り下ろされる瞬間だけを捉える。
自分の攻撃が成功しようが失敗しようが、その結果を見ることができないのが心残りだ。
「カラン、お前のやりたいこと、何だったんだ?」
ぽつりと呟きが漏れた。
まあ良い、とニックは妙に爽やかになった頭で考えを切り替える。
「その意気や良し」
黒い刀身が異様な輝きを放ち始める。
ここまでかーーそう、ニックが思った瞬間、
「ちぇりゃああああああッ!!」
謎の怪鳥のごとき雄叫びと共に、女の踵が騎士の後頭部を直撃していた。
「ぐはっ……!?」
「な、なんだ……って、お前……」
「私が誰かはさておき、体勢を立て直してください!」
フードを被り、ゆらりとした袖の服を着た謎の女性がそこに立っていた。
黒い騎士に怯みもせず、悠然と構えている。
「オリヴィアじゃねえか!」
「……いや、あの」
「オリヴィア、お前そんなに強かったのかよ! ともかく助かった……!」
「ですから」
「ゼム! オリヴィアが加勢してくれたぞ!」
「誰かはさておきって言ったじゃないですかぁ!」
「え、あ、悪い、隠してるつもりだったのか……」
そんな会話をするうちに、騎士が立ち上がった。
「貴様……何者だ」
「会うのは初めてでしょうかね。噂はかねがね。白仮面さん」
「白仮面……? あれ、そういえばそんな名前……」
どこかで聞いたことのある名前に、ニックは首をひねる。
その疑問にオリヴィアが答えた。
「白仮面。巷では高級貴族や悪徳商人に盗みを働く義賊だなどと噂されています。ですが実際は、盗む相手も手段も選ばず魔道具を強奪し怪しげな儀式を執り行う、魔神崇拝者のエージェントの一人です。時には自分にとって都合の良い犯罪者や闇の住人に武器や施しを与えるので、悪党からは『闇の聖人』、『ミナミの聖人』等と呼ばれていたりしますね」
「ええ、いや、ちょっと話が見えないぞ……?」
だがニックの困惑をよそに、ナルガーヴァが納得したように「なるほど」と呟いた。
「儂を助けて人死にが多く出るよう促したのはそれが目的か。儂に隠れて死体も盗もうとしたのも貴様じゃな……生け贄か何かにするつもりだったのか?」
「お前は知らずとも良いことだ。それとも、何人も殺しておいて義侠心にでも目覚めたか? 笑わせてくれる」
白仮面がせせら笑いながら剣を振りかぶった。
「ぐうっ……重っ……!」
オリヴィアが白仮面の剣を受け止めた。
どうやら袖口に防具らしきものを仕込んでいるらしく、耳障りな金属音が響き渡った。
「何者かは知らんが、速さは十分。膂力はまだまだ」
「でしょうねぇ! ひ弱な女の子ですから!」
オリヴィアがそう言った瞬間、オリヴィアの姿が、視界からぶれた。
「なっ!?」
白仮面以上の速度で、オリヴィアは的確に打撃を与えていく。
相手が踏み込んだ瞬間に膝を蹴り、相手が首を下げた瞬間に顎を肘で打ち、剣を横薙ぎに払おうとした瞬間、空いた脇に正面の突きを三発入れた。思わずバックステップを取った白仮面に、地を這うような低い姿勢で距離を詰めた。白仮面は剣撃を放つ。オリヴィアは風に舞い散る花弁のように柔らかな動きで避ける。そして大振りの一撃を避けた瞬間、正中線の縦のラインに五発、掌底を叩き込んだ。
「きっ……貴様……!」
黒い思念鎧装には、ひびが入っていた。
見ればそのひび割れの中から赤く禍々しい光が零れだしている。
しかしそれは少しずつ輝きが失われていった。
ひびが少しずつ修復されているのだ。
「流石は古代文明の聖衣……ちょっとやそっとじゃ手に負えませんね」
そんな異様な状況の中でニックは、見とれてしまった。
恐らく、オリヴィアは自分やナルガーヴァと同じくステッピングを使用している。だがそれ以外に特別な技術は何も使っていない。全て基礎を極めた先にある動きだったからだ。まるで舞踊のように流れる動きは、格闘を嗜む者が目指す姿だった。
「す、すげえ……!」
「すげえじゃなくて助けてくださいよ! 私じゃ硬すぎてちょっと手に負えないんですから……!」
「って言っても……」
「悠長に話す暇があるとは、余裕だなッ!」
白仮面が叫んだ瞬間、その体から異様なオーラが放たれた。
赤茶色の謎のオーラは球形に広がり、その範囲内の床がひび割れていく。
「《限定迷宮創造:大赤斑》!」
「げふっ……こ、これは……!」
そのオーラは一気に広がり、オリヴィアの体がすっぽりと覆われた。
そして眼鏡がひび割れ、どろりとした血が耳から流れ出た。
「この範囲内では重力、大気圧、温度、さまざまな負荷が上昇する。本来は訓練用環境を作り出す試験的な結界魔術だが……範囲を絞ればこの通り、人を殺すには十分な強さとなる」
「オリヴィア……!」
「こ、これは……めっちゃ苦しいですね……ごめんなさい、くっちゃべってる暇はありませんでした……」
「馬鹿、しゃべるな! くそっ……おいナルガーヴァ! お前、ロープ持ってたよな! 引っ張り出すぞ!」
「いいえ、大丈夫です」
オリヴィアが血まみれの顔のまま、不敵に微笑んだ。
「十分時間は稼いだはずです。そろそろ来るでしょう」
そのオリヴィアの言葉が終わるか終わらないかという瞬間、ニックの眼の前に一本の剣が飛び込んできた。工場の入り口からまるで砲弾のように飛んできたと思えば、ニックの一歩前でぴたりと止まる。
『すまぬ……遅くなった……!』
「本当おせーよ!」
『分身体が一箇所に集まらねば剣に戻れぬのだ! しかたないじゃろ!』
「わかってる! だが助かった!」
『絆の剣』だ。
ニックは、迷わずに剣の柄を握りしめた。
「聞きたいことも言いたいことも幾らでもあるが……ゼム! ぶっつけ本番だが行くぞ!」
「わかってます!」
カラン、ティアーナの治癒をしていたゼムが立ち上がり、ニックの元に駆け寄る。
そして共に叫んだ。
「「《合体》!!」」




