神官/冤罪ロリコン/色街通いのゼム 1
ごめんなさい、髪の色を紺色→栗色に修正します
◆神官/冤罪ロリコン/色街通いのゼム
ロディアーヌの町は、薬の名産地だ。
魔族との戦争中はもっとも前線に近い街だったため、多くの人間が治療薬を欲した。
その治療薬を作るのは、天啓神メドラーを祀るメドラー神殿の神官達だ。
そこに住まう者達は神に祈りを捧げると同時に、メドラー式の回復魔術と薬術を学ぶ。
中級神官のゼムもまた、その神官の一人であった。
「ゼムさま! 薬草摘んできたわ!」
神殿の中のゼムの施術室に、一人の少女が飛び込んできた。
「おや、ミリル。ありがとう。お駄賃ですよ」
「ありがとう!」
ゼムは、喜ぶミリルの頭をなでた。
ミリルはくすぐったそうに身をよじる。
ゼムの身長は高い。
そしてミリルはまだ十三歳で、同い年の子の中でも背が低い。
年齢は十歳程度しか離れていないが、傍から見ればまるで親子のような有様だった。
「他にお手伝いすることはないの?」
「いえ、大丈夫ですよ」
「薬作るんでしょ? 手伝うわ!」
「大丈夫ですよ、ここは僕に任せてください」
ミリルの提案を、ゼムはさらりとかわした。
ミリルはまだ若い。
ゼムがこれから取り掛かる仕事は薬の調合だ。
衛生観念や正確な計量が必要であり、ときには毒となる草花も扱わなければならない。
こんな危険な仕事を子供に手伝わせる気は、ゼムにはなかった。
「ええー、私だってできるよう」
「もう少し計算ができるようになれば教えて差し上げます」
「ちぇっ、いつもそればっかり!」
「大丈夫ですとも。あなたはちゃんとやれば勉強だってできる子ですから」
「そんなに子供扱いしないでよ……ゼム様は勉強が苦手な女ってきらい?」
ゼムは、子供の相手は慣れていた。
神殿は孤児院を兼ねているため、年長の子は年少の面倒を見るという風土があった。ゼムも元々孤児だ。同じ神殿の子らの面倒をたくさん見ているので、少しばかり綺麗に育ったくらいの少女に心動かされることもない。
それに、ゼムはメドラー神の神官として一生を捧げる覚悟を既に決めていた。だから、特定の恋人を作るつもりもなかった。
「僕の好き嫌いとか、僕のためじゃありません。
ミリル、あなたはあなたの人生のために努力するべきです」
「いっつもそればっかり! ゼムの話がわからないわけじゃないわ、でも私は女の子だもの。いつか誰かのところに嫁ぐんだから男の人の仕事にあれこれ口出ししない方が賢いものよ」
「ミリル、それは……」
「私の将来を心配してくれるならさぁ……」
と言ってミリルはゼムの首に手を回し、唇を伸ばす。
だが、
「ミリル」
ゼムの手が、それを押し留めた。
ミリルは、ゼムの硬質な声と表情だけで叱責の気配を感じて怯えた。
「……そ、そんな怖い顔しないでよ」
「はぁ……良いですか、ミリル。私は神官です。誰かと付き合うつもりは無いのです」
「でも結婚してる人だっているじゃない!」
「それはすでに結婚した人が出家したり、神殿を辞めて結婚していたりするのです。神官のまま結婚はできませんし、神官をやめるつもりもありません」
「……じゃあ、好きな人が居ても決まりを守り続けるって言うの?」
「というより、誰かを女性として好きになってはいけないのが神官というものなのです」
「うそつき! そんな人いないわ! みんな裏でこっそり誰かと付き合ってるもの!」
そしてミリルは薬草の入った籠をゼムに投げつけ、足早に去っていった。
「やれやれ……」
年頃の子は気難しいものだ。ゼムは心の中で嘆息する。
ゼムは、女にモテる。
高い背丈。
整った顔立ち。
きめ細やかな栗色の髪。
聞く人に落ち着きをもたらす渋みのある声。
若き神官の理想像を体現したような見た目だった。
仕事ぶりも真面目だ。融通が利かない堅物さと、私財を蓄えず賄賂も固辞する潔癖さゆえに同世代から結婚相手として見られることは少ない。だが結婚を度外視して見る人間……世代の違う年上、あるいはミリルのような年下からは大いにちやほやされていた。
人からの好意を受けることに慣れきったゼムは、そんな自分に向けられる嫉妬や悪意に気付かずにいた。
◆
ミリルは、しょぼくれていた。
ゼムの手伝いとは少女達にとって面倒な労働ではなく、ゼムに褒めてもらえるという特権だった。ミリルはその特権を得るために、考えうる限りの手段を使ってきた。同年代の少女に対してときにはおどし、いじめ、あるいはなだめすかして味方につけ、少女達のグループの中のトップという地位を確立してようやくゼムの側にはべるという権利を得た。そしてその権利を十二分に享受しようとした。ゼムが望むならば唇どころか体さえも許したいとさえ思っていた。
だがゼムは、大人として、神官としての態度を守り続けた。
ただアプローチをかわしただけではない。孤児院を兼ねる神殿の少女たちの社会を知ってか知らずか、ゼムはミリルであろうと誰であろうと一人を特別に優遇しようとはしなかった。
ミリルはそれを、ずるいと思う。
自分を含めたゼムに恋する少女達は、彼との逢瀬を楽しむために泥臭いかけひきや嫉妬に悩まされている。だというのに、ゼムは我関せずとばかりに清らかな姿勢を貫いている。
こんなに頑張っても、頑張っても、振り向いてくれないならば。
「ゼムのこと、嫌いになりそうよ」
ミリルは、同い年の少女達の中でも特に美しかった。
十歳を超える頃には、同じ孤児の男たちにちやほやされた。
ミリルが命じれば誰もが従ってくれた。
大人にも少しばかり媚を売るだけで言うことを聞いてくれる。
ゼム以外は。
自分のものにならない男であり、しかもそれがこの町で一番と言えるほどの美丈夫なのだ。最初はただ興味深いだけだった。だが近づいて話すうちに、純粋に好意を抱いた。話す言葉は優しく、態度は公平で、まさに理想的な大人。
その好意が今、好意で無くなろうとしていた。
ミリルは欲望を持って接するうちに、欲望が絶望へと変わりつつあった。
自分には決してゼムのような人間にはなれないという思いに囚われていた。
むしろわかりやすい欲望を持たないゼムに恐ろしささえ覚え始めた。
だがゼムも男だ。
いつかきっと、欲望に転ぶ日が来る。
私のように、自分のために悪事に走る日が来る。
ミリルはそれを楽しみにしながらゼムを誘惑し続け、邪悪な恋心を育み続けた。
ゼムに合うときは入念に鏡の前に向き合った。
思わせぶりな言葉で翻弄しようとした。
それとなく手を握った。
転んだとみせかけて抱きついた。
だが、それでもゼムは振り向かなかった。
ゼムが堕落するその日が来なければ、ミリルは自分自身のことに気付いてしまう。
自分が小悪魔などではなく、欲望に汚れたただの人間であることに。
「あーあ、つまんない……」
ミリルは、誰にも見られない場所を求めて神殿の裏庭を目指した。
今の自分の顔を誰も見られたくなかった。
神殿の裏庭は、管理する人間がいつも怠けているため誰も居ない。
密談をするにはもってこいの場所だった。
「……マジかよ、あのカタブツ野郎が上級神官に昇進だって?」
「神官長もおかしいぜ。なんであいつばっかり贔屓するんだ。20代で上級神官だなんて聞いたことがねえ」
「せめて、あいつの足を引っ張る話題でもあればな……くそっ」
そこでミリルは偶然、中級神官達が話し合っている場面に出くわしてしまった。
そして彼らがゼムを妬んでいることを悟った。
ミリルがもう少し幼ければ、彼らを蔑んだだろう。
なんてひどい人達なのだろうと。
ミリルがもう少し大人であれば、面倒事には関わるまいと逃げただろう。
他人の嫉妬なんて関わるだけ損だなと。
だがミリルは、子供らしい純粋さを失いつつも子供らしい全能感は失われていない、危うい少女だった。
「ねえ、あなた達」
「だ、誰だ!?」
うろたえる中級神官達を見て、ミリルは心の中で舌なめずりをした。
「その話、もっと詳しく聞かせてもらえる?」