対決ステッピングマン 1
「なんだって?」
ニックがゼムの言葉を聞き、驚きの声を上げた。
「推測に頼る部分も多いのですけれど……まず間違いないかと」
そのゼムの言葉に、ティアーナもキズナも、そして双剣使いのスコットも、重い顔をしたまま黙っている。疑問を差し挟む余地がないが故の沈黙だった。
「ところでニックさんはどうですか?」
「オレも準備はできた。ステッピングマンの対策は十分だ」
ニックが力強く頷く。
「訓練も上手く行ったし、ちょっと面白いことを思いついたんでな」
「思いついた?」
ゼムが尋ねるが、ニックは何も答えず手の中にある四角い鉄のようなものをもてあそんでいる。表面はつや消しが施されており、光沢のない渋みのある質感があった。
「あら、それ《着火》の魔導具じゃない。どうしたの?」
「レッドから借りた」
「あとで返してよね。けっこう高かったんだから」
その鉄には宝玉のようなものがはめ込まれている。ニックがかちりと押し込むと、先端から小さな火が灯った。
《魔色灯》と似たような魔導具で、安くはないが比較的庶民にも利用されているものだ。煙草に火を付けたり料理に使われたりと、用途は実に多い。
「煙草吸うの?」
「それも説明する。それじゃあ……最後の打ち合わせ、始めようじゃねえか」
ニックの言葉に、全員が野心的な気配を漂わせた。
賞金稼ぎ達の、仕事の時間だ。
◆
今宵は月が出ている。
珍しく、三つの月がすべて空に昇っている。安月、勇月、そして真月だ。
真月がもっとも綺麗な真円を描いており、そして優しい黄金色の光を放って夜空を優しく照らしている。
安月は大きいが、詳しく観測すれば芋のようにごつごつした表面が見えるためにさほど人気はない。勇月は小さく、真月や安月よりも見えにくい。それらの不出来さが良いという好事家もいるが、やはり真月の華やかさに魅了される人の方が多い。
そして自分はいつも通り、月から隠れるようにマントについたフードを目深に被った。
便利な魔導具だ。《幻王宝珠》という秘宝を襟元に埋め込んである。魔導具を取引する闇のブローカーから買い付けたものだ。最初は訝しんだが、効果は十二分にあった。気配を絶ち、人相を覚えられないようにするという特性は自分の持っている特技と実によく噛み合う。そして、自分の境遇と照らし合わせても皮肉めいていると感じるほどに馴染む。
今の自分は、何者でも無い。
家族も、立場も、仕事も、全て失われた。今、何かを達成したところで戻ってくるものは少ない。仕事や名誉の復権ならばある程度は戻るだろう。だが、一番欲しいものは、決して手に入らない。毎夜毎夜、目を覚ます度に痛感する。家族が失われた痛みを。
ただ痛みがあるだけだ。
喜びもなく、胸躍るものもなく、それだけが己の体を動かす。
このどうしようもない激情を癒やすためならば、何がどうなろうと構わない。
どうせ、こんなことをしていれば誰かに妨害されたり狙われたりすることなどは、当然わかっていた。だがすでに有り金は全て出し切った。事態を打開するために魔導具を買い増しすることもできない。今更止まることもできない。
だから、こうして都市を睥睨する。
目当ては、健康な子供だ。
そうでなくてはならない。
娘と同じような状態で黄鬼病に罹患し、そこから治療をすることができなければ、何の意味も無い。
……そう物思いに耽ってしまった自分自身に気付いたとき、唐突に声を掛けられた。
声を掛けられるはずのない場所で。
「お前は病気を治してるんじゃあない。病気の人間を造り出して、いじくり回している。そうだな?」
「おぬしは……」
暗がりの中に居たのは、若い男だった。
既に何度か出会っている。
顔を隠した状態では二回。
顔を出した状態でも二回。
服の上からでも引き締まった体が見て取れた。
目も、力強い。
眩しいものを感じた。
それは若さや可能性に対する嫉妬なのだろうか。
あるいは人生の絶望を知らぬであろう人間への羨望なのだろうか。
だがそんな刹那的な感情よりも気にするべきことがある。
自分と同じ立ち位置にいることだ。
猫か鳥でもない限り立ち入ることのできないような高さに、物音一つ立てること無く現れた。
迷宮都市は神殿や庁舎、工場といった堅牢な建物は多く、ここも工場の解体作業用の足場だ。
こうした屋根や足場など意外に移動できるルートは多い。
だがそれを使って建物から建物へ飛ぶにはそれなりの技能が必要になるはずだ。
何か自分の知らぬ魔術を使っているか。
あるいはこの男も、ステッピングの使い手なのか。
「ふぅぅ……」
どちらにせよ敵だ。
呼吸のリズムを整える。
自分の身体を操作する。
明確に自分の意志で体を操作することがステッピングの基礎にして基本だ。
外界からの反応に動かされるのではなく、思うがままに、自分で自分の体をコントロールする。
そうすれば、舞い散る花弁のように、盤石な岩盤のように、自由自在の境地へと至る。
「しゃっ……!」
相手の方へ距離を詰めた。
不安定な足場でも自在に動ける程度の軽さを、そして相手を圧倒できる程度の重さに調整する。顎、鳩尾、足の腱を順番に狙う。
「へっ、そんなもんか」
だが、相手はまるで予期したように全ての攻撃を払った。
そしてカウンター気味に貫手を打ってくる。
体重を乗せられない状態では拳を打つよりも効果的だろう。
だが狙いはわかりやすい。喉元だ。
それを防ごうとした瞬間、軌道が変化した。
「……貴様」
貫手は誘いで、あくまで防ごうとした手を捕らえることが目的だった。
自分の左の手首が、男に掴まれる。
「やっぱりこの状態なら掴むのが一番だな。手を繋いでりゃいきなり軽くなっても問題ない」
「確かにな」
「最初は面食らった。だがどれだけ軽くなってどれだけ動けるものかわかるなら、お前がやってきそうなことも何となくわかる」
「それだけではあるまい。貴様も使うわけじゃな」
「ああ」
「だがまだ甘い。《軽身》を覚えたばかりなのがよくわかる。ステッピングの基礎すらなっていない」
互いに一本の手が塞がれ、一本の手が空いた状態だ。
足場が悪く、蹴りは放てない。
近接の殴り合いになる。
そういう思い込みが油断を招く。
「なっ!?」
男は驚愕した。
何故なら、自分は相手の腕を掴んだまま宙に身を投げたからだ。
男は、己とこちらの体重を支えるために《軽身》を解いて足場に体重をかける。
振り子のように自分の体が下に揺れる。
その遠心力を利用して相手の手を外した。このままでは真っ逆さまに落ちる。
が、今は建設作業用の足場の上だ。掴むべき場所やとっかかりはいくらでもある。《軽身》を使いつつ袖口からロープを放ち、男とは数メートル離れた場所……工場の屋根の上へと移動した。
「本当に大道芸人だな」
「ふん、大道芸程度で驚く腕前で笑わせてくれる。邪魔をする気ならば……」
「ナルガーヴァ。お前だな」
唐突に男は名前を告げた。
何も答えず、ただ男を睨む。
無言の時が過ぎる。
だが相手の確信を悟り、諦めた。
「……何故わかった」
「まず、技量が高すぎる。冒険者にしろ無頼漢にしろ、入手の難しい高価な魔導具を使いこなしつつ防御魔術や強化魔術も操る。そんな芸当ができる奴は少ない。マンハントの人間や、建設放棄区域の連中を引っくるめてもトップクラスだ。つーかそうポンポン居てたまるかよ」
「それだけか?」
「診療室で行き場のない連中の治療をしている」
「それが?」
「治療をしてるってのに、何故か病気の蔓延は収まらねえ。黄鬼病ってのはそこまで感染力の強い病気じゃあない」
「病気など感染るときは感染るものじゃろう?」
「一人一人を見れば不思議の病ってのはある。娼館の一店二店に広まって娼婦が食いっぱぐれるくらいも、まあ割とある。だが、色街や建設放棄区域の全体で患者が増えるってのは何かしらの原因がある。誰かが病気を蔓延させてるんだ」
「……なるほど」
「ま、オレの推測ではなくて仲間の受け売りなんだがな。……けどそりゃあ、信じるに足る。覚悟してもらうぜ」
そして男が……ニックが、再び構えを取った。




