ステッピングマンの行方 2
ゼム達は更に二手に別れることにした。
時間を掛けていると日が暮れて調査そのものが不可能になりかねない。それに死体置き場や共同墓地はナルガーヴァの診療室からさほど遠くはない。遠いと不便だという事情があると思えば自然なことだった。
ナルガーヴァと話すのはゼム一人だけとして、ティアーナとキズナは死体置き場に向かうことにした。悪い予感が当たらないようにとゼムが二人に祈ると、二人とも「ますます当たりそうで怖い」と自嘲の笑みを浮かべながら行動を開始した。
そしてゼムも、ナルガーヴァの診療室に辿り着いた。閨や他のフロアとは違い、清潔感がある。落書きも、床に放置されたゴミや汚物もない。そもそもの建物としての汚さだけは消しきれないが、診療所としての体裁は整えられている。
「患者……ではなさそうじゃな」
ナルガーヴァがゼム達の来室に気付くと、さほど面白くもなさそうな声で出迎えた。
「患者でなければ駄目ですか?」
「儂が勝手にこの部屋を使っているだけで誰の物でもない。診療の邪魔をしなければ構わんよ」
ゼムの言葉に、邪険にするでも歓迎するでもない言葉を返した。
一貫して無関心だった。
「しかし……繁盛していますね」
ゼムが周囲を眺めながら呟く。
治療待ちの人間が床に座っていたり、治療を受けた人間が寝転がっていたり、さながら野戦病院のような気配だ。
「皮肉か?」
「失敬、そういうつもりではなかったのですが……」
「皮肉を言われても仕方ない。こんな場所だからな」
「しかし、ここが治療室ですか……。閨よりは落ち着いていますね」
「当たり前じゃ」
「全員に治療を?」
「治療と言うほどの治療ではないがな。魔術にも薬にも限りがある」
「手伝いましょう。軽い外傷ならば僕でも手伝えます」
そう言ってゼムは腕をまくる。
それを見た患者達は驚いてどよめく。
医者が二人も居るなど、今まで無かったことなのだろう。
「……用件はなんじゃ?」
「黄鬼病」
ゼムは病気の名を告げつつ、怪我人に治癒魔術を唱え始める。
傷口が塞がっていくのを目の当たりにした怪我人は喜びの声を上げた。
「先生の助手か? 助かるぜ」
「刀傷ですね……。浅いのですぐ塞がりますが魔術では失った血は取り戻せませんよ。栄養のあるものを食べるように」
「それができりゃ苦労はしねえや」
男が笑うと、治療待ちの人間も追従の笑い声を出した。
ゼムは説き伏せようとしても無駄だと思い、溜め息だけをつく。
「判別の難しい病気ですよね。僕は症状がピークになっているか、症状を出し切った患者くらいしかわかりません。あのときのヘイルのように、潜伏してる状態や悪化する前に判別するのは……六割くらいの確率でしょうか」
「それだけわかるなら十分に達者な方じゃろう」
「あなた程ではありません。何かコツは?」
「前にも言ったはずじゃ。経験しかない」
「端的ですね」
「言葉で説明し切れるならば苦労はしない」
「ここに居れば患者には困りませんでしょうね」
「そうじゃな」
「……ずっと、治療を続けるつもりで?」
「言葉で説明できるようになるまでじゃ」
「言葉に?」
「どうすれば黄鬼病が治るのか。どうすれば重くなる前に発見できるのか。儂が今まで培った経験や直感を、誰にでも再現できる技術に落とし込むことはできるのか」
それは、希望に溢れた言葉だ。
黄鬼病は必ずしも致死の病気ではない。だが体の弱った人間が集まる場所で蔓延したらどれだけの死人が出るかはわからない。ナルガーヴァの言葉が実現するならば如実に死人が減る。
だが、その言葉を呟くナルガーヴァの表情は、疲労に満ち満ちていた。
老人にさえ見える。
「素晴らしいかと。しかし、何故黄鬼病にこだわるのです?」
「つまらん話じゃぞ」
ナルガーヴァは小さく溜め息をついてから、おもむろに話を始めた。
「……儂は王都のローウェル神殿の上級神官じゃった」
「上級神官!?」
上級神官は、過去のゼムの一つ上の位階だ。ゼムの居たメドラー神殿、ナルガーヴァの居たローウェル神殿。そして残る二柱、ベーア神とアサフ神を祀る神殿も、上級・中級・下級と同じ序列を使用している。
だが、王都のローウェル神殿ともなれば大きな権勢を誇っている。もはや高位貴族と遜色ない。辺境の中級神官とは雲泥の差だった。
「それが何故……」
「娘が死んだ。黄鬼病じゃ」
ゼムは、その言葉に何も言わなかった。
基本的に黄鬼病は性感染症だ。
この病気に子供が掛かるということは、乱暴されたと見なされる。
「利発で、才気に溢れ……じゃが悪戯が大好きで、いくつになっても茶目っ気の抜けない子じゃった。だから厳しく接した。……しかしあるとき、家を抜け出してな」
ゼムは、何も言わなかった。
その後の悲惨な展開を想像したからだ。
だが、ナルガーヴァはこほんと咳払いをする。
「不埒な想像をするな。別にかどわかされて乱暴されたわけではない。たまたま出くわした怪我人を直そうとして、血に触れてしまったのじゃ」
「あ、いや……」
「……ま、そう思うのも無理はなかろう。事実、周囲からは恥と扱われる」
言葉は静かだ。
だがナルガーヴァの手は、硬く握られている。
言い知れない怒りの気配を、ゼムは敏感に感じとった。
「儂は……娘の醜聞を撤回させるために湯水の如く金を使ったよ。じゃが、何をしても逆効果じゃった。結局は子を守れなかった親という悪評が広まり、便宜を図ってやった商人からは裏切られ、好機と見た他の神官に追い落とされ……最後には破門じゃ。儂にはもはや守るものなど何も無い。命を長らえる気もない。じゃが」
心残りがある。
聞こえるか聞こえないかという程度の、かすれた声でナルガーヴァは呟いた。
「……それで、黄鬼病の治療を」
「まあ、それだけではないがの」
「いや、感服しました。自分の未熟さが身にしみる思いです」
「賛辞などいらん」
「本気なんですけどね……。僕が破門されたのは、僕が未熟であったためでした」
「戒律を破ったのか?」
「破ってはいません……と言っても、信用はされないでしょうね」
「戒律を破った者は決まって、本当は違うと言うものじゃからな」
「でしょうね」
ゼムは苦笑いをしながらも、話を続けた。
だが治療の手を止めず、患者達もゼム達の会話に混ざること無く静かにしている。
「年端もいかない少女に、乱暴されたと言いふらされました。ただの悪戯であれば良かったのですが、それを利用して妬まれた同僚に捕まり、あれよあれよと言う間に少女を乱暴した悪党扱いされて投獄され、最後には破門されました」
「……そうか」
「その後は色々ありましてね。戒律など気にせず宿場町の女や娼婦を抱いたり、冒険者となって魔物を倒して日銭を稼いだり、まあ自由気ままにやらせてもらっております」
「やるじゃねえか、神官さんよ」
「良い女紹介してやろうか」
「馴染みの女性はもう居ますので、ご心配なく」
げらげらと患者達が笑いをこぼすが、ゼムは涼しい顔で冗談を受け流す。
「恨みは無いのか」
「おや、信じるんですか?」
「嘘か誠かは知らぬ。だがどちらにせよ、自分を追い込んだ人間には穏やかではいられまい」
「ですね、恨んでますよ。似たような背格好の少女を見ると胸がかきむしられるような気持ちです。目の前に当人が居たらどうなるか、自分でもわかりませんよ」
「わからんでもない」
そのナルガーヴァの声には、普段の乾ききった無関心さは無かった。
恐らく患者達も、こんなナルガーヴァの声を聞いたことなど無かったのだろう。ひとさじの気まずさが混ざった沈黙が診療室にたなびいた。それを振り払うように、ナルガーヴァが咳払いをした。
「……そんなことより、聞きたいことがあるのじゃろう。【サバイバー】とか言ったか?」
「おや、ご存じで?」
「冒険者ギルドの話はここにも届く。ステッピングマンとかいうのを探しておるのだろう。悪いが協力できることは無い。儂も知らん」
「……そうでしたか、残念です」
ゼムはそれだけ言って、残る患者達の治療に専念した。
十人ほど片付いたあたりで、
「帰ります」
とナルガーヴァに告げる。
ナルガーヴァが意外そうな顔をした。
「帰るのか?」
「おや、もっと手伝った方が良いですか?」
「引き留めたわけではないが……まあ、助かった」
「お礼を言われるほどではありません」
そう言ってゼムは出入り口へと向かった。
「……ああ、ひとつ最後に尋ねても良いですか?」
「なんじゃ」
「子供は好きですか?」
ナルガーヴァは、目をつぶり嘆息した。
「……娘のことは、愛していたよ」




