似たもの同士
誤字訂正ありがとうございます、いつも助かってます。
日常生活のどこでだって修行できる。
それこそ、何気なく歩いてるときでさえ格好の修行のタイミングだ。エイダの言葉の通り、ニックは留置場からの帰り道で《軽身》の練習をしていた。留置所からの帰り道、人気のない公園を通るとき、ニックは柵の上をひょいひょいと歩いていく。サーカスの軽業師のような身軽さだ。ニックは乾いたスポンジのように、エイダから教えられた技術を身につけ始めていた。
「あ、帰りにちょっとオリヴィアのところ寄って良いか。ちょっとあいつに頼みたいことがあるんだ」
「言いけド……ニック」
「なんだ?」
「それ、楽しイ?」
「いや、本当にすげえんだよ。なんていうか、羽根が生えたみたいな感じだ」
「ふふっ、子供みたいだゾ」
カランがくすくすと笑うと、ニックは思わず赤面した。
ようやく子供のようにはしゃいでいる自分を自覚してしまった。
「あ、す、すまん」
「止めなくて良いゾ」
「いや、そう言われて続けられねえよ」
「良いっテ」
「お前、面白がってるな?」
「だって、アイドル以外でそんな風にはしゃぐの、初めて見タ」
「ま、まあ……そうかもな」
ニックは柵の先端から降りて、カランの隣に並んだ。
まるで猫のような静かな動きだった。
「なんつーか、実感があるのは好きだな」
「見てて楽しかっタ」
「そりゃ何よりだ。……ちょっと休まないか。特訓したり面倒な奴と話したり、ちょっと疲れちまった」
「ウン」
カランが頷くのを見て、ニックは公園のベンチに腰掛けた。
「……ありがト」
「うん? 何がだ?」
「ワタシの宝珠のこと、気に掛けてくれテ」
「ん、ああ」
ニックは、恥ずかしさを誤魔化そうとわざと生返事を返した。
カランはしょうがないとばかりに溜め息しつつ、話を続けた。
「ニックは凄いナ」
「なんだよ、くすぐってえな」
「……あんな風に、憎かった相手と普通に話してる。ワタシとは違ウ」
カランはそう言って、自分の片膝を両手で抱きしめた。
「違うって、お前……ちゃんとしてるじゃねえか。我を忘れるようなこと見たことないし、手がかりがわかっても冷静だったじゃねえか」
「ううん、あの場じゃ我慢してただけ。竜王宝珠の話を聞いて、本当は叫びたいくらいだっタ。でも騒いで騎士につまみ出されたら困るだロ」
「そりゃそうだが」
「……ワタシは多分、ニックみたいに落ち着いてられなイ。昔の仲間を見たら、引き裂くか噛み殺すかも」
ふふっとカランは笑った。
尖った犬歯がちらりと口から覗く。
白くつややかなそれは、魔剣の美しさだ。
カランの言葉は冗談でも何でも無い。
竜人が本気の殺意を込めれば、武器を持たずに生身の人を殺すことは可能だ。
「本当はさ、今、嬉しいんダ。手がかりも掴めて、仕事もちゃんとできて、勉強もして……前に進んでるって感じがすル。生き延びたときには想像もできなかったくらい、余裕も出てきタ。でもやっぱり、嫌なこと思い出すんダ。自分でもびっくりするくらい、残酷な気持ちになル。暴れたくなル」
「ああ」
「だから、冒険者になって良かっタ。冒険者にならなかったら、自分が捕まえてた連中みたいに悪くない奴を殴って、金とか奪ってたかもしれなイ。ゼムも同じこと言ってたけど、ワタシはもっともっとひどくなってたと思ウ」
「オレも冒険者諦めてたら、どうなってたかはわかんねえな」
「もし、あのときニックが悪い奴だったら……一緒に悪いことして生きていこうって言われたら……ワタシも悪い奴になってた。だからニックには良い奴でいてほしイ」
「なあ、カラン」
「なに?」
カランは遠くを見つめていた。
それは近くを見ていないということであり。
戦士としてあるまじき油断だ。
「てやっ」
「いった!?」
ニックが、少しばかり力をこめてでこぴんを撃ち放った。
「な、な、なにすル!」
「お前が馬鹿なことを言うからだ……なんてな」
カランは状況がさっぱりわからず、目を白黒させてニックの悪戯っぽい笑みを見ていた。
「オレ達って、似たもの同士だよな。悩むことも同じだ」
「う、ウン」
「オレは、お前のこと疑うから。ケチな悪党になったりしないよう、見ててやるから」
「ニック……」
「とりあえずは、噛み殺しそうになったら止めてやる」
不安そうな目でカランはニックを見つめる。
だが、ニックはにやっと笑った。
「だって、絶対腹を壊すだろ。もっと美味い物を食え」
「食べるなんて言ってないだロ!」
「冗談だよ。好きにしろ。お前がなんかやらかして、やべーことになってもちゃんと味方してやるよ。でも」
「でも?」
「世の中、楽しいこととか美味い物とか、色々あるじゃねえか。そういうの」
「ウン」
「オレは神官でもなんでも無いから、復讐なんてするなとは言わねえ。つーかオレ自身、復讐じみたことをやってるしな。でもそれだけに人生の大事なものを捧げる必要はねえと思うんだ。オレは吟遊詩人が好きだし、パーティーで冒険するのも楽しい。復讐のために好きなことを諦めたりするつもりはねえ。だって、憎い奴のために自分の好きなこととかやりたいこととか、そういうことを放り投げちまうってもったいねえじゃねえか」
よっと、という声を上げてニックは立ち上がった。
そしてベンチの背もたれに人差し指をかけると、
「それに、覚え立ての技術をもう少し極めたいな。オレのやりたいことはこれだよ」
人差し指一本で逆立ちをした。
それをカランが、呆けたような目で見ている。
が、すぐに焦った顔をした。
「ばっ、ばか! 怪我したらどうすル!」
「大丈夫だ、慣れてきた」
「怒るゾ!」
カランはニックの足をむんずと掴んで持ち上げた。
ぶらんぶらんと間抜けな絵面だ。
逆さまのニックが苦笑いを浮かべた。
「……《軽身》の魔術ってのは、掴まれると弱いな」
「本当に軽いナ」
「そういう魔術だからな」
カランがニックをベンチに降ろした。
そして再び、しずしずとニックの隣に座った。
「やりたいこと、か」
「カランの場合、食べ歩きあたりか?」
「それはやりたいことっていうか……いつもやってることダ。趣味だし、大それたものじゃなイ」
「趣味があるなら良いじゃねえか」
「そうじゃなくて……やりたいこととはちょっと違う気がすル。宝珠を取り戻すのも、復讐するのも、やりたいことっていうより、やんなきゃいけないことダ」
「そうだな」
「やりたいことって、なんだろウ」
カランがぽつりと呟いた。
「あんまり、そういうの無いのかモ」
「ま、無いなら無いで良いんじゃねえか。今まで通り、冒険者をやり続けるのだって良いと思うぞ」
「ウン」
「そういえば故郷を出て冒険者を目指したんだっけな。なら、冒険者生活を満喫しようぜ」
「……違ウ」
「違う?」
カランは、ほうけたような表情のまま首を横に振った。
「冒険者になるのは、目標じゃなイ。竜神族の使命のためダ」
「使命ってなんだ?」
「使命は……ワタシの、ワタシだけの、ゆ」
カランがそこまで言いかけて、止まった。
「ゆ?」
「……秘密ダ」
「え、ここで秘密か?」
「い、言いたくなイ」
「ええ……まあ無理とは言わねえけどよ」
カランは何故か、両膝を抱きかかえて顔を伏せていた。
ちらりと見える頬は赤い。
「言わなイ」
「いやだから無理強いはしねえって。けど」
「ウン?」
「そういうの、大事にしろよ」
「……ウン」
気付けば、空が赤く色付き始めていた。
ニックとカランが並んで公園を通り過ぎ、町並みに溶け込んでいく。
伸び切った影法師は種族も輪郭も曖昧になり、黒い二本の線分となって地に落ちる。
そこには、生まれも育ちも違うはずの似た者同士の姿があった。




